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どうせ今の想いは5分後に薄れて10分後は忘れてる

読者の皆さまもきっとそうでしょ?5分前にnoteで読んだ記事の内容だけじゃなく、その時受けたあなたの感情覚えていますか?読み返すか、相当に心が揺さぶられない限り記憶しているはずがないと思っています。写真を撮られることは嫌うクセに何故か私は自分自身の心を忘れてしまうことが嫌うのです。noteの例えは終えますね。

日常生活でも少し前の自分の心が何を考えていたか覚えていますか?アイディアだけじゃなく、風情、喜び、悲しみなどなど。きっと曖昧でもどこか素敵なものだったり、おぞましい考えだったりしたはず。でも思い出せない。もちろん忘れることの大切さも必要なのでしょう。そうじゃないと新しい気持ちで今や未来を迎えられませんし。

私は5分前の10分前の自分が過去の死んだ人になりたくないのです。ですから、「あ、この感情は大切にしたい、でもすぐきっと忘れる。今、掴んだまま煙が立ち消えないうちに書き殴れ、」という気持ちで記事にしてるものばかり。

なので記事に統一性がなかったり、前後の記事で言ってることも矛盾してたりもあるかと思います。私にとってはそれはその時の考えでしかなく繋がることに大した意味はないと思っています。ですから過去に書いた記事に怯えることもなく、吠えるように、泣くように書き殴った今の私が最新のアップデートされた私なのです。

それを成長っていうのでしょうか、今書いている言葉は「今の私の曖昧な意識」の写真です。

ありのままに、歪(いびつ)なものであったとしても構わない。それがその時捕まえた私の感情であることが大切で、時間が経ってから書こうとすると忘れた部分を補完するように美化したり必要以上に卑下したり演出まがいのエンタメ的な邪念が入る加工アプリで撮った写真のようはもの。フィクションなんです。

叫びは10分以内で書き殴ります。たとえると非加工の生写真ですね、きっと実際それが1番美しいと思うのは私だけでしょう。カワイイや綺麗という話をしているのではなく、私にとっては「らしさ」「真実」が重要で、造語にするなら感情ジャーナリストというのでしょうか。今の香り漂う生々しさが良いのです。

smoke、私の名前の由来のお話でした。
伝えたいことと残したいことの差なのでしょう。マガジン「詠う詩集」がそれ。

ここまでご覧頂き有り難うございます、今の私は雨模様の天気で感情が霞のような梅雨なのでしょう。


メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。