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「痛みを求めよ!」ネットで英語が学べるこの時代に、語学留学に行く意義。※辛口注意[留学経験値300%アップ術Vol 21]

こんにちは、語学の裏設定のSlovarです!

今日のテーマは本当に有った痛い話。
(><”)

昨日こんな相談を受けました。

「語学学校に通っていても、20人くらいの生徒がいるから、1日に発言する時間はどのくらい?せいぜい一人当たり1〜2分程度の単語しか話す機会がない。そこに一年費やすのは価値があるの?」

留学中にこんな言葉を言われたら、もう学校行けません。たぶん、100人中100人くらいは言い返せないと思います。

だからこそ、今日は語学の裏側のSlovarが正面に立って、このような事を言う輩に言い返してあげようではありませんか。

この先の内容は、私が実際にした返信を元に作られています(1800文字くらい)。辛口のコメントも含まれており、リアルな内容です。良薬口に苦しですので。現在留学中で、平穏に留学を終えたいという人は読まないほうが身のためです。覚悟のある方だけ、読んでください。


1.上のクラスに入れた人は、語学学校で学ぶ意味が「大きい」

最初から辛口で申し訳ありません。しかし、上述の質問を投げかけた人は正しいです。事実、私も授業中に言っています。

英語は習慣です。それゆえ、悪習慣を育成する英語学習は悪です。例えば、お互いにめちゃめちゃな英語で会話モドキをして「英語を使った気」になる会話練習。キレイな英語の名人ではなく、汚い英語の達人になるだけです。

語学学校の下のクラスの現実はどのようなものでしょうか。だいたいの場合、先生は発音も文法もメチャメチャな者同士で会話をさせます。先生は会話のトピックを与えるだけで、特に英語の誤りを訂正しません。正確には、学生の人数が多すぎて先生1人ではとても訂正しきれないのです。

お気付きの通り、悪いのは先生ではなくて、学校のそういうシステムなのです。大部分の日本人語学学校生は、クラス分けテストの結果、下のクラスに配属され、そのような英語学習を強いられるのです。(もちろんそのような環境下に置かれても、為す術を知っている人はちゃんと伸びます。後日記事にします。)

そんな中、得する人たちも居ます。日本である程度、英語の基礎を作ってから留学し、Advanceクラスなどの上位クラスに配属された人たちです。そもそも上位クラスは少人数である場合が多いですから、先生から受けられるケアの量も多いですし、周りの学生の文法も発音もキレイなので、上位勢は悪い英語の習慣が身につく確率は著しく下がります。

というわけで、下のクラスに配属された人たちは英語に伸び悩み、上のクラスに無事行けた人たちは、ぐんぐん実力がつくという、恐ろしい格差社会ができあがるわけです。

このように見ると留学の意味が大きい人は、日本でインプットをこなし、留学先でアウトプットをする実力的準備ができている人に、だいたい限られると言えます。

でももう、私留学中なんだけど...

大丈夫です。起死回生の一手があります。次の章に進みましょう。


2.誰もが、語学学校で学ぶ意味は「深い」

日本に居てネットで英語を勉強することと、海外で英語を勉強することの違いは何なのでしょうか?その答えは、「リアル世界と仮想世界違いはなんですか?」という問いと同じ答えです。

ずばり「痛みがあるかないか」です。ネットの仮想世界がどれだけリアルに近づいても、そこには「痛み」はありません。リアルっぽさなら認知できますが。

一方、海外での英語の学習というのは、痛みを伴うものなのです。住み慣れた日本を離れ、ホームシックに苛まれながら、言葉や文化の壁に潰されそうになりながら、英語を学習できる環境なのです。

よく言いませんか?

「人は失って初めてそのものの価値に気づく」

と。

これを言い換えると

「人は痛みを感じて初めて学ぶ」

になると思います。痛みを伴ってこそ、海外で英語を学ぶ価値があるのです。

人間はもともと痛みを避ける心理があります。不快な生活をしたくないので、痛みは基本的に避けるべきです。しかし留学中の痛みは避けるべきではありません。お金を払って、痛みの伴うリアルな英語の勉強をしているのです。だからその痛みを避けるべきではないのです。

痛みの深さが、学びの深さなのだから。

3.語学とは、リアルな痛みが伴う「生きる」ということがテーマ

皆さんの中に映画が好きな方は多いと思います。映画のいいところは、登場人物の生き様を擬似的に体験できる点です。ゴア・グロシーンであってもそれは同じで、血を見ることで痛みを想像することができます。

ところが、それはあなた自身の痛みではないので、その痛みに重みはありません。戦争の実体験者が映画の監修をしても、日本で平和に暮らしている日本人にはその重みは真には伝わってこないのです。それが、本当に戦争を体験した人と、画面越しに戦争を体験した人の違いです。

画面越しの体験は、
直感的ではあるけど、直接的ではないのです。

「生きること」は画面越しでは真に学びえないのです。

私の記事を何度が読んでいただいた方は、「語学は生きることがテーマである」という主張を何度か目にしたことがあります。

実は、「生きること」の中には、ここまでの話の事情が含まれます。

ネイティブと話すと「Ha ? What ?」と聞き返されます。(筆者体験)

その一言は矢みたいに突き刺さることでしょう。

勇気を振り絞って英語で話しかけても、ハエを払う動作とともに無視されることもあるでしょう。(筆者体験)

その一振りは銃弾みたいに心に穴を開けることでしょう。


語学留学に行けばそのような痛い実体験に溢れています。

痛み止めは有りません。

その痛みを超えた人だけ、痛みから抜け出せます。

世の多くの人は痛みを和らげる、止めるためにお金を払います。語学留学をする者はその反対です。痛みを求めるためにお金を払うのです。


ここまで読む勇気があった皆さんには、1つ言葉を贈ります。

「痛みは最大の教師だ」

という言葉があります。これを成長の糧にするか、挫折の理由にするかは皆さん次第です。痛みの深さが、語学留学の意味の深さなのですから。


まとめ

人は痛みを感じて初めて学ぶ。確かにネットを活かせば効率の良い学習ができるが、痛みを伴うことのないネット上の学習では、真の人間的成長は得られない。それは、痛みというものは、どれだけ仮想現実がリアルに追いつこうとも再現できない要素だからだ。ゆえに、留学中は痛みをアグレッシブに求めるべきだと思う。なにせ、そのためにお金を払っているのだから。


PS

ではなぜSlovarはネットで英語を教えているのだ?と言いたくなる人もいるでしょう。端的に言えば、学生さんの痛みを受け止めて、その痛みが10倍くらいの成長を遂げれる可能性の種をお渡しするためです。

プロファイル記事に書きました通り、今の私は語学に救われて成立しているので、英語の成長が人間的成長に変わるような教え方をするように心がけているのです。

いつも記事を読んでいただきありがとうございます。英語学習に苦しんでいる方、つまらなそうに嫌々語学を学んでいる方が周りに居ましたら、シェアしていただければと思います。楽しく、深く、語学に取り組める人が1人でも増えたら幸いです。