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石巻・南三陸で震災を考える|【石巻でインターンをコーディネートする大学生_16日目】


今日やったこと

夜、ボードゲーム。

昨晩から本日未明にかけてボードゲームを開催。モノポリーというゲーム。簡単にうと、めっちゃ子供が産まれてお金を徴収される人生ゲームとカタンの合体verみたいな感じのゲームです。多分違う。運ゲーみたいな側面は強かったですが、戦略も必要とされる楽しいゲームでした。ただ、JAILに入りたいと思ってしまうゲームでした。

これなら見たことある。

おでかけ:震災遺構 大川小学校

今日は土曜日ということで、おでかけをしました。ここは大川小学校。津波で多数の児童・教員が犠牲になった場所です。

2011.3.11
津波は川からと陸から襲ってきました。
高さ8.6mもの津波が学校をのみこんだのです。
児童74名、教職員10名が犠牲となりました。
大川地区全体では418名が津波の犠牲となりました。
石巻市は、この事象と教訓を伝え続けるために学校を震災遺構として残しました。
いのちについて考える場所となったのです。

パンフレットより

津波の被害が鮮明に残っているこの場所は自然災害の恐ろしさと、判断の大事さを痛々しいまでに感じる場所です。

自分も一年前、インターン先であった石巻魚市場の方に連れてきていただきました。また、3.11の日には竹あかりも見に行きました。石巻歴が長いコーディネーターが案内してくれて、震災後からの営みの様子も知ることができたことを鮮明にお覚えています。

おでかけ:南三陸

旧南三陸庁舎

今日は、遠出をして南三陸町までお出かけをしました。南三陸さんさん商店街は、海鮮丼のお店があったり、水産物を売ってたり道の駅としての側面も強いですが、震災の様子を伝える場所としての役割も持っています。旧南三陸庁舎がすぐそばにあるんです。この建物は防災庁舎。3階建て庁舎屋上を2mも上回るとんでもない津波がこの場所を襲いました。防災対策庁舎は赤い鉄骨だけが残っています。

南三陸311メモリアル

南三陸311メモリアルは隈研吾さんも制作に関わっています。そのままの状態を残し記憶をそのままに伝える遺構と、新しく設立し当時の記録を伝える記念館、二つの施設どちらもこれからの時代には大切であると感じます。


ちなみに、ここのマドレーヌは最高


志津川湾に浮かぶ荒島

さんさん商店街からすこし行ったとこにある荒島。ここにも3.11当時の様子が。鳥居をみると、もともとあった鳥居の基礎が残っていることが見れます。

今日のご飯

南三陸の海鮮丼
うどん。

今日の気づき

3.11を宮城で思う。

今日は震災関連の施設に足を運ぶことが多かった一日。去年も今年も数回訪れた場所ではありますが、何度訪れても災害の恐ろしさを感じます。なんか、うまく言葉には表せないです。震災当時、自分は小学校2年生。静岡県浜松市に住んでおり、自分は気が付かなかったのですが少しだけ揺れたみたいです。ですが、その後の計画停電とかはなんとなく覚えています。

3.11は金曜日。当時サッカー教室に行っていたのですがサッカー教室に行く前にテレビで津波の様子を見たことを鮮明に覚えています。

宮城では、震災の後が各所で残っています。災害遺構として残っている場所もありますが、石巻の街中では津波がどこまできたのかしっかり記されている場所も多いです。

自分は、3.11を2年連続で石巻で迎えることになります。よそ者と若者は集まるこの場所で2024年の3.11を迎えます。



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