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小説集

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#介護

小説 ケア・ドリフト⑤

小説 ケア・ドリフト⑤

「それで、この施設がヤバいというのは、他にも要因があるんだ。施設長が言うには『私には決裁する権利がない』ってことなんだ。これってどういうことか分かるか?」
 岡田の顔が急に凄みを増した。声も地の底から出すような物に変質している。その声色に、丹野の表情もいよいよ曇っていく。
「つまり理事長が給料出すのを渋ったら、給料がストップするってことだよ。あの理事長の性格からしたら、儲けが少ないとなったら、やり

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小説 ケア・ドリフト④

小説 ケア・ドリフト④

 結衣の住む家に到着したのは一九時を五分程過ぎてからだった。彼女は白い七分袖のシャツにスキニージーンズといった出で立ちで、ポテチを食べていた。
「遅いって言いたいけど、急な残業だから、マー君は責められないよね。会社が悪い」
 助手席に座った彼女にそういう結論を出させてしまうことに、丹野は罪悪感を覚えずにはいられなかった。ちなみに、”マー君”とは丹野の下の名前「真斗(まさと)」から取られたものである

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小説 ケア・ドリフト③

小説 ケア・ドリフト③

「どうかした?」
 君子が声をかける。丹野の記録を書く手が止まっていた。
「それヤバいよ。派遣の職員が一斉に引き上げたら、とんでもないことになるぞ!」
 丹野が危機を募らせると君子も、
「それって八代さんもいなくなるってこと?」
 と慌てだす。すると、スリッパを履いた足音が聞こえてきた。そして、その音は隣のユニットに入ったところで消えた。
「八代さん、特養やまびこへの派遣契約を解消しました。撤収し

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小説 ケア・ドリフト②

 それは数週間前のことだった。丹野は夜勤明けで、帰る前に一服していこうと、喫煙所に寄った。そこにはワイシャツにスラックス姿の男がいて、何やら電話をしている。口調はかなり険しい。
「えっ、分かった。またそっち行って話をつけるから、待っとけよ」
 そういったことを大声でまくし立てるように話している。タバコを家まで我慢しようかと思ったが、喫煙室にいた男と目が合ってしまった。こうなると変に逃げるのも、怪し

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小説 ケア・ドリフト①

小説 ケア・ドリフト①

 山に囲まれた特別養護老人ホームやまびこに何台もの車が入ってくる。しかも午前六時三十分に、である。日の出の時間が四時台になるくらいの時期だが、梅雨明け前の空は厚くて黒い雲のせいか、まだ日が出ていないようにも思えた。この時間帯に入ってくる車の主は、そんな天気の影響を受けているからか、一様に眠そうな顔をしている。彼らは早番と言われる職員だ。
「おはようございます」
 一人の男が挨拶をしながら、喫煙スペ

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