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「サンタクロース」をずっと信じ続けることはできないのでしょうか。

今年も町のイルミネーションが始まり、ショッピングセンターにはクリスマスツリーが飾られる季節になりました。

クリスマスと言えば「サンタクロース」であり、子どもはプレゼントを何にしようかわくわくしながら毎日が楽しくて仕方ないかもしれませんね!

そして、クリスマスなんだっけ?に対しては、誰もがキリストの誕生日と言うかもしれません。(正確には降誕祭といい、出生日とは違うらしいですが、お口チャック🤫)

ここでは、クリスマス=プレゼントをもらえる楽しい日、カップルで過ごすロマンチックな日、そしてそれを歓迎するかのような周りの飾りで輝く日という認識で進めます!

そして、今回はそのクリスマスをちょっと「哲学的」に考えてみたいと思います!
お楽しみに!


サンタクロースのニュースがあったので、一応ここで共有しておきます👇


サンタという信仰対象

「サンタさんいつまで信じてた?」

という会話は誰もが一度はしたことあるはず。

そうなんです。サンタさんは信じる対象であり、誰もが数年間、多い人は10年以上信仰してきたお方なのです。

サンタクロース教のルールはこうです。1年間無事に生きること。もしできたら先生や親に褒められるようないい子で過ごすこと。するとご褒美として欲しいプレゼントをくれる。

ものごころついたころには既にこのルールの中にいて、もし何か重大な秘密を知ってしまっても、もらえるものはもらっておきたいものなので、外に出る理由もありません。

もしこれが1年ごとではなく、人生という期間であったらどうでしょうか。そしてご褒美は死後の世界、もしくは来世にもらえます。たった生まれながらに知ってる教えに従うだけで。

なんとなく言っていることはわかってくるかもしれませんが、これは宗教の勧誘をしているわけではありません。ただ、宗教というものが身近で信仰するのが当たり前であるという人の感覚が少し理解するヒントをくれるのが、信じる信じないでお馴染みのサンタクロースかもしれませんね。

正体をばらしてしまう親

上のニュースにあげたようにサンタクロースは実在します。そして、最近ではGoogleでクリスマスイブの夜にサンタさんの場所をリアルタイムで教えてくれるサービスまであります。

しかし、サンタさんも人間なので全員の家に行くことはできません。そこで業務委託されるのが子どもの「親」たちです。

彼らは自分がやったことだとすら気づかれない、まさに無償の提供をします。子どもが喜んでくれることは嬉しいかもしれませんが、いつか気づいてくれることが前提にあるのかもしれません。中には直接子どもにサンタクロースはいない、プレゼントを買ったのは自分だと告白する親もいるという話も聞きます。
これがキリスト教のヤハウェやイスラム教のアラーとの違いかもしれません。こちらは無償の働きをし続けてくれます。


無限代表「クリスマス」


突然ですが、
クリスマスはなぜ一年に一回なのでしょうか?

知るか!と思ってしまいますが、お世話になったサンタさんに免じて少し意味を考えてみたいと思います。

そして、この先はあまり「クリスマス」という固有のイベントにとらわれず、もう少し一般化して「周期的な祝祭イベント」として考えていきます。

時間と周期

まず「時間」を考えていきましょう。時間は縦・横・奥行に加え、四次元目の次元と言われるほど私たちの世界に関わっています。

しかし、考えてみるとちょっとだけ不思議です。「過去」や「未来」が存在していることを知っている自分は「」しか存在しません。今を連続なものとして少し今を追い越したり、ちょっと前の今に意識を置いてくることによって生まれてくるのが私たちが認識する時間です。

では次に、「周期」について考えてみます。周期と言えば1年に代表されるように連続して同じようなことが起こる傾向のことです。例えば1年という周期で考えると、これはかなり地球の都合です。今でこそ当たり前の概念になりましたが、公転一周=1年、自転一周=1日です。まるでリセットするかのように。

ここで先ほどの今の話を思い出してみましょう。過去・今・未来の世界では時間は一直線です。そして、周期の世界では時間はクルクルしています。何度も同じ場所に戻ってきているようですが時間は少しづつ進んでいるので、クルクルしながらも進んでいます。

刹那的人間

次に「人間」の話をしてみます。人間を時間の視点から見ると生まれるというスタート地点があり、死ぬというゴールに向かうものです。地球や宇宙と比べるとものすごく有限な人生です。

周期はループです。つまり、無限に近い概念だと思っています。そして、人間は有限です。有限と疑似無限が接触するとどうなるでしょうか。有限が相対的にほぼゼロになります。

こう考えると、人間は周期に接触しない方がいいように思えます。

では、仮に人間が周期と全く関わらない生活をしたらどうなるでしょうか?どんな世界か全く想像できませんが、おそらく体感時間は無限になるのではないのでしょうか。

体の生態時計やエネルギー循環など、かなり周期ありきの設計になってしまっているので、もはや逃れられないかもしれません。生物は大抵生まれて死にます。そして、また新しい子孫を残し、種として続いていきたいと考えます。これもまた周期の考え方ですね。

どちらかと言うとできるだけ有限の短い時間になるように努力してくれているのかもしれません。それが周期が体に刻まれている理由であり、意識しても周期を求める理由なのかもしれません。刹那的な人生こそ最高=無限なんて最悪、こそが先輩方の教訓なのかもしれません。

ただ、一瞬の今に全集中した本当の意味での無限的生き方にも興味はありますが、試す方法がわかりません笑

やっとクリスマスの話をしますが、私たちが年に一度お祝いをする理由も、人生をできるだけ圧縮するための幸せな営みなのかもしれませんね。

なんてことを考えるクリスマスはいかがでしたか?
「今年」はちょっと特別な周期になるといいですね!


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