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北海道一周旅行記(6/n)【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

8日目前半【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】

高い所から見る風景は何を連想させると思う? […]それは遠い、だよ。

空の境界(一)俯瞰風景

阿寒湖

8日目にもなると、北海道にいることが当たり前になっていた。旅先という感覚はなく、日々暮らす場所として、北海道を受け止めていた。引き続き、寝ても消えない疲労があるものの、終わりも見えてきたので残予定をやりきるぞ、という気持ちになっていた。

昨日最後に寄った阿寒湖に、まずは来た。広い湖で、商業化も進んでいる。湖畔には大きなホテルがあり、遊覧船乗り場も大規模に建てられていた。振り返ると、知床の遊覧船センターののどかさに笑いたくなる。阿寒湖と比べたとき、自然環境の過酷さが数段上で、装備の充実度が数段下だったな。阿寒湖は砂浜もなく、陸地の淵から、数十センチ下の位置に水面があった。まあ、砂浜がないと何もできない。煙草を吸うことも、ながむことも。まりもっこりをみて、それが好きだった友人に少し思いを馳せたのち、阿寒湖は10分ほどで発った。

宿には、韓国の能面のようなものが掲示されていた。

裏摩周・神の子池

今日は午前中のうちにその日一番の目玉である神の子池につく算段だった。振り返ると、おそらくこの日の来訪地数が、全日程を通して最多であったため、神の子池以降も多くの感情が生まれたのだが、まあ、まずは神の子池について。

この日のプラン。もう六時間運転などに怯えることもなかった。
小雨が降っていた。もう少しで神の子池だった。このときは、flowerを聴いていたようだった。Driver's highにはなっていなかったようだ。

さて。神の子池にきた。キャンプ場のように、山林の中にあるわずかにひらけた地に、数台車が停まっていることで、そこが駐車場だと分かった。車を降りると、徒歩30mくらいでその池があった。想定通りかそれ以上に、非常に綺麗だった。息を呑む。とにかく水が澄んでいた。沈殿した川砂が石灰質なのか、倒れた木が朽ちることなく沈み、五角形の形になるよう重なり倒れ、沈んでいた。そこを魚が住処にしているようだった。

波紋

掲示物を見る。この池は、摩周湖の伏水でできていると「言い伝えられ」とある。確かに、それが事実かどうかを確認をする手間を考えれば、純粋に興味があるからです、では予算が組めないだろう。解決したい課題があって初めて予算がつき、調査できるのだ。仕事と同じだな、と思った。ただ、仕事で必要となるような情報は、とりあえずどこかの誰かが収集していることも多い。自らが調査しなかった情報も、インターネットやどこかの調査会社の報告書、自社のビッグデータの中には存在する。それを用いて解釈を生み出していないだけで、ものとして存在することもしばしばある。つまり、情報としては世界に存在している。一方、神の子池が摩周湖の伏水かどうかは、誰も収集していない。情報として、どこかの書庫に眠っているわけでもない。人類の手元にないのだ。

池を何周かしながら、なにか生き物がいないか探していると、ミヤマクワガタを見つけた。まさかの大物。興奮した。離れたところで撮影している同伴者を呼び、撮影してもらう。遠巻きにいる家族(というか父子)が明らかに興味津々でチラ見していたため、彼らに少し見えやすいように、クワガタをもつ手の位置を下げた。彼らは寄ってきた。そうこうしながらひとしきり堪能させていただいたのち、近くの木に貼り付けた。もう捕まるんじゃないぞといって、高いところに配置する。自分は捕まえておいて。勝手なものだ。時刻は12:30ごろだった。

ミヤマクワガタはかなりうれしい。漫画雑誌におけるヤンマガ。浅野いにお作品における零落。M-1 2022ファイナリストにおける真空ジェシカ。X JAPANにおけるTAIJI。外資ITにおけるSalesForce。それが、ミヤマクワガタなのだ。
MIYAMA on ISSEY
コエゾゼミもいた。
野付以来のアブにも再会。こいつはまじで強い。

屈斜路湖

北海道中央部にある、3つの大きな湖。摩周湖、阿寒湖を終え、残すは屈斜路湖のみとなった。感傷はない。これまで数多の湖山森海沼池林を巡ってきているが、まだまだ残っている。見てきたスポットの数と同じかそれ以上の数のスポットが、いまだ北海道には存在する。本当に、広大な地だ。人間の意志だとか、行動だとかのか弱さを感じる。

屈斜路湖につく。屈斜路湖には割と整備された駐車場があった。ただガラガラで、売店も一つだけだった。お土産屋というのは意外と没個性的で、その地に根ざした何かというものはないということをとうに知っているのだが、人気がないこともあって、現地の方と交流したかったので、入った。店の奥では高齢の男性がラジオを聴いており、雰囲気からして店主だと分かった。その横側では飲食物を販売しており、都内のコーヒーショップのように、窓越しに、外から直接かえるような建て付けになっていた。そこに店主と同年齢ぐらいの女性がいた。夫婦であろう。彼女はいくばくか声をかけてくれた。少し話して、彼らの幸福が少しでも長く続くようにと祈りながら、芋餅と木彫のティースプーンを買った。結局買ってしまった。また、いらないものが家に増えるなと口の中で笑った。

同伴者はお土産屋に寄らずにいたので、先に屈斜路湖にいた。お土産屋から、屈斜路湖までの道を進み、湖に対面すると、そのまま直進できる形で砂辺があった。それが、長く続いていた。屈斜路湖は、先ほど述べた3つの湖の中で最も大きい。一つの地に立ち、二つの目で見て、三分程度。そんなもので感受しきれる規模ではなかった。周囲を車で移動したり、複数回、都度別の場所に向かって初めて理解しきれるものだと感じた。神の子池という周囲100mもない地ののちだったから、余計大きく感じた。

何かを理解しきれないと感じることは定期的に訪れる。規模の大きいものに対面し、かつ、その解釈の仕方が手元にないとき。知床や屈斜路湖のように物理的に大きい自然。ガイロクchに現れるアンダーグラウンドの人々の思考回路。そういうとき、僕はそれらを遠いと感じる。ぼやけて見えない。時には恐怖も感じる。ただ、それに怯んではいない。時が経てば、ふとしたきっかけで、その解釈の仕方がわかりピントが合うようになることもあると、これまで経験してきた。理解できなくても、それを尊重することはできると分かっている。そのような態度が敬意というものだろうか。

松田:本当にそれが一番好きなんですけど、これは味がとかの話じゃなくて、一番要素が少なくてノイズが少ないのがそれなんですよ。分かります?

白濱:松田がそう思ってるのは分かるよ。

和琴半島(屈斜路湖)

その先には陸繋島があり、名を和琴半島といった。和琴半島は、その全体が森として生い茂っていたが、陸地からトンボロ、陸繋島全体をぐるりと回周できるコースが整備されていた。砂辺を直進し、その入り口まで向かった。

こういうこと

大昔に学習した地理の知識。地理や家庭科や古典といったマイナー科目で得る知識ほど、教養と呼ばれる傾向があるのも不思議なことだ。まあ、それだけ、教養というのは金持ちの暇つぶしでしかないということだろう。教養が役に立つか? という問いは、そもそも問いの立て方が悪いということだ。

入り口の手前には温泉があった。ただ、それが温泉であると理解するまで時間を要した。というのも、脱衣所も湯船を囲う塀もなく、少し泥で濁った温い水溜りがあるのみだったからだ。しかも、その水溜りの横にあった池は屈斜路湖と接続しており、エビや魚がたくさんいた。隣合う2つの水たまりを、片方を池、もう片方を温泉と識別できるわけがない。ではなぜ僕がそれを温泉と同定できたかというと。おそらく現地の方が、僕の隣でにわかに脱ぎ出し、そのままそこに入っていったからだ。驚く。ジジイの裸体など、東京の銭湯でいくらでもみている。しかし、この北海道の湖畔で、いきなりジジイの脱衣をみることになろうとは。それだけ、開放的であるということだ。もしくは、この温泉が素晴らしいものであるということだ。温泉は素晴らしい。まあ、僕は裸ジジイに背を向け、隣の池でエビを捕まえることにしたが。

エビさん
魚さん
エビと魚を採取する僕。この後ろには、裸体ジジイがいた。

水中生物との戯れがひと段落ついたところで、同伴者とともに和琴半島に乗り出す。入り口入ってすぐ、湖の中にある池であることを忘れるほどに、山であり、森であった。林道にはわだちがあり、人が定期的にきていることを教えてくれた。道の側面には倒木もあり、苔も生えていた。知床国立公園とは異なり、もう少し閉鎖的な雰囲気を持っていた。そのまま歩くと、なんと神社がでてきた。屈斜路神社というようだ。落ち葉が散らかっていたが、人の手が入っているようだ。僕は改めて、この地の安寧を祈った。湖とはいえ巨大な湖が3つもあるこの弟子屈という地の安寧を。お土産屋の夫婦、全裸ジジイ、そして多くの動植物。思えば、祈るという行為も、自然や神という、遠いものへの敬意かもな、と感じた。

北海道一周記・2022夏シリーズ
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

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