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北海道一周旅行記(2/n)【稚内〜利尻島〜礼文島〜旭川】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

3日目【稚内〜利尻島〜礼文島】

早くに起きた。確か5:30起きだった気がする。夜型の自分にはかなり珍しい時刻だ。都会で見るカマキリくらいには珍しい。稚内港から7:00頃出発のフェリーに乗る必要があった。ド早朝に起き、車に乗る。朝に車を運転すると、その日1日を真摯に過ごそうと気合が入る感じがしていい。

当たり前だが日本最北の地もそこで暮らす人にとってはただの街だ。港があり、小売があり、工場があり、新聞社があった。稚内港は山脈の麓にあった。岬という細いエリアですら大半に山がある。これが日本の2/3は山というやつだろうか、と思った。

稚内フェリーターミナルの受付にはすでに人が多くいた。旅行客だけでない感覚があった。正午前の区役所くらいの人気だった。車を乗せるため、同伴者は車に乗ったまま、フェリーの積荷口が開く時刻を待った。

フェリーに乗り、同伴者と合流した。客室は畳で、いくつかのブースに分かれた、特に座椅子もない広間だった。大荷物の家族連れが隣を陣取っていた。僕が小学生の頃、家族旅行で佐渡島行った時の自分と重ねた。

家族と反対側で、隣にいたのは見るからに地方ヤンキー集団で、ぶつぶつとうるさかった。久しぶりにエンカウントしたなと感じた。あくびや独り言で自分の存在証明をしたがる人。当たり前だが、こういう人格から卒業することができずに生涯を終える人もいるのだろう。話し方や身振りで所属クラスタがわかってしまうのは何故なのだろうかと疑問に思った。ちなみに所属クラスタを判断する癖がホモサピエンスに存在するのは、進化生物学が説明を得意とする所だ。

フェリー甲板に立つマストのようなもの

利尻島に降り立った。日本の島といえば東京の南と、長崎の西と、沖縄の周囲を思い浮かべるが、当然そのほかにも島は存在する。まさか北海道に島があったとは全く思わなかったが、北海道出身の友人に勧められて行ってみた。一周2時間もしなかった記憶で、信号機もほとんどない。

この日の予定は、利尻島を1周し、夕方にもう一つの島礼文島に移り、寝ることだった。利尻島への到着時刻が10時ごろ、利尻島発のフェリーに乗る時刻が15時ごろのタイムアタックだったが、結果、首尾よくこの予定はこなすことができた。Google Mapには5・6個ピンを刺したが、確か全てを周ることができた。

大量のピン。ダーツのクリケットなら、18以外制覇していた。

1つ目は、仙坊志御崎海岸。あざらしを見ることができる、ちょっとした公園のような場所だった。そのそばにある小売店では、昆布が売っていた。3袋で1200円というのは高いのか安いのかわからなかったが、嵩張るのでやめた。あざらしとあしかの違いが分からないが、可愛いからよいのだ。ただでさえ、やや曇り気味で肌寒く、灰色の海と空に囲まれる午前中だったから。

仙坊志御崎海岸。この区画に高頻度であざらしが泳ぎに来てくれる。
こういう掲示物は人の匂いがして好きだ。合目的的なビジネスの世界にいると味わえないものだ。
小売店の内。若い茶髪の女性が1人、立っていた。

僕らはここでも、昨日のオトンルイから感じていた圧倒的に大きい自然を感じていた。新美でミュシャの展示を見たときにも思ったが、広いことや大きいことは、もうそれだけでいいことだ。あのとき一緒にミュシャを見た人のことを一瞬考えて、忘れた。

次は南浜湿原に来た。沼地に、水面が見えないくらい高木が詰まって繁っていた。一方通行の遊歩道があるだけで、それ以外は高草やら木やらが立っていた。恐竜がいた頃の草ですねなんて同伴者が言い、2人で笑った。

その次はオタトマリ沼。こちらの方が南浜湿原よりも観光地として有名な様子だった。沼を挟んで山が見え、景色が良いからだろう。ただ、特に周辺を散策できるような遊歩道は整備されておらず、個人的には南浜湿原の方が良い場所だった。

写真右側に、水場につきだした場所があったが、他の観光客が写真撮影しており、写すことができなかった。

ちなみにオタトマリ沼の売店では、ウニ丼が売っていた。そうなのだ。利尻島・礼文島はウニの産地で、ムラサキウニ・バフンウニがともに取れる。僕らはウニ丼を食べたいと思いつつ、高いのではないかと少し日和っていた。旅行をあまりしない身として、「この感じでn日なら、総額m万円だな」と言う感覚がないのだ。航空券やレンタカー代、毎日迫ってくる宿泊費に気が重かった我々は、観光地の入場料など、行きたい場所にいくための費用を、食事より優先させる合意形成をしていた。そうして売店の食券機を見ると、確かバフンウニ丼は5,000円だった。日和った。おいおい北海道は安くて多くてうまい! じゃないのかよ。これは安いんですかと単刀直入に聞くと、最近は不作で値段も上がっているとおばちゃんが言っていた。後ろで同伴者が僕以上に嫌そうな顔をしていて、笑った。

東京で食べれば数倍するであろうこと後から知ったのだが。食に明るくない。

観光地価格だろうかと考え、その場を後にするジャッジをした。そもそも1店舗目だったからだが、相場もわからない。ネットで見ると数年前に3,000円で食べたとの話しか書いてない。インターネットにない情報を、対人コミュで獲得しなければならなかった。腕がなる。僕はそういうのが得意だし、好きなのだ。

続いて、姫沼についた。沼ばっかだ。産卵に来たトンボとアメンボが水面にいて、遊歩道にはイナゴがいる。箱根でも日光でも見る、日本の夏の湿地帯の生き物。意外と北海道だから生態系が別と言うこともないのかと考えたが、それは自分の解像度の問題だろうと省みた。植生は異なるだろうし、同じ昆虫でも、成虫が過ごす時期は異なるだろう。体系的に学ばなければならない。おーちゃんねるやペットショップで断片的に得られる知識だけでは、サチってきたのだ。座学の時間だなと思った。

きれいだと感じた。日本人には印象派が好まれる理由もわかる。ありていにいえばわびさびなのだ。
遊歩道横にあった朽木。割って虫を探したかったが、国立公園なので当然ダメである。

その後、甘露泉水という湧水を飲みに行った。やや傾斜で、1km弱の上り道だった。着いた先は、小さなV字谷といった形で、もののけ姫のアレが座っていそうな空間だった。2人でアレの物真似選手権を実施した。

アレ。出所はここ

水は冷たく、美味しかった。エキノコックスが混じっていないか心配であったし、安全ですよという看板もない。あるのは甘露泉水という看板だけだ。飲みやすいように、一定の高さまで汲み上げられているということもない。

這いつくばるように飲んだ。

最後に、岸壁に侘しく建つ、北のいつくしま弁天宮に向かう。なお、ここまでで3時間ほどしか経っていない。僕らは自分たちが立てたスタンプラリー旅行計画が、想定通りに実行されていることを実感していた。これがあと1週間以上続く。

そのことに対して、少し思うことがある。この数年で、自分の根の人格が少し変わったように感じることが増えた。より正確に言えば、それまでと少し違う人格がプラグインのように追加された感覚がある。何を嬉しいと思うか、他者とどう交わろうか、そして、自分がどうありたいかのor条件が増えた。例えば、この状況であれば、計画通りに実行するということ自体を、それまでの自分であったら嫌がっていたように思う。けれども、歳をとる過程で、もしくはプロジェクトマネージャーという職種で生きる中で、事前に予定を立て、想定外のことが起きた場合のリスクを想定すること。その場合の対応策を用意して、メンバーと認識合わせをしておくこと。実行中は、それを想定通りに実行していくこと。こういったことに喜びを見出すようになった気がする。ただ、こういったこと「にも」、喜びを見出せるようになったが、正確かもしれない。無計画な行動は、今でも大好きだ。そうして、人格が膨張していくことが、僕にとっての歳をとるということなのかもしれない。大歓迎だ。

最後に立ち寄ったカムイ海岸のトイレは、新築の匂いがした。実家の戸建が建てられている最中、内見した時のことを思い出した。

この旅2枚目の、観光地の地図

そうして利尻島の探索は終わった。15時前には、礼文島へ向かうため、フェリーターミナルに向かった。朝とは違う港で、名は沓形港と言った。

沓形港では何かが造られていた

沓形港は寂れているわけでもなく、単に人が少なかった。待合室には3、4組の客がいるのみで、皆静かなものだから、待機するフェリーの音と、受付の女性スタッフの話し声しか、音が存在しなかった。海猫が鳴く。そう自覚しないと忘れてしまうくらい、常時鳴いている。港町のホワイトノイズ。

礼文島についた。民宿に車を置き、食事処を探す。確かここまで、僕らは何も食べていなかった。漁協がやっている海鮮のお店と、ちゃんちゃん焼きという炭火で魚を焼くお店が候補に上がる。結論、両方行くことにした。

確か16時ごろで、まだ開店まで時間があった。民宿のそばにあるカナリアパークを勧められた。映画のロケ地で、吉永小百合が撮影に来たらしい。恐らくもう数百数千と繰り返したであろう案内が耳に通った。見晴らしの良い広場だった。遠くで、犬が吠えた。

地方観光地の、広い駐車場が好きだ。

17時になり、店に向かう。札幌のジンギスカン屋の洗礼を浴びた僕は、こだわり強め堅物店主が出てこないことを祈ったが、出てこなかった。というより、旅を通して面倒だったのは札幌のジンギスカン屋だけだった。漁協の海鮮屋は寿司を食べた。ついにウニであった。

ムラサキウニ。バフンウニは揚がらなかった。

ウニは久しぶりに食べたせいで、どれくらい美味しいかよく分からなかった。他の海鮮と合わせて味わいたかったので、握り8巻と、ウニ軍艦を単品で3巻食べた。計4つのウニ軍艦。かつて食べたことがない。ウニに限らず、高級とされる寿司のネタはみな艶がある。どうしてだろうか。というよりもむしろ、艶があるから、人は惹かれ、市場原理で高くなるのだろうか。

礼文島から見た利尻島。マジックアワーだ。

2軒目のちゃんちゃん焼き屋では、座敷に座り、金網でほっけを焼いた。ちゃんちゃん焼きとは白身の魚に味噌を塗り焼き上げる調理法のようで、焼けた箇所からヘラで食べるらしい。

そばにあるスーパー銭湯に行き、民宿に戻り、寝た。

4日目【礼文島〜稚内〜旭川】

起きた。礼文島の宿は民宿で、個室6,000円だった。女将が優しく、さぞモテただろうなという出立ちだった。確かこの日あたりから起床時刻が8:00-9:00で固定され始めた記憶。とはいえ、この頃が疲労のピークだったかもしれない。

ということで、同伴者との間に、この旅初めていさかいが起きた。振り返ればもう痴話喧嘩のようで、書くことも憚れるが、左折指示が期待より遅かったことに僕が腹を立てただけだった。その後2時間くらい尾を引いた記憶だ。振り返ると旅を通して揉めたのは、この1回きりだった。

この日も5個ほどスポットを決めて急いで回った。まずは桃岩展望台。内陸のちょっとした丘陵地で、5合目の駐車場に車を停め、ハイキングとなった。内陸とはいえ海は見え、山頂から平坦な道でしばらく歩けば、岬の先の方までいけた。高所恐怖症の僕は、道中の幅の狭いーーといっても2mくらいはあったが。ただまさに断崖絶壁で、身を守るものは、歩道に沿ってある杭と紐だけだったーーが通れずに、途中で引き返した。

桃岩展望台。山頂手前の道。
桃岩展望台。山頂からの眺め。

同伴者はその先まで歩いて行っていた。引き返すと、後ろから来ていた人とすれ違うわけだが、その中には観光客だけでなく、自然管理を生業にした、何らかのセンター員のような女性もいた。彼女はボーイスカウトのような麻色のセットアップを着て、登山家が持つ棒のようなものを両手に持ち、バスケットボールが縦に4個入るような縦長のリュックを背負っていた。赤いバンダナを首に巻いていたりしないかな、と少し気になった。潑剌とした声で、お先にどうぞ! と道を譲ってくれた。山頂に戻り、セミを捕まえ、その詳細をググっていた頃、同伴者が戻ってきた。

山頂から岬への道

利尻島・礼文島主催の写真コンテストがあるようで、賞金は10万円だった。こういう地方行政特有のROIを考慮しないイベントも好きだ。写真コンテストをすれば、お客さんが来るんじゃないかな? 賞金は5万だと何となく低いし、10万くらい? いいね! と、牧歌的な検討を想像して、温かい気持ちになる。資本主義に最適化しすぎていない、素朴な人の気持ちや暮らしが見えた気がして。

コエゾゼミ。名前に反して、本州の高地にもいるらしい。

続いて、スコトン岬という北西の岬に向かった。道中の植物園にも一瞬行った。レブンアツモリソウという珍しい花は咲いていなかった。海から離れた高地に、ドッヂボールのコートを縦横2つずつ敷ける程度の平地があり、植物がいくつか植わっていた。管理人は2人だった。ここで暮らしたら人間関係の悩みとか無くなりそうだねと同伴者に伝えると、むしろ封建的な付き合いをしなければならないのではと言われた。それもそうかと考えた。都会の方が、孤独に生きることができるのかもしれない。

礼文島・利尻島・稚内の位置関係
植物園

スコトン岬の小売店員は商売っ気があった。島、というか北海道で初めて出会った店員。よく見るとパッケージやECなどが立派だ。東京の誰かの入れ知恵だろうか。こいつめ、こいつのせいで北海道のウニが値上がりしてしまったんだな、ゆるせん。昆布ソフトは、塩バニラのようなうまさだった。おいしかった。

スコトン岬

その後スカイ岬に行く。ソムタン岬から反時計回りに少しいったところにあった。ここは港となっているようで、湾岸工事のされた岬もとい港だった。小型の舟がいくつか停泊しており、売店も漁師の妻のような高齢の女性が立っていた。壁には、ダークブラウンに変色した木材が剥き出しになっている箇所もあった。地方の外れで、そこに住む方々が過ごした長い年月に思いを馳せた。

スカイ岬

現在島の11時の方角にいて、港は15時の方角だった。時刻は、まだ正午を回らないくらいで、北東の岬にある食事所に向かうことにした。稚内の影響か、先っちょに行こうとする力学が2人には働いていた。それは最終日の意思決定にまでつながるが、追って書こうと思う。この食事処は休業していた。腹をすかせた僕らは今朝のニの轍を踏まないよう、戦略的沈黙をしながら、港そばの食事所に急いだ。

GoogleMapは信用できない。礼文島と不動産業界は今でも電話なのだ。

港側の漁業組合がやっている食事処で、何らかの麺類を食べた。家族経営のようで、家庭科教室で作るようなエプロンをした、18、9の男性が慣れない手つきで接客をしていた。疲労が溜まっていたのか、食事が来るまで寝てしまった。あっという間に数日が過ぎ、ふたつの島から離れる時が迫っていた。もう来ることはないだろうこの島。そこで暮らす人々とその空気に、今この時は思いを馳せようと考えた。14:00頃に、島を発った。

帰りの船は、アマポーラ宗谷という名前で、内装新しかった。会社のロゴも現代的だ。フェリーの名前や、スキー場のゴンドラの名前。これらの名前はその場で覚えるが、その後忘れる。それで良いのかもしれないが、旅先では、口にしたくなる名前で、身内でも話題に上がる名前がよくあるように思う。一度獲得して、すぐに忘れてしまったそれらの名前は、今、どこにいってしまっただろう。

アマポーラ宗谷

フェリーの自由席で、隣に寝そべっていたのは、子2人の4人家族だった。娘は4、5歳で、元気にでんぐり返しをしていた。お父さんは座って娘の相手をし、お母さんはさらに元気な息子の相手をするため、甲板に向かった。荷物は僕の10倍はあった。いつか僕もそうなるのだろうか。稚内では氷雪の門というモニュメントを見て、2人でその感想を言い合い、道北編を終えた。次に目指すは、道央・旭川だ。時刻は15時だった。またここから、長い車移動が始まるのだ。

氷雪の門のモニュメント

北緯45度線を南下し、おといねっぷという若者多めの街や、名寄というまあまあ栄えた街を越え、旭川に向かう。名寄で泊まるか逡巡した。途中2度目のガソリンスタンドに来た。普段セルフスタンドを利用するため、窓を吹かれることに感動した。店員さんは3人で、いずれも25歳くらいの男性だった。ういういしい。肌ががさついており、黒かった。女性店員も化粧をしていない様子であり、それはそれが必要でないことの現れでもある。都内の差異化ゲームの指標がこまかいことに気づく。

旭川に着いたのは20:30を超えたころだった。セブンイレブンを久々に見た。商品がすごい。東京と同じ品揃えだ。こんな店があったら、周りの喫茶店が潰れるだろうに。店員は都会的で、ツーブロックだった。

旭川は近代的な町だ。セブンがあり、ツーブロがいて、スーパー銭湯も複数ある。札幌を出て初めて、21時以降もやっているご飯屋さんがあった。スープカレー屋さんもあった。

イオンもあった

スーパー銭湯に行った。アクエリアスのクリアウォーターという飲み物が、北海道・北東北先行で販売されていた。今や全国区のポカリスウェット・イオンウォーターの昔の味に近い。スポーツドリンクが日本北部でテスト販売するのは何故だろうか。スポーツドリンク市場にて、競合が存在せず自社製品との比較で判断できるからだろうか。その後飯を食べ、寝た。

旭川はなかなかの繁華街だった。男臭い店名に惹かれて入った。中のテレビにはアルピー平子が出ていた。

時刻は23時ごろであった。

北海道一周記・2022夏シリーズ
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

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