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北海道一周旅行記(4/n)【知床〜野付〜摩周湖】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

6日目【知床〜野付〜摩周湖】

人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね

手塚治虫『ブラックジャック』

北海道に来てから、夢を見ていない。疲れているとレム睡眠にならず、夢を見ないのだろうか。いや、疲れといっても種類があるはずだ。夢を見ない疲労も夢を見る疲労もあるかもしれない。体の疲労、脳の疲労、こころの疲労。発散の疲労、収束の疲労。脳が疲労するときは、夢をよくみる気がする。疲労のベクトルとスカラを知ることは、自分が自分の人生を何に費やしているかを理解するすべだ。疲労とは、寿命を何かに投資した際に生まれる副産物。僕は今、体の疲労をしている。それは、北海道一周の副産物だ。脳の疲労、すなわち、仕事なり人生なりを目一杯考えた際の副産物が夢というのは、少しロマンチックかもしれない。

久しぶりの早朝起床だった。今日はまず、知床だ。遊覧船に乗り、知床五湖にいく。あんなことがあった遊覧船と、ヒグマへのエンカウント率の高い知床五湖。危険な午前中になる。

それまで遊覧船に乗るかどうかは悩んでいた。相対的にリスクテイカーである自負はありつつ、海では死にたくない。寒いし、大きくて怖いから。なので、昨夜に例の熊のような宿主と会話し決めていた。まあ、逆に事故直後だから安全なんちゃう? というレスポンスだった。雑というよりは、地方特有のおおらかさを感じた。そういうことが聞きたいんじゃないんだよと思いつつ、おおらかさに当てられ、乗るか、と決めた。旅先特有の浮遊感にまかせた。

旅先の地図コレクション

ゴジラ岩観光という会社の遊覧船に乗った。記憶では、現在3つほど会社があった。その中で一番、僕らの旅程に都合のよいタイムスケジュールをしていたのが、ゴジラ岩観光だった。安全面は、昨日の今日だし3社とも高いだろうと、ゆるく考えていた。

確か、8時前後に出港だった。15分前に集合場所につくと、20人ほどの人がいた。概ね家族客だった。スタッフはみな日焼けしており、溌剌としていた。水族館のスタッフと似た印象を持った。点呼に答え、双眼鏡を貸与してもらい、船へと向かった。

知床のソーシャルディスタンスには、シロクマが貢献している。

船に乗り込む。クルーザーというのか、フェリーやゴンドラほどの規模はなく、コナンがハワイで親父に操縦を習ったそれより、二回り大きいくらいの規模だった。船内には座椅子もあり、窓から外を見ることもできたが、船頭に座ることとした。同伴者も、船頭の少し離れた場所でカメラを構えていた。

出港する。知床半島の北側を、半分ほど進んで、折り返すプランだった。複数のスポットが次から次に出てきて、それぞれアナウンスで説明が入る。総じて、岩の圧倒的な大きさを感じた。高さはどれくらいあるだろう、30mくらいだろうか。船から見ると、横幅もそれくらいあり、それが、連なっていた。これが自然。これが新規造山帯。本当に、こんなものを人間が操作するなんてできないだろうなと感じた。自然の圧倒的な大きさに触れると、過度な人権意識が漂白されるから良い。僕らは地球のフケであり、遺伝子のヴィークルだ。それくらいの感覚の方が、結果ヘルシーに人生を歩める気がしている。

知床には名前のついていない滝が数千あるらしい。アナウンスは「ここはXXがすごく、YYが見どころ」という割に「名前はないんですが」と付け加えていた。自分たちでつければいいのにと思ったが、名前はつけるものではなく、受け継ぐものという感覚なのかもしれないな、と感じた。名前繋がりで言えば、「カムイ」という地名は知床をはじめ複数あった。いろんな書き方があるようだ。神水、神居など。そんなことを考えていたら、遠くでカモメが鳴いた。

船着場に戻ってくると、陸地にいるスタッフは太い縄を持ち立っていた。停泊した途端、船にそれを回し、固定した。そこで思った。当たり前だが、このスタッフの業務一覧のなかに、紐をかけるというタスクがあるのだ。他にも、双眼鏡を拭いたり、それをお客さんに配ったり、給油したり、というものが存在する。そう考えると、働くということの豊かさを知る。仕事というのは、何かを考え、それをPCに打ち込むことだけではないのだ。

続いて知床国立公園に向かう。公園のなかには知床五湖というものがあり、それを順に回る形でルートが整備されていた。公園に出る前に、部屋に集められヒグマの危険性についてのレクチャーがあった。国立公園のスタッフは準公務員のようで、明らかに知床生まれではないであろう若い男性が説明をしてくれた。

そう言えば、環境省の友人は屋久島だか対馬に赴任していた。うらやましい。

ガムや飴も含めて、飲食物は持ち込んではいけないこと。持ち込むなら匂いがしないように今から渡す袋の中にいれてほしいこと。大半のヒグマは加虐性があるわけでもないので、遭遇を避けることを目的として動くこと。そのためには、発声をするとよいこと。これらのレクチャーの後、教習所で見せられるようなビデオを見せられて、ついに公園に出た。

散々レクチャーをされた後、かつ遭遇率や死亡事故率などの肌感がない、僕ら含めた旅行客たちはみな一番手として進むことを避けていたように思う。隣の席にいたカップルは、明らかに最後の方に部屋を出ていた。情けないとも取れるが、僕もそうするだろうな、と考えた。彼女なり妻なり子供なりを守ることを最優先に考えれば、そういう動きにしかならない。

閑話休題。実は、これらの旅行記は、原則リアルタイムで書いたメモをもとに記述している。何を見て、何を聞き、何を考え、何を感じたのか。その具体メモに対して、旅程や写真、クレジットカードの領収証を照らし合わせ、事実確認をして推敲している。しかし、知床国立公園に関してはほぼメモがない。ヒグマリスクのヘッジに、意識を全ベットしていたのだろう。写真から思い出しながら記載していく。

知床五湖は、非常によかった。利尻島の南浜湿原と同じように、山・森・湖が広がるエリアに、木材で幅1m程度の道が整備されている。シンプルな一方通行である。ただし、利尻島のそれよりも、高地にあるのか、空気が澄み、張り詰めていた印象。そして、広大だった。

日本地図を見れば、北海道の端にある細い半島だ。地図の縮尺と大きさによってはつまようじくらいの太さしかない。それでも、こんなにも大きく、広い。樹木が太い。倒木を見れば根も太く、四方に広く伸びている。湖はどこまでも澄み、陽の光を素直に反射させて景色を逆照射する。空は青く伸びていた。僕らは開放感を身に纏い、ヒグマ避けのための発生音がどこまでも大声になっていく。

都心の全裸男性は知床国立公園で発生すれば類似の開放感を味わえるのに。

知床半島を出た。ここで14時ぐらいだっただろうか。続いて摩周湖に向かう予定だったのだが、複数の友人から、野付半島をお勧めされた。野付半島という名前を知っている人はどれくらいいるだろうか。僕は知らなかった。調べると、知床と根室のちょうど中間地点にごく小規模な半島だった。

知床と根室の間のピンが立っている箇所が野付半島。こうみると、根室も知床対比小さいものだ。

砂嘴としては日本最大規模らしい。砂嘴となるも半島となるなかれ。

鶏口牛後(けいこうぎゅうご)の意味・使い方 - 四字熟語 - goo辞書

野付半島の話の前に、その手前にあった町・標津町について、2つ話したいことがある。1つは、絵に描いたような廃工場があったこと。鉄骨とトタン屋根だけが残り、壁など消滅している建物の中に、多年生の草が生茂っていた。鉄骨だって赤茶に錆び、屋根にも穴が空いていた。あまりにも僕らが想像する廃工場だったため、対向車線にあったのだが、車を止め、少し見学した。植物のたくましさを感じた。

もう1つは、街宣車がちらほら目についた、ということ。車の後ろには、市谷駐屯地で自刃したノーベル賞作家の演説中の像が転写されていた。写真は掲示しないが、もちろん彼ら彼女らの論点は北方領土奪還のようだ。その論点とは逸れるが、それを見て思ったのは、エリア・性年代・社会階層・個人的関心によって、知識や主張を持つ政治イシューは人それぞれ違うんだ、という当たり前のことであった。人は、暮らしている。暮らしの余剰分でしか、他者や社会のことは考えられない。そこで全ての政治イシューを考える、というのは不可能だ。

道東では、以前の記事に載せたように、コンビニの駐車場にも立て看板が立っている程度には、北方領土返還は身近な論点だ。ただ、道東の人は、北方領土問題を、自分たちと同じ程度の知識や主張を持たず、行動もしない人たち(例えば、都内出身都内在住10代)に対して、劣っているとなじるのだろうか。少なくとも僕は聞いたことはない。一方で、いくつかの政治イシューの場合は趣異なり、自分たちと同程度に知識・主張を持たない存在を劣位だとなじっている。一つのロビイング手法として機能しているのかもしれないが、非常に焼畑的だな、と感じる。その特殊な政治イシューに思いを馳せた。

野付半島は、その先まで車で行くことができた。道中は、左手に海が、右手には林が見えた。林の中にはときたま沼があり、美瑛の青い池のように、立ち枯れしている木があった。この沼も、名前がないようだった。途中にあるその沼を見るべく。停車して扉を開けると、大量のアブが車に付着していることに気づく。アブというのはすごい。存在感があり、ゴキブリや蚊よりも、ドブネズミに近い嫌悪感を味わえる。なぜだろうか。ともかく、アブが嫌で再出発しようと扉を再度開けると、アブが車内に侵入する。そして、それを出すために窓を開けるとまた……。先端に着くまで、助手席の同伴者は戦うことになった。

時刻は18時前。夕焼けが遠くで落ちている。先端にあるネイチャーセンターの駐車場に車を止め、さらに先まで歩いていった。空が広く、波も静かで、弱い風に、雑草が揺れているだけの場所だった。空には雲もなく、海と空の境目を、落ちかけた太陽の反射で白く光らせている。こういう景色に出会うと、昔はよく、過去の女のことを思い出していた。今はそんなことはない。同伴者がいるからか。それとも、老いたからだろうか。遠くに鹿が2匹いた。誰が作ったかわからない、ボルタンスキーみたいなオブジェもあった。

No man's land

僕らは、互いの旧友の話をしながら歩き続け、話を終えるころには先の先に着いていた。鹿は後ろで小さく見えた。

野付半島は非常に良かった。まずドライブ体験が良い。一本道で、夕焼けで。砂嘴だからこそ、海を実感しながら走ることができる。半島やビーチにはない、心もとなさ。海に飲み込まれるのではというふわっとした恐怖。自然と比べた時の、人の体の物理的質量的な頼りなさ。人も少なく、なにかあっても助けを呼べないかもしれない。サービスエリアで感じる郷愁に近いものを感じた。

19時には根付半島を離脱した。摩周湖に向かう。内陸に向かうからか夜になったからかわからないが、肌寒くなった。北海道に来て初めて上着が欲しいなと感じた。道中にケーズデンキがあった。北海道は電化製品が売れるだろうなと思った。

21時過ぎに摩周湖付近に着いた。家族経営の銭湯で体を洗い、家族経営の焼肉屋で肉を食べた。ともに、町内会のおじさんおばさんや、親戚がやるような、世間話のていで、属性を探られるコミュニケーションをされた。実家で暮らしていた頃を思い出す。

焼肉屋には、なぜか四千頭身がきていた。

これらの店は摩周湖から少し離れた摩周駅付近なのだが、今日泊まるのは摩周湖そばのホステルだった。行くと聞き覚えのある音楽がboseのスピーカーから流れていた。たしか、tofubeatsだった。こちらに来て初めてシティーポップを聴いた。

店主は20代中盤くらいの男性だった。都内でウェブデザイナーをしていたが、地元に戻ってオーナーをしているとのことだった。属性が近い。旅先で、自分の居住地での暮らしを思い出す。外国旅行をしているときに、マクドナルドでご飯を食べるのと相似だろうか。

北海道一周記・2022夏シリーズ
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