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北海道一周旅行記(3/n)【旭川〜美瑛〜網走〜知床】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

5日目【旭川〜美瑛〜網走〜知床(ウトロ)】

旭川に来たのは旭山動物園に行くためではない。例の中学校を見るためだ。いじめで取り沙汰されたこの地はきっと、閉鎖的な田舎だろうと思っていた。一向に情報開示や建設的な再発防止策が採られないのは、全国区の報道機関よりも、地元の名士=ヤンキーの後光が強いのだろうと。少なくとも、前者の仮説は間違いだった。例えるなら元住吉-日吉-綱島の一帯と同規模に栄えていた。ブックオフもありそうだ。

安安もあった。

その日は雨だった。小雨だったが、その日の予定であった層雲峡を諦めた。層雲峡はちょっとしたハイキングだ。小雨で体温が下がり、登り坂を歩いた先に、それで良かったと思える景色があるか分からなかった。その分、予定を前倒しで進めようと判断した。この時点では予定通りの進捗だったが、旅は後半の方が予定が詰まっていたので、サクサク進めたかった。ただ、旭川中学校は見たかった。

例の中学校

旭川中学校は、市街地のど真ん中にあった。四方を道に囲まれていて、校舎裏にはグラウンドと、その駐車場があり、部活動を見に来る保護者や、先生が通いやすそうだなと感じた。天候もあいまって『少年のアビス』のような雰囲気はあったが、想像よりは平凡な中学だった。本当に、どこにでもおきうるいじめがエスカレートした事件だったんだろうなと感じた。加害者の属性という個体要因に帰すよりも、集団になればいじめが発生し、そのうちの一定割合は、群衆心理で凄惨な帰結を迎えるという構造要因に帰したほうが、正しく説明・再発防止ができるだろうなと考えた。

該当事件ではなく、いじめという事象に対してだが、ホリエモンもサカナクンも同じようなことを言っていた。大学では、それまでの学校対比いじめが少なく感じるのは、こういった理由からだろうか。いずれにせよ、被害者の辛苦に思いを馳せ、彼女のご冥福を祈り、学校を後にした。

というわけで、翌日以降の予定で進むことにした。まずは美瑛のいわゆる『青い池』だ。長い林道を走ったのちに現れたそこは、北海道の中でも観光地化が相対的に進んでおり、久しぶりに駐車場料金もとられた。時刻は11:30であった。

駐車場。関東の大規模SAほどはあった。

青い池は、軽井沢と同じような雰囲気だった。家族連れが池の周囲にたくさんいた。ウェディングフォトを撮影している人もいた。池の周りには白樺が乱立していた。その隙間を縫って、同伴者が三脚を立てていた。

僕の目の前に家族客がいた。父親と、おそらく中学生くらいの子供が歩いている。子供は学校のジャージを着ていた。二人は母親に言われて、写真を撮っていた。もう最後だからな、と謎のマウントをする父親と、不機嫌そうに振る舞う子供。父親が肩に手をかけ、母親がスマートフォンで写真を撮る。昔の自分を思い出して、苦い気持ちになった。まあ、まさに親離れ・子離れするタイミングなんだろう。人は、それまで神・常識・倫理であった親を殺し、自分と同じ、時にもろい存在としての親を受容するタイミングがくる。それが反抗期であり、その子にとっては、まさに今なんだろう。

虫を探す。イナゴとアリがいた。イナゴは本当にどこにでもいるなと思いつつ、アリは赤く、見たことない種類だった。その後ずいぶん長い間ネットで調べたが、ついぞ分からなかった。

写真に収めておいた。

青い池を離れて次へ向かう。次は網走だ。北東に進む。そこから2・3時間の運転となった。この頃にはどのタイミングで運転を切り替えるかはなんとなく決まっていった。

次の目的地への移動とはいえ、車窓からでもいくらでも気付きはあるものだ。まず、家の作り。玄関が家全体に対して出っ張っている凸型の建物よりも、凹型の建物が多かった。窪んだ箇所に蓋をするように、ガラス張りの透明なゲートが設置されている。雪をヘッジするための二重扉なのだろう。そういえば、由比ヶ浜そばのローソンも同じような二重扉があった。

煙突も多く見た。

次に景色。それまでは海沿いや島だったので、この日初めて牧場というか、吹き抜けた平地での景色を見ることとなった。旭山付近は四方を山に囲まれ、見晴らしは良く、空は広かった。

住民はこの景色を広いと思うのだろうか。それとも、この山までが自分の世界の限界と感じて、息苦しくなるのだろうか。『紫苑物語』の宗太や『進撃の巨人』のエレンなら、脱出しただろうなと考えた。

ちなみに紫苑物語は2019にオペラとなっていた。再演されるのであればぜひ行きたいものだ。

この付近には、椅子メーカーの有名店だか、博物館だかがあると友人から教えてもらったが、行けなかった。北海道に一家言ありな友人が多く、非常に助かっていた。お勧めされた場所は大抵いった。これもセレンディピティへのベットだ。

13時過ぎにマルセップを通過した。付近は引き続き山が多く、ザ・緑であった。雨も病んだり降ったりを繰り返していて、窓を開ければ湿った土の匂いがした。油断していると、牧場の牛糞の匂いが襲ってくるので常時あけておくということはできなかったが。マルセップ付近には遠軽瀬戸瀬という地名があった。異なる尺度の過分と欠如を意味する字が併記されており、ひっかかったのだ。その後、安国駅を通過。奥多摩くらいの規模で、ほどほどに家やセイコーマートがあった。

追って書くが、北方領土返還への意識もこのあたりから強くなり始める様子だ。

16時前に網走監獄についた。関東のショッピングモールほどの非常に大きな駐車場に車を止め、ちょっとした傾斜を上りながら、入り口についた。受付では、コロナ対策の一環だろうか、どこから来ているのか問われた。旅行客であることが周りの客に聞かれたときに、少なくともポジティブな評価をうけることはないので、小声で東京と伝えた。入り口にはブリキだか木造だか忘れたが、かなり精巧に作られた人形が、当時の門番の格好をして立っていた。

網走監獄はディズニーのようだった。広い敷地に見所が点在している。明治の5大監獄の建築家だかの展示もしていた。5大監獄は、千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島であり、その多くが現存していないらしい。

ちなみに池袋サンシャインシティのそばに、巣鴨監獄跡地もあるそうだ。ぜひいってみたい。『RAINBOWーー二舎六房の7人』という漫画が大好きなのだ。『サンクチュアリ』の終盤現れる政界のフィクサーも巣鴨プリズン出身だった。男性性の濃い2作である。

展示物の文言に、行刑が建築する、というものがあった。目的が先にあり、手段として初めて、建築が現れるというわけだ。この姿勢は、個人的には望ましい。少し前までデータサイエンティストとして手段オリエンテッドにキャリア構築するぞと思っていた僕も、プロジェクトマネージャーをやり、目的オリエンテッドな脳味噌に作り替えられてしまったのだ。展示はシンプルで、大学生のボードのようだった。誤字もあった。

囚人舎にいくと、木造の古びたカビ臭さがあった。中央に役人が監視しており、放射状に5本に伸びた、典型的なパノプティコンであった。独居房は4.9平米だった。入ってみたが、ギリギリ枕投げできないくらいの規模だった。

なお囚人たちは、今の道内にも残る幹線道路開通事業に駆り出されていた。凍死・事故死の多い、大変な労苦であったそうだ。ほかには農業がなされており、敷地内には豊作を祈る小さな神社があった。囚人たちにとってはここへのお参りやお手入れが、数少ない心がおだやかになるタイミングであっただろうと考えた。原始宗教の意義を感じた。

その後、腹を空かせた僕らは、札幌のタクシードライバーから聞いていたお寿司屋さんに向かった。関東の国道沿いと類似の発展をした街の幹線道路沿いに、そのお店はあった。

ここに来るまでに、根室花まるのような安い大きいうまい! という前評判の回転寿司屋に行ったが、そこまでの感動はなかったため、このお店もそこまで期待してはいなかった。しかし、結論とても良い店だった。

商業の匂いに警戒したものだった

安いうまい大きい! もあったが、なんというか、地元民の回転寿司屋への向き合い方を感じられ、新鮮な気持ちになったからだ。僕らの席の斜め前は、20歳前後の女性2人がすでにいたが、明らかに僕らよりも頼む量が少なかった。話に夢中で、おそらくスタバにいるのと同じような感覚なのだろうと推察した。少しいい雰囲気の中で、友達と世間話する場として、網走のこの回転寿司屋は機能していた。サードプレイスな回転寿司屋は初見だったので、新鮮に感じた。店員の愛想もよく、オペレーショナルな接客の良さとも、職人気質な接客の良さとも違う、まさにカフェ店員の接客のような心地よさを感じた。確か副店長だった気がする。天井も高く、居心地が良かった。もちろんおいしさあってのプラス要素ではあるが、とても良い体験をした。

俺たちの千原ジュニアも来店していた
その頃俺たちのジュニアは、ジェラードン・アタック西本にふんどしの匂いを嗅がれていた。

網走湖は大きかった。海もあり、ここまで大きい湖があれば、世界は水で覆われており、一部残る陸地に住ませてもらっているというような感覚になりそうだ。

網走湖

同伴者のカメラにて、長時間露光で水面を撮影してもらった。波が潰れ平坦になり、白くなった平面。雲、空、湖、山、林。昼間にあったそれらのコントラストがなく、一つに溶け合う。奇妙な融解に、自然の夜の深さを知る。

雲、空、湖、山、林
DIR EN GREYのARCHEのジャケットのようなものが撮れた。

時刻は20時過ぎだった。網走湖畔温泉という、文字通り網走湖そばのホテルにある温泉に入浴した。どこの湖のそばにもあるような、場末とまでいかないが、修学旅行生が来るような古びたホテルだった。昭和の香りというのか、実家の押入れが上品になったような香りがした。靴入れに敷き詰められた、クリーム色のスリッパに足を通す。そのままフロントで支払いをし、浴場に向かった。

浴場は広かった。親切にも異なる温度が表記された湯船が複数あった。露天風呂もあった。湖なので波の音は聞こえない。家族連れが多く、そこでもホテル併設なのだなと感じた。浴槽には幼児を抱えた初老の男がいた。眼鏡をかけ、痩せ型だった。少しして同じ体型で同じ顔つきをした若い男が近寄り、幼児を連れていった。なるほど三世代旅行か、と感じた、初老の男はそのままあまり動かずに、引き続き入浴をしていた。あまり表情は変えていなかった。息子に宿った父親の人格に、頼もしさを感じているのだろうか。

入浴を終え、最後のドライブを行う。知床に向かうのだ。そこで寝て、翌朝に観光船に乗るぞと決めていた。車中で、助手席の同伴者がホテルを探して電話をしていた。もうこの頃には、この地で、Googleマップの表示はあてにならず、電話で確認すべきことを互いに了解してきた。電話を終え、同伴者は僕に伝える。今晩の宿主は、お前が嫌いなタイプかもしれないと。同伴者とは長い付き合いだから、こういうフォローもしてくれる。ただ、会ってみると全くそんなことはなかった。同伴者はディフェンシブな判断をしてくれているということもわかっていた。流石の友人歴である。

知床のコンビニ。ついに熊の存在を感じ始めた

宿に着く。快活で、すこし距離感の近い宿主だった。僕が苦手なのは、客商売であったり、初対面であったりで、こちらが複数回へりくだってもかましてくる存在だ。それではなかった。

この熊さんのような人が宿主だった。思い出深い宿の一つだ

コインランドリーが併設されており、その詳細を説明された。生田斗真がCMに出ているジェルボールを受付で買うと、利用できるらしい。いくつか買って、洗濯を行った。

正直、何日も着回している服もあった。男2人でまだ加齢臭もしないはずの僕らは、あまり気にせずに着続けていた。そもそも互いの服装が前日と同じかなんて考えてもなかったな、とこれを書きながら思い返した。

車中に予約していた、翌朝の知床遊覧船について、本当に安全かを宿主に確認した後、寝た。全く覚えてないが、26時よりも前であった。

北海道一周記・2022夏シリーズ
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