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北海道一周旅行記(5/n)【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

7日目【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】

朝に車に乗り込もうとすると、宿の庭に猫がいることに気づいた。地域猫というやつだろう。やや痩せ形で、少し汚かった。こっちに寄ってきたあと、少しして宿のほうに戻っていった。そこには、つがいの猫と、子猫がいた。栄養を十二分に与えられ、去勢された都内の猫と、対照的だなと感じた。同じ種類でも、いろんな生き方があるものだ。人もまたそうだろうなと感じた。

今回の旅は、後半、すなわち今からの方が明らかに辛い。前半は、回るスポットが一日1つ2つだったが、これからは2つ3つ、もしかしたら4つになるかもしれない。そういう状況だった。東京に帰るまでに、摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖、釧路、根室、帯広、苫小牧に行く。くわえて複数の湖と峠を越える。札幌や稚内、知床のようにそれまで幾許かの思いを抱いていたエリアとは異なり、30年の人生で、これらのエリアに想いを馳せたのは合計15分もない。知識も思い入れもない。

午前9時には摩周湖に着いた。なんでも、摩周湖は展望台が3つあり、見応えに差分があるようだった。ただ、他にも屈斜路湖・阿寒湖が控えていたこと、小雨があったことで、少し保守的な思考に二人ともなったのだろう、1つの展望台だけ行った。摩周湖は盆地の底にあった。湖畔は崖となり、そこに木々が植わり、その外側に展望台がある。火口を眺めるように、湖までは距離も高さもあったのだ。これではテンションが上がらないのも無理はなかった。

摩周湖

ただ、摩周湖のそばに非常に綺麗な池があると、このとき知った。写真を見るに、格別だった。名を、神の子池と呼んだ。もちろん写真の妙もあるだろうが、コントラストがはっきりした湖と林。青と緑。湖には木が朽ちて沈殿し、そこを上下に淡水魚が回遊している写真だった。これまで見てきた景色はどれも雄大で、突き抜けるような空と、360度見舞わせる平原や海というものが多かったが、ここは毛色異なった。そして、予定が追加された。野付半島に次ぎ、2つ目の追加目的地となった。

残っているエリアは北海道全体において南東に集まっていた。どのルートが最適か。摩周湖を後にした僕は考えた。こういうことを考えるのが好きになったのはいつ頃だろうか。そして決めた。次は釧路に向かおうと。

9:30には、弟子屈(てしかが)という北海道特有の、読めないエリアを通過した。釧路では、釧路湿原を車窓から見れる電車、通称・ノロッコがある。ノロッコは日に2本だけ走っており、僕が弾き出した今後のスケジュールからして、11:30発の早い方の便に乗ろうと決めた。残り2時間であり、やや急ぐ必要があったが、結果乗ることができた。釧路の手前の道中のわらびというあたりには、産廃処理企業や、鉄スクラップ屋が多く、錆びた看板のラブホテルも目立っていた。釧路に着く前には、シラルトロ沼という場所もあった。カタカナの地名が点在するのにも慣れてきた。

シラルトロ沼

チケットと駅弁を急いで買い込み、ノロッコのあるホームまで急いだ。特別席を買ったものの、結果自由席でも問題なかったので、帰りは自由席に移った。そちらの方が、車窓を正面から見られるよう、椅子が線路と垂直になるように設置されていた。

塘路駅という、釧路湿原中央部あたりにある駅まで進み、その後折り返すのがノロッコだった。行きの列車では、隣の席に女子中学生が3人いた。有線のアップルイヤホンを得意気につけていて、可愛らしかった。同じくらいの年頃に、僕も音楽を聴くようになった。それが、そのときにできたせいいっぱいの背伸びであった。

書きながら思ったが、年下の制服姿の男女を見て、中学生か高校生かを判断できるのは自分がまだ若いからだろうか。確かに60代後半と、70代前半を見分けることが今はまだできない気がする。


撮影する同伴者

車中では、釧路湿原に点在する沼や林や川、平原や水門を交互に見ていった。車窓を撮影しようと機材を動かす同伴者に、女子中学生とは逆側に隣り合っていたマダムが声をかけていた。なんでも、彼女も旅行にきていたようだった。しかも一人で。なぜ一人で釧路なのか本当は聞きたかったが、景色を楽しみたいだろうし、諦めた。僕は定年後、一人で旅行するとき何を考えて、どこにいくだろう。車内アナウンスでは、「ここには沼が2つあります。特に名前のない沼なのですが」と流れていた。ここにも名前のない自然地形が存在していた。電車の指定席には家族が多く、子連れも多かった。子供が泣き、焼きそばパンを食べて機嫌を戻した。旅の背景音の一つだ。微笑ましくなる。

12:30ごろに塘路駅についた。ここで確か30分ほど停車して、散策してねという形だった。もっともノロッコのメインは車窓なので、塘路を散策することに重きは置かれていなかった。そして当路駅周辺施設も、30分の来客を刈り取ろうという姿勢はなく、塘路に終日滞在するカヌーの終日レンタル屋さんくらいがあるのみだった。少しして、帰りの電車に乗り込んだ。

自由席
鹿のプリケツ

帰りの車窓が終盤に差し掛かったころ、歩道橋が見えた。ところどころ錆びていた。釧路は久しぶりに栄えていた街だったが、北海道出身の友人には、衰退一途の街と言われた。この歩道橋が新設されることは未来永劫ないのかもしれないと思うと侘しさを感じた。熱海と同程度には栄えているのに、と思ったが、熱海も同じ状況だろう。日本全国でそうなんだろうとさらに思った。行って、戻って2時間ほどだった。

グッバイ釧路。元気でいろよ。

さて。次は根室だった。途中、火散布(ひちりっぷ)というこれまたかっこいい地名を通過した。さらに、牡蠣が有名な厚岸にも寄ろうかと考えていたが、その日水揚げされたものすべてが毒性の基準値を超過しており、提供されていないと、僕らの北海道旅行をインスタグラムから捕捉・ナビゲートしてくれている友人から聞き、これまた通過した。

この友人の話をしたい。彼は教養深いというか、体系化された知識が世界にある限り、それを吸収しないではいられない性分の男であった。同伴者と僕と、同じサークルに所属していた。複数の自然言語から校正・校閲規則まで、とにかく何でも知っていた。それも、机上で学ぶだけではなく実働も過分で、とにかく旅をしており、チベットにも中東にも、とにかく足を運んでいた。ただ、いわゆるバックパッカーのステレオタイプとは異なり、野性味溢れる男というよりは、知識の習得に貪欲かつ、その運用に潔癖だった。僕自身は、体系化された知識を習得しても、自分自身の知覚をもとに、物語の中でそれを語りなおすことを好んでしまうが、彼はそうではなく、体系化された知識をその構造のまま運用することを好んだ。構造のままテキストに配置し、他者に丁寧に受け渡すタイプであった。今振り返るに、互いの専攻が現代思想と法学であったことを踏まえると、さもありなんという感想だが。

なお、校正・校閲規則は、毎日新聞、NHKあたりが公開していた記憶。この男から教わったことは、僕も同伴者もとても多い。

途中運転を交代しつつ、根室の先端、納沙布岬に行こうと考えた。民間人到達可能最東端だ。時刻は16:30。早くも暗くなってきたなと思うと、霧だった。

霧はすごい。思っていたよりも、霧がかっているところと、そうでないところがくっきり分かれていた。すこし先の方に霧があるなと思った矢先に、一面が白く曇った。視界は5mほどで、運転が怖くなった。スピードを落とし、丁寧に運転して30分ほどで、目的地にたどり着いた。納沙布岬だ。

納沙布岬は都内の大型公園のように、まず平地があった。次いで北方領土返還関連の記念館とその建築物、平屋のお土産屋と飲食店が点在していた。

最東端という石碑を背景に、確か、ここで初めて2人で記念撮影をした。男2人旅で、三脚で記念撮影というのがなんとなく嫌だったのだが、将来振り返った時にあったほうが良いなと思い、僕から撮ろうと声かけた。思い出の複利効果を期待した。

その後それぞれ点在しているスポットを回った。同伴者は撮影をしていた。僕は一人北方領土記念館に行くと、入口に中年の男性がPCを開き、立ちながら電話していた。会話内容から察するに、コンサルかな、部下にレビューしてるのかなと感じた。久しぶりに都内や、仕事について頭を引き戻された。

記念館は、区民館のような展示内容だった。二階建てで、お手製の掲示物や年季の入った歴史資料。過去の特集テレビ番組を、繰り返して再生していた。地域の学校で、おそらく課され書かされた生徒の作文も掲示されていた。

子供ができたら、どこに連れていくだろう。例えばこの北方領土記念館に連れてきて、国内といっても一枚岩でないことを、場所によってソーシャルイシューは異なるということを体感できるようになるには、何歳からだろうか。人は、性、年代、国籍、親の所得や学歴、居住地によって、知っていること、考えていること、自分ごとなことが異なること。論破や啓蒙は一番簡単で乏しいコミュニケーションであること。互いの差分を知り、落とし所を見つけることが、コミュニケーションであること。互いの差分を知ること自体が、自分を豊かにしてくれること。

建築物は鋭角に傾いたアーチで、アシンメトリーなデザインをしていた。アーチの下、中央地点には火台があり、燃え続けていた。僕自身は当事者性を持たずに北方領土返還というイシューを捉えているためだが、なんというか、非常に必要十分なちょうどいい建築物だなと感じた。

空にはカモメが飛んでいた。群れを成し、空を虫食いにする。霧ははれ、夕方前の灰色がかった空だった。

納沙布岬を後にする頃には日は落ちており、運転が怖かった。空と道と車道沿いの住宅は、全て暗闇に溶け、信号機や反射板の光が、霧の名残を受けてぼやけて光る。人はいない。住民たちは夜何をしているんだろうと思った。そりゃテレビばかり見てしまう.こんなに寒くて暗い地の夜に、することはなにもない。同居家族との不和があったとき、打ち手のなさは都会との比ではない。親子喧嘩も贅沢品かもな、と思った。非行できるだけ、環境に恵まれているのだ。トー横キッズも、あの頃の僕も。

まあ僕は深夜散歩くらいだったが。

そうして阿寒湖に向かう。阿寒湖と屈斜路湖、裏摩周は明日の狙いだ。できるだけ阿寒湖に近づいて、寝ようというのが算段だった。ただ、その手前にアイヌコタンというスポットがあり、そこにも行くことにした。アイヌを題材とした、小規模な小売群とシアターがある場所で、駐車場に車を停め、降りるとよくわからない音楽が流れていた。映画の宣伝用音楽であろうものが、そのスポットに設置されているスピーカーから聞こえた。僕らはもう寝たいというのが正直な状態だったので、さっと周り、自分なりの理解を得て、帰還したかった。映画は時間とられるのでスキップだ。小売店を見に行った。閉店している店が大半だったが、いくつかあいており、店主と話をしてみた。

前述の男から、アイヌコタンはアイヌを商業利用している声もあると聞いていたので、その筋を聞きたかった。店員さんはアイヌなんですか? と聞くと、違うと答えた。アイヌコタンにアイヌの方はいるのですか? と聞くと、正確なところはわからないと答えた。なんでも、この地の経営者夫婦のどちらかの両親か祖父母がアイヌかも、とのことだった。なんともだ。血筋に潔癖なわけではないが、であればこのお店たちがアイヌコタンとして営む理由はなんなのだろうかと感じた。ブランドイメージだけ借りて、中途半端にそのブランドに自己同一化するのは、個人的には冷めてしまう。社会課題解決を謳いメディア露出をしながら、薬機法ガン無視で突き進むNewsPicks系起業家と同じ感覚を得た。

松田:だから言うたら、お金を稼ぐことにフォーカスできてる反社の方がしっくりくるまである。

中垣:うん、ほんまそうやと思う。なんやろう…本当に理想の製品とか社会善みたいなことが目的なふりをしながら実態は全くそうではなく、でもそこを突っ込まれたら「お金を稼ぐことが目的です」って言っとけばいいみたいな、そういう複雑で結局よく分からんことになってる気がする。

阿寒湖に着く頃には暗闇で、流石に今日のうちに阿寒湖を制覇するというのは不可だったが、とはいえ湖畔には行ってみた。阿寒湖といえばマリモであり、屈斜路湖や摩周湖は知らなくても、阿寒湖の名前は知っている人が多いであろう。阿寒湖という名前が、都会のクソガキであった僕らの耳に届いてくらいには、商業的なマーケティング戦略を感じるエリアだった。湖畔を眺め、坂の上にあるホテルに帰還した。途中、ローソンにも寄って帰った。

北海道一周記・2022夏シリーズ
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