見出し画像

北海道一周旅行記(1/n)【新千歳〜札幌〜稚内】・2022夏

本文の内容はあくまで個人の経験に基づく見解であり、それを必要以上に一般化する意図も、それと相反する意見を否定する意図もありません。一方でその上でも、もしお気付きの点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

全編のリンクはこちら。
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

プロローグ

もうないだろう。友人との長期旅行など。自分も周りも、仕事、結婚、育児、そして老化により、そんな長い期間、旅行することはできないだろう。というより、実際問題、大学卒業以降行くことはほぼ不可能だったはずで、今回は、2つの人生における閑散期がたまたま重なり、この旅を奇跡的に実現できた、というだけだ。

今回の旅は、今後の人生で行く可能性が低い地域を全て潰すことを目的にしていた。札幌や函館はもちろん、富良野のラベンダー畑や、旭川の旭山動物園は、出張でも家族旅行でも、今後いく可能性はあるだろう。翻って稚内や網走、知床は生涯行かないかもしれない。旅行をあまりせず、今後所帯を持ち、子供ができたら、その可能性はさらに小さくなるだろう。そういった場所、僕らの今後の人生に現れない可能性が高い場所を制覇しよう。それが、算段だった。

今振り返ると、かなり無謀な、詰め込んだ旅だった。北海道出身の友人にも「かなりカツカツだけど大丈夫か?」と言われていた。北海道に行ったことがない本州育ちの旅行素人だから立てられた旅程だったかもしれない。結果、10日間で2,700km移動した。行くことができたのは湖沼20箇所、半島・岬10箇所、国立公園5箇所、峠5箇所程度となった。

僕は旅行をほとんどしてこなかった。大学1年生のころ、アメリカに行くには航空券で数十万かかるときいたとき、そのお金があるなら本を買い、友達と喫茶店で話している方が、価値があると感じていた。その考えが10年以上続いている。

今もこの考えが変わったわけではないが、かといって、あの頃ほど旅への興味がないわけではない。特にこの旅を経て、いろいろと思うこともあり、旅への興味が増加した。より正確にいえば、僕には、定期的に旅をすることが必要だなと考えるようになった。東京で、一定の社会階層の中で生きていると、物の考え方や、今後の人生について、固定化され、過学習してしまう。有体に言えば、視野が狭まるということだ。北海道を旅行してみて、普段考えているような、形而上の問いからも、キャリアや恋愛・結婚といった人生双六とそれらのラベルを駆使したゲームからも、距離を取ることができた。僕は東京にいることで、自分の価値観や興味関心、他者への評価の仕方が凝り固まるとともに、本当にミクロな環境で、細々したゲームをしているんだな、と感じた。そのことは追って書いていこうと思う。

同伴者とはもう長い付き合いだ。僕が大学院生になった頃できた友人であり、最近できた友人のような気がするが、もう10年近い仲で、かつ会う頻度も高かった。親友というやつだ。今思えば、出会った時からそうなるかもしれないという感覚もあった気がする。

1日目【成田〜新千歳〜札幌】

成田。こういう写真もキャッキャ撮ってしまう。

初日は夕方に家を発ち、新千歳に着き、札幌に泊まった。前入りだ。移動は明朝からであり、1泊分の宿泊費が追加でかかるのは嫌だったが、ド朝に起きることなどできない。夜型なのだ。札幌に前入りすることにした。航空券を取ったのは、前日だった。

ということで成田に来た。前日に航空券を取得したため、ちょうど良い時刻で全く航空券がない。ピーチ航空の成田発で行った。

帰ってきてから知ったが、国内線なら羽田からの方が早く行けるらしい。羽田空港の存在価値が何かやっとわかった。

手荷物は普段使いしているリュックサック1つだ。この度は札幌への前入りを含めれば9泊10日となる。全日分の衣服を持つことは現実的ではないため、洗濯を前提とした荷物とした。

このときはコインランドリーがどれほどあるのかも何もかもわからなかったが、いってみれば民宿にたいてい付いていた。

着替えは2セットだけとしつつ、防寒具としてニットをいくつか持っていった。その他は貴重品とPCだけ。PCを必需品と考えるのはサラリーマン根性なのか、現地出来になった何かを調べたいリサーチャーマインドなのか。名古屋にも持っていったし、そもそも常にリュックの中にある気がする。

ピーチ航空では手荷物が2つ・7kgまで無料とのことだった。手荷物検査の前に、機能性だけが担保されている、強くコストカットが意識されているはかりが2つあり、スタッフがそれぞれの脇に立っていた。載せると7.1kgとかであり、0.1kg下げてください、と機械的に言われた。ポケットの中に貴重品やタオルなどを移し、通過した。スタッフの目線の先にあるベンチで荷物を移し替えたため、捨ててくださいなど言われるかと思ったが、言われなかった。お役所対応というか、タスクワーカーといった感覚を受けた。全然それでいいよな、と思った。コンビニ店員も座ってスマホいじってれば良いのだ。勤勉さに限らず、自分の価値観は、その多少はあれど、どうしても他者に押し付けてしまう。自分にも他人にもゆるくありたいものだ。

成田空港第三ターミナルのラウンジ。あまり大したものではなかった。

飛行機に乗る。前に乗ったのがいつだったかも覚えていない。おそらく5年以上前だろう。滑空までの移動時間が意外と長いなと感じていた。機内では冷却用の水蒸気が出ている。なかなか飛ばないと感じていたら、走り出す。全く違う速度で。そして飛んだ。

飛行機の中では、オフライン保存していた今週の踊り場D.C.ガレージを聞いていた。1時間半とのことだったので、この2つを聞けばつくだろうという算段だった。飛行機の中は結構嫌いなのだ。移動もしにくく、車窓も変わらないから。

しばらくして、秋田県と岩手県の間上空1100キロメートルにいるとのアナウンスが入った。揺れる、とも言っていた。plastic treeのあまのじゃくが流れていた。お笑い芸人の深夜ラジオは倍速再生で聴き終わっていた。その後18時前に、着陸体制とのアナウンスがあった。窓を開けると、陸地と海の境目だった。深い蒼と深い緑の境目。雲が心細くたなびいていた。

新千歳空港についた。同伴者とは航空便が異なっていたが、到着時刻がほぼ変わらなかったので待つことにした。ラウンジに行くほどの時間でもなかったので、そばのソファに腰かけた。電源もあり、携帯を充電しつつ、少し離れたところに座っていた。札幌や北海道の治安感覚はどうなんだろうとふと思った。沖縄の離島に行った時は、治安が良いというか他者信頼というかなんくるないさ精神で、置き引きを気にしない感覚があった。札幌はどうだろう。地方中核都市として、沖縄の離島対比では治安感覚は厳しいかもしれない。今回の旅で行くようなエリアはどうなんだろう。そんなことを一瞬考えた。テレビにはミヤネ屋が流れていて、参議院選に関連した、件のニュースが流れていた。

同伴者と合流したので札幌に向かう。同伴者は撮影機材や集音器など、かなり機材が多かった。今振り返ると、荷物はほぼずっと車の中なので、荷物の多い少ないはほとんど問題がなかった。札幌に向かう快速ライナーは意外と人は多く、かつ、皆薄着だった。ホットパンツの女性や、女友達同士で旅行に来ている大学生の集団などがいた。外国籍の方もいた。

新千歳空港駅の隣は、南千歳駅だった。その次は千歳駅だった。大きいエリアなんだな、千歳って、と感じた。空港側はこんなもんなのかもしれない。日暮里スカイライナーの付近の駅も青砥など、田園風景とまではいかないが、かなり広く土地が余っているように思う。

初日のホテルに向かう途中、札幌の電波塔が見えた。北海道ならではのひらけた土地に、ひとつだけ、細く、程々に高い塔があるというのはなかなかに良いものだ。ビールメーカー主催のビアガーデンが、複数あった。

札幌タワー

ホテルそばのコンビニに、ビックシルエットのカップルが入っていった。流行はエリア問わず共通しているのかもしれない。駒場祭の匂い、10月の匂いも合わせて感じた。夜は、少し冷えた。

ホテルに荷物を置き、早速ご飯を、と行動した。根室花まるに行きたかったが、2時間待ちのため諦めた。平日夜でこの並びか、さわやかと同じだな、と思った。ホテルに向かうタクシー運転手が、スープカレー、ジンギスカンのお店をお勧めしてくれた。なんでも札幌民は寿司は食べないので、観光地でしかないとのことだった。花まるだけでなく、トリトンも満席だった僕らにとってはすっぱい葡萄として十分機能した。「札幌の寿司は観光客しか食べてないよ。札幌の人は〜」と心の中で復唱して、ジンギスカン屋さんにシフトした。すすきのへ向かう。

すすきの
安心と信頼のMEGAドンキと観覧車。この組み合わせは名古屋・錦でも見た。地方中核都市セットか?

とはいえ。すすきののジンギスカン屋さんはどこも閉鎖的な空間だった。ラストオーダーや予約が入っているということでお客さんをケムに巻く。僕に対してラストオーダー22時と伝えた店員がその数分後にきたお客さんに対し、ラストオーダー21時と伝え追い出していたりした。隣の席にはパパ活旅行の女2人がいた。と思ったら、ただ声がアニメ声の女性と、その娘だった。僕の心が東京港区とTwitterに汚れていただけだった。

帰り、コンビニで「札幌のおやぢたちがナビゲーター『O.tone』」という雑誌を見かけた。おじさん水商売文化がある都市なのか、という気がして、笑った。

札幌・大通公園。大学生が集まって飲んでいた。代々木公園のような公園が、だいぶ住宅街そばにあった。

2日目【札幌〜留萌〜オロロンライン〜稚内】

レンタカー屋の掲示物。この頃は、この地図に恐れ慄いていた。

その日は10時に車を借りる予定だった。ホテルからレンタカー屋まで、1キロと少し。タクシーに乗ることにした。運転手は、運転の下手な初老の男だった。

レンタカーを借りた。さてーー。この瞬間から旅は始まった。まずは道北は稚内。理想はこの日中に、稚内からフェリーに乗り、北西の島の1つ、利尻島に行くことだった。フェリーの最終便が16時ごろで、間に合うかは未知だった。結果間に合わず、島から帰還後の予定だった宗谷岬に行った。

一本道での爆走。5時間半かかったが、この時はもう少しかかると思っていた。途中最北端のSAをうたう砂川SAに寄った。大分北海道中央に最北端があるのだな、と感じた。

砂川SAでは、ザンギというものが売っていた。今にして思えば北海道のどこにでもある唐揚げの亜種だったが、僕ら2人は初めて感じる北海道感に喜び、2人とも注文した。その後、街並みどこにでもあるセイコーマートに、冷凍食品でいくらでも販売されている料理と理解したが。また、喫煙所に掲示されていたポスターには、狐のイラストが書いてあり、動物に餌をあげないでくれ、と書いてあった。ここにも狐が出るのかとうきうきしたものだ。

運転は交互だったが、2人はトップバッターを嫌がり牽制しあった。結果同伴者がトップバッターを務めた。北海道の煽り運転はどんなものなんだろうと日和ったものだった。こういうところにも、その土地を味わう観点があるのかもしれない。ちなみに暴走運転で名高い名古屋で、タクシーの運転手に「名古屋ドライバーって本当に運転が荒いんですか?」と質問した時は、「どこも荒い人はいるものだ」と言っていて、なるほどと思ったものだが、まあ任意の指標で1位になった立場特有の謙遜だったかもしれない。東大生が学歴でないと言い、美男美女が中身が大事と言うそれと同じだったか。

結果的に、北海道で運転に困ることはなかった。ガソリンスタンドも多くあるし、煽り運転もいなかった。レヴォーグというSUVを借りていた。走行距離が膨大であったことや、山の砂利道も多く通ったことから、今にして思えば安さに目が眩みヴィッツやアクアを借りていたら終わってたかもしれない。ありがとうSUV。ありがとう夏という気候。

途中留萌で休憩したが、海岸沿いでーーといっても稚内までほぼ全て海岸沿いなわけだがーーなんらかの古い木造建物が並ぶところだった。そこに、バッタがいた。どこに行っても見るものは変わらないなと感じた。同伴者は何を見て、何を感じているんだろうかと疑問に思った。

稚内まで残り10%程度のところで、ここを曲がりたいと助手席の同伴者が言った。曲がると、オトンルイ発電所で、海岸の奥に島が見えた。利尻島だ。翌日の舞台。大地に目をやれば、大きな風車がいくつも並んでいた。僕らは一時停止し、撮影した。周りのバイカー達も、撮影していた。同伴者はついに機材を起動し、三脚で撮影していた。どこまでもまっすぐな道と、左に海、右に芝地で平地。空は晴れ、丸く包み込むような空と雲。360度カメラで撮影したような風景がそこにあった。今後、ずっと見るわけだが、そんなことは分かっていた。今後、もう○○の風景はいいよ、とだけ言わないようにしようと思っていた。

オトンルイ発電所

稚内市街についた。とうに16時を回っており、フェリーの最終便は出港してしまっていた。ちなみに今、「しゅっこう」と検索した際、予測変換で「出向」という仕事時に使いがちな変換が出てきて笑った。僕の有給消化期間ももう終わる。

まだ日はある頃合いで、数日後に見る予定だった宗谷岬に行くことにした。宗谷岬は、この旅で強く行きたかった目的地の一つ。というのも同伴者も僕も、漫画『はちみつとクローバー』が好きで、いわゆる聖地の一つだからだ。

ハチクロ全巻セットkindle版で、4000円しないようだ。読んだことがなければ、このnoteを読んでいる人全員に買ってほしい。読んでみて後悔したなら僕がお金払うので。

登場人物の1人、竹本君は、所属する美大の仲良しグループの中で弟的立ち位置で、終始自分のやりたいことや居場所を探している。そういう大学生のころに、抱きがちな問いを、他の登場人物以上に背負わされていた。

その竹本君は、ある日自室に1人いる時、冷蔵庫から聞こえるゴオンという音と、その中が空っぽであることに、携帯電話も持たず突発的に自転車で駆けてしまう。大学寮の友人たちに連絡もなく、突発的に。動機や目的地のない移動であったが、移動の中で最北端にいこうと決心する。道中、宮大工などの人と触れ合いながら稚内に到着し、また、「同じ数のペダルを踏んで」、東京に戻っていった。まあ、大学生の自分探しと言ってしまえばそれまでで、その旅をきっかけに宮大工を目指したり、好きな女の子に素面で思いを伝えたりと、自分の思いを等身大に抱え、それに基づき行動をできるようになる。つまり、稚内への旅は、大学生あるあるな問いを抱えた登場人物が、その旅を経て、過分な自意識を漂白し、自分自身をママ受け止めることができるようになる通過儀礼として機能していた。

そのため、我々2人は、もう5年以上前から、稚内をそういうものとして見ていた。同伴者はわからないが、僕自身はその頃からすでに過分な自意識というものから離脱済だったし、そもそも竹本君に感情移入したことが1度もないのだが。

とはいえ、さらにその前には、ほとんどの人と同じように、そういう時節があった。自分を目的語にしながら思考や行動をしつつも、それらが周りの目や社会規範や真理から見て「正解しているのか」で頭が一杯だった時が。意識高い系、東大生、ベンチャーでインターン、学問のゼミ生といった抽象的なラベルに、自己同一化してしまっていた時が。というか今この旅行記を書いている喫茶店の隣の席で、まさにそういう存在がいて、笑ってしまった。某VCは技術理解がないと同伴の女性に言っていた。個室でやれ。そういえば、銭湯の湯船内で友人に儲かってしょうがないと大声で話していた人が勤めている、過ぎし日に脚光を浴びたベンチャーは、その1年後には大量リストラを行っていた。

さきっちょ

宗谷岬についた。道中に宗谷岬が見え始めてから、15分ほど車を運転していた気がする。車で、かつ、まあまあの速度で15分なんだから、竹本君はよくこの道を自転車で移動したなと感嘆した。

この15分を使わずに、もうここで到着としようか逡巡する事はあったのかなと同伴者に聞くと、そういう思考ならそもそも自転車で宗谷岬向かわないですよ、と言っていた。まあそうか、と思った。道中でも十分岬らしさはあり、海沿いの道で、その先に南樺太も見えた。陸地に目をやると、すぐ山になっている。七里ヶ浜から見る、江ノ島方面のような景色だ。十分満足できる経験ではあるが、確かに、「宗谷岬に行くこと」を強迫的に目指してこその旅だったはずで、それならばそうか、と感じた。

こういう思考を、僕は反知性的だなと思う事が多い。ではなぜ竹本君は宗谷岬のモニュメントで満足できるのか、禁止されていない場所の中でも、少し茂みのある海辺におりたてば、より最北端じゃないか、と考えてしまう。一方で、何かを素直に、強迫的に思い込めることというのも素敵な心だな、と感じる。シンプルで、健やかだなと。僕の思考はどこまでも、自分自身が論理や言語を駆使して整理しないといけない。竹本君の思考は、すでにある、他者が整理した思考を前提に行われている。そちらの方がより遠くにいけるのかもしれない。健やかに。

地図。こういう旅先の地図を、1度の旅行で何度も見ることも珍しいだろう。

この度1つ目の大・目的地。最北端の碑は、幾何学的な、化学構造式のような、四面体をしていた。一定距離をとって、弧を描くように、それを撮影する人たちが並んでいた。僕は、この日の300km近い移動と、これが今後1週間以上続くことに思いを馳せて疲れていた。駐車場そばの芝生に寝転び、海岸線を眺めていた。海が広い。本当に、この先にはもう「別国」がある。南樺太。

同伴者の曾祖父は南樺太に渡っていたらしい。何か思うことはあるだろうか、と考えた。当時、南樺太に渡った方々の属性はわからないが、心情的には多少のリスクを取りながらも移っただろう。居住地を変えるというのはなかなかに大変なことだ。それも、つい最近自国の領土になったばかりの土地。ベンチャースピリットなのか逃避なのかはわからないが、いずれにせよ、1つの意思決定だろう。誇りに思っているのだろうか。自分を照らすと、親族を誇りに思う感情というのも、僕はつい最近手に入れたな、など考えた。

舗装された道路の端は、降りの坂になり、繁みとなっていた。その先には海岸線があり、その手前には岩石が転がっていた。そこに行き、生き物がいないかと考えて、そこに行った。任意のエリアを規定された形で享受することは僕はあまり好きではなく、感性に合わせて、宗谷岬を感じたかった。まあそんな大げさなこと言わなくても、海辺にいきたかったのだ。

真の最北端にいたウミネコ

いくつかの岩石の上を転々としたのち、一つの岩石の上でしゃがんだ。海の向こうには、水面に1つ頭を出していた岩のうえに、ウミネコが止まっていた。にゃあにゃあ言っていた。同伴者は、遠くで夕日を撮影していた。

宗谷岬の陸地側
その上にある景色。この旅でシカを初めて見た。

ちなみに北海道の北の先は、左右に2つの岬があり、右に宗谷岬があった。左にノシャップ岬があり、そのそばにフェリーターミナルがある。そのそばの宿に泊まった。移動時刻が読みきれないので、宿はその日の夕方にとるようにしていた。2つの岬の間には10kmほどの道があり、「稚内」もここまで広いのかと感じていた。

北海道一周記・2022夏シリーズ
(1/n):【新千歳〜札幌〜稚内】
(2/n):【利尻島〜礼文島】
(3/n):【旭川〜網走〜知床】
(4/n):【知床〜野付半島〜摩周湖】
(5/n):【摩周湖〜釧路〜根室〜阿寒湖】
(6/n):【阿寒湖〜裏摩周・神の子池〜屈斜路湖〜和琴半島】
(7/n):【和琴半島〜美幌峠〜三国峠〜タウシュベツ川橋梁〜帯広】
(8/n):【帯広〜ナイタイ高原〜十勝牧場〜帯広】
(9/n):【帯広〜豊似湖〜襟裳岬〜苫小牧】
(n/n):【苫小牧〜新千歳】

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?