見える部分しか評価できない世界のなかで生きること
人なんか他者のことを10%も知っていない
表面上のさらに表面上の上の方しか見てなどいない。
しかし、それなりの関係性であったり、情報の交換条件と自己開示をすることによって30%ぐらいは知ることができるかも知れない。
あるいは、「褒めて欲しい.見せてみたい」気持ちが強い人たちから、聞いていないし、知りたくもないけど話してくる人もいるだろう。
ある程度、清潔感を保ち、ギリギリではないけどギリギリ辺りの生活水準を保ち、メディアリテラシーを高めるよう努力して、ある程度ほどでいいから他者の気持ちを読み取ることができていれば「ある程度以上」に見られることもできなくはない。
ある程度のところに、色々なエッセンスを加えて・添えて・培っていったら、不思議なことに”上等”な人にもなることができる。
結局、人は自分のことで精一杯だし、踏み込んで見ようとするのは婚姻関係を結ぶ人ぐらいだろう。それでさえも知らない事実はごまんとあるのに。
容姿が悪くても、華やかな日常ではなくて、人が周りにて同じぐらい人たちの中で笑っていればそれだけで幸福にもなれる。
自分が無理にならない程度の嘘を続けることができれば、寂しさを忘れることもできるかもしれない。
仕事は何をしているかなんて言わなければ、深くは詮索もされない。普通に働いているといえば、派遣社員だなんて思われない。
学歴も特に何も言わければツッコミを入れる人以外は何も言わない。
恋人がいた事なくても、清潔感と少しだけコミュニケーションが図れれば0人だとは思われない。
誰もがある程度の年齢にはなれば「ない」という事実を勝手に排除してくれるからである。
となればセルフプロモーションは、案外簡単だとも言える。
なぜなら、「余計なことを言わな」ければ煌びやかに居続けることも可能だからだ。
上手いことSNSを使用して、上手く情報を得てコスパよく生活し、他者を尊重しながら発信をすれば「恵まれた人」になることができる。
常日頃からボロが出ないように「着飾る道具」を見つけ続けて使用しなければならないが低予算高コスパなものを見つけ出せたなら、人を簡単に騙すことが出来てしまう。
所詮、見える世界しか人は評価できない。
ただ、それは日常生活のみではある。
転職や学歴が求められる場面、それこそ能力の部分は嘘は使えない。自分のなかだけで留めておくことになるし、唯一傷つけるのは自分自身になる。
それでも他者という存在に、自分自身を上手く映すことができて、少しでも生きやすくなるのであればいいのかもしれない。
誰かに特別な感情を持って貰いやすくなるのなら、それもまたいいのかもしれない(大部分は容姿だけれど)。
誰も本質を見ようとはしない。表面上の見てる部分だけしか見えない。そんなものであるからこそ、一部の人々は厄介になる。
とにかくキラキラしたものだけが必要な人々は、全てにおいて生き急いでいるのだろう。そして、知らぬ間に多くの人を傷つけていることにさえ気がつかない。
よく自分を見せるためだけの人は、「人を選別し、人の気持ちを台無しにし、自分と自分を着飾ってくれる人のみに注力」することになる。
それはそれでもいいのかもしれない。
その人が近くにいなければ、あるいは味方の中に紛れ込んでいなければである。
見える部分だけしか評価できない世界の中では、「余計なことを言わない」ことや「人が人としてのことをやる」だけでそこそこには勝手に評価されていく。
けれど、それはそれなりの評価でしかなく、やはり努力が必要になってしまう。
こうしたことを無意識に若い頃に気がついていたならば、もう少し違った世界があったのかもしれない。
そして、とにかく人間関係を安定させていくことが大事なのである。
見えない部分でしか評価されない世界でも、自分を否定するしかしない人や好きになってくれない人の中で過ごしてはならない。
それが無くなるだけでも、心が穏やかで生きやすくなる。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。