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学校の「学年制と単位制」の歴史


はじめに


いきなり蛇足であるが

9月入学の話題が取り上げられているが、私は反対である。

具体的な反論を「今」は持ち合わせていないが、9月入学に移行することで恩恵を受けられる人間は、ごく一部の「エリート」のみであると思う。多くの国に合わせたシステムにすることで、競争や意欲に火をつけようとしているのだろうが、その前にやるべきことが山積しているはずである。

そして、9月入学にする際には、やはり一度考えなければならないことがでてくる。それは、「学年制」に関する問題である。

通信制・定時制高校から全日制高校への転編入学が困難とされてきた理由に、学年制と単位制の問題もある。もしも、こうした問題が解消されることで可能になるのだとしたら・・・。いいことなのかもしれない。

今回は、学年制と単位制に関する先行研究紹介で進めたいと思う。

(1)学年制と単位制


佐々木 1982 「高校における学年制と単位制」 pp:96-97,100‐101 引用

1889年の「中学校編成乃設備規則」においてはじめて「学級ハ同学年ノ生徒ヲ似テ編成スヘシ」という規定が行われ、これ以後今日の意味での学年制が一般化していったものと思われる。(p:96)

また、佐々木は高等学校の学年制の根拠を

「学校教育法施行規則では、多くの条文が直接に「学年」に言及している。(p:97)」

と述べているが、現行の学校教育法施行規則には、高等学校への「学年」に言及しているとされる部分が見られない。

しかし、わが国戦後の義務教育制度が基本的には年数主義(教育法)、年齢主義(学校教育法)に立脚していることが正確に理解されていない(p:100)。

とする思想が、教育全体に作用し義務教育にととまらず後期中等教育にも年数・年齢主義の思想が色濃く存在していると考えられる。そのため、現在の高等学校の多くが「学年制」という制度を用いているのだろう。また、この問題は、教育全体への問題へと発展させることができる。

 単位制の誕生『学習指導要領一般編』(1947年)

他にも佐々木は、学年制と単位制の進級の関係について

「進級の判定基準に関連して、また原級留置した場合の既修科目の取り扱いに関連してとりわけ鋭く現れる(p:101)」

と述べ:

 1、高校における進級基準は学校毎に定められ、一定していない
 2、ある単位数の修得という単位制から予測される基準以外の要素が進級基準として採用されている
 3、基準が公表されているかは別として、高校の進級判定は一定の基準に照らして厳密に―ある意味で機械的に―行われていることが推測される。
 4、進級基準が公表されていないため、単位制と学年制との関係の理論的実践的究明が遅れていること

と指摘している。現在、多くの“全日制高校”は学年制であり、

通信制高校の93.8%(定通研,2011年)

が単位制としている。ここで疑問が産まれる。全日制から通信制に移る際には、単位相互という方法を用いれば単位の移行は簡単とされているが、通信制から全日制への単位の移行は、上記の1~4の問題が鋭く問われる。

全日制高校から通信制高校へ転籍した場合、前席校の単位をかなりの確率で全て認定できることもある。ある都や県に問い合わせをすると「通信制から全日制は課程が違うから」という門前払いを受けるが、その逆の場合は読みかえ等の柔軟な対応を行う。事情があるにせよ教育行政側の語りを信じるならば、本来は逆もできないはずである。


矢野 1985 「高校における単位制の成立事情」

(孫引きです)
学年制とは、「学年という期間の単位で当該学年の教科・科目全体の履修と修得の状況を評価して、その課程の修了を認め、上位の学年における課程の学習を進ませる制度」

単位制とは、「当該教科・科目毎に履修と修得の状況を評価し単位認定する」

 単位制の導入課程は、佐々木の論文でも述べている1947年の指導要領や矢野が根拠にあげた「新制高等学校実施の手引」などにみられる。そのなかでも矢野は、単位制導入の過程には、二つの契機をあげた。

①選択制の採用にともなって、学習量を測る統一的基準が必要となること、および②全日制課程と定時制課程(夜間を含む)に同じ基礎を与える必要があること(p;25)

である。
 矢野が二つに分割したのは、単位制導入をめぐる過程にそれぞれ別途に切り離れるためであった。そもそも「単位制」の導入は念頭に置かれたのは全日制課程であり、定時制課程に導入されるには時間がかかってしまう。CIEのオズボーン担当官などの指摘の下で導入されるのだが、定時制課程に単位制が有効な理由として、さらに矢野は「新制高等学校実施の手引」より引用している。

 「定時制の場合には、学年が統一的に行えないし、誰もが同じ教科を同じ学年でやるとは限らないので、単位制によっては、これを調整し統一する他に途がない。また、定時制の課程から通常の過程へ、又はその逆に、転学や転籍する場合にも、全ての既修の単位の種類と数によって、それが円滑に運ばれることになる。(pp;25)」

 記述をみる限り、単位制とは戦後の教育を“フレキシブル”にするための革新的な手段であった言える。初めは、全日制へと導入された単位制が、後を追う形で定時制にも導入され、より円滑な教育を行うために両課程に存在していた。しかし、現在では、“単位”の概念は存在して使用されているが、制度的にはあくまでも全日制課程の多くは「学年制」を使い続け、定時制に関しての約半数が形態をとっている。


 そして、「また」の下りをもう一度みてもらいたい。定時制から通常の課程(当時、通信制課程というのは“定時制に付随した”形で存在しているため全日制課程と推測できる)に転学や転籍することが明記されている。通信制課程が定時制から独立していく途中で文部省から出される、「中等学校通信教育指導要領(試案)補遺」(1950)にも流れを受けて、通信制課程から全日制課程への転学や転籍は可能であると書かれている根拠ともいえる。そして、学校教育法施行規則へと繋がっていくのであるが、2015年の学校間の転籍や転学などは“特定の事情”のみ許可されているといっても過言ではない。

 通信制から全日制課程への転学・転籍は事実上“不可能”され、できなくなっている状況である。しかし、このような歴史の流れや成り立ちをみていくことで、“可能”であると制度上アプローチすることができる。あとは、慣例的にどのようにして“不可能”とされたかを研究する必要がある。

引用文献


 佐々木享 1982年 「高校における学年制と単位制」『高校生活指導』 明示図書出版
 矢野裕俊 1985年 「高校における単位制の成立事情」『教育学論集』
 全国高等学校定時制通信制教育振興会 2014年 「高等学校定時制課程・通信制課程の在り方に関する調査研究」

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