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メンタルを強くする「支点」とは、わたしにとって「書くこと」である

たまたまネットで『メンタルが強すぎる人がやっている「最高の習慣」ベスト1』という記事を見かけた。
下記にリンクを貼っておきます。

わたしのこの記事は、このリンクの記事に対する感想文です。

先にリンクの記事をご覧ください。

この記事に、特に疑問もなく共感や感嘆を覚えたなら、わたしの記事を読むのは時間の無駄かもしれません。
この記事にあることを実践なされば、強すぎるメンタルが手に入るのでしょうから。




記事に掲げられている大前提のお話を大雑把にまとめると、こういうことです。

メンタルを、テコの原理で考える。
テコの原理とは、力点、支点、作用点である。
公園の遊具のシーソーで例えれば、シーソーの自分側を力点、反対側を作用点、シーソーの板を支えている部分が支点となる。

力点 → 自分の心の状態
作用点 → ストレス
支点 → 自動思考(何かの出来事に対して抱いてしまう不安や恐怖など)


作用点には、記事中のイラストにもありますが、『ストレスが乗っている』と捉えればわかりやすいでしょう。
ストレスの大小は様々。
シーソーでそれが持ち上げる、つまりストレスが軽くなるというイメージです。

平らな板だけの状態で反対側の物を持ちあげるのは大変だから、テコの原理がよい。

力点とは、シーソーに乗った自分の体重で、あるいは手で押すでも構いませんが、力を加える部分です。
ここに強い力を加える、つまり、自分の心が安定していて力を発揮できる状態なら、大きなストレスでも持ち上げることができる。
つまり、ストレスに対して気にしないとか跳ね返すなどの対処ができて、影響を受けずに済むわけです。
逆に、自分が弱っている、つまり力点で使える力が弱っていれば、小さなストレスでも軽くはならず大きな負担になってしまう。

テコの原理ですから、支点の部分の影響もあります。

この三つの点のうち、一つだけに注目して解決するのではなく、この三つの作用のバランスを大事にする。
例えば、大きなストレスに立ち向かえるように自分の状態をもっともっと強くしなければと頑張るのは間違っている。その反動が必ず返ってきてしまう。


と、このテコの原理によるメンタル維持の話は、わたしも
「なるほどなあ……!!」
となりました。


問題は、この先です。




力点を強くするには、パートナーの存在が有効……なのはわかるけど。

力点の作用を強くするには?
それには、『自分だけの力ではなく、人の力も借りましょう』というお話でした。
自分だけの力でどうにかするのでなく、力を貸してくれる人と一緒にシーソーを押せばよいのです、と。
そのために、寄り添ってくれるパートナーを見つけるべき。
それは必ずしも結婚相手とは限らない、自分を理解して支えてくれる、そんな人を探しましょう、ということです。

まあ、これも納得です。

ちなみに、この記事を読む前に、まったく別の熟年離婚の記事を読んでいました。
結婚相手が常にすべてを解決してくれるという恵まれた人の方が稀でしょう。


ならば、そんな素敵なパートナーをどこで探せばいいのでしょう?

『同じ趣味の人を見つけましょう』と記事には掲げられ、例示として、SNSでの繋がりやコミケにいるオタクのことが書かれています。

──── その部分を読み、極論ではありますが、
「ああ……この先生、ガチオタクを知らないんだな」
という印象を受けました。

確かに、共通の趣味で繋がり共有できる仲間は、趣味を楽しむ時間をさらに豊かにするでしょう。
力点と話とは少し違う気がしますが、その仲間と楽しく過ごす時間が自分の心理状態を安定させ、その結果ストレスへの抵抗力が高まる状態になるとも言えます。

ただ、パートナーというほどの親密な結びつきのある人をここで探せというのは、決して奏功するとは限らない。

特に、オタクとか推しが同じ人同士で繋がる危険性。
マウント合戦、解釈の違いによる論争、推し方の違い。
鍵アカウントの中で、他の人の蔭口を叩いたりする人もいる。
何より、趣味が同じというだけで、性格も生活も生き様も違う。
同じものを応援する人はすべて仲間だと徒党を組む人達も実際にはいますが、そこに入って心から楽しめるかどうかは、気が合うかどうか、趣味以外の価値観もある程度合っているかどうかの要素も大きい。
むしろ、趣味が同じだからと無理に付き合っても、余計にストレスになるだけです。


ここでいうパートナーの条件として、

● 物理的な距離が近いか、気軽に会いに行けるか?(近接性)
● 価値観や考え方が近いか、話題に困らないか?(類似性)
● 実際に会う回数が多いか、何度も会っているか?(繰り返し)

と列挙され、さらにこれはマッチングアプリで恋人を探すのと同じで、趣味の世界でそれをやってみようよというご提案の流れではありました。

でも、
自分の支えとなるパートナーだと思える人には、恋愛関係に似た、特別な関係性・親密性が必須
だと思う。

安定した恋愛こそ、最も人の力を強くする。
相手との関係に悩み脆弱になりがちでもあるけれど、うまくいっている時の高揚感と、お互いに信頼して支え合う関係性は何物にも代えがたい
そこから結婚に発展した関係ならなおのこと(その後に上手くいかなくなることも多々あるわけですが)。

趣味の関係でもストレスはありうる、恋愛、結婚でもまたしかり。
結局、このパートナーをどこで見つけるのか、どこで出逢えるのかは自分次第でしょう。

結婚相手に限らないと否定するのはわかります。
しかし、だからといって趣味の世界を推されることにも違和感を覚えてしまったわけです。

ただ、力点と作用点で仰りたいことはわかりました。

じゃあ、支点は……?


わたしが知りたかった、そして最も欲しいと思ったのが「支点」。
そんなパートナーは簡単には見つからない。
だから、ひとりぼっちでもストレスに立ち向かえる力がほしい。
HSPで人間関係が不得手でも、人ではなく支えてくれるものが欲しい。
それは何?
支点はどうすればいいの?
と思ったわけですが………


「支点」というのは「自動思考」
ある出来事が起こり、それに対して恐怖や不安などの感情が無意識に起こってしまうことが「自動思考」です。


その「位置」をズラすことによって、影響力を弱めることができるのです。

なのだそうです。
テコの原理でも、支点が自分に近ければ、小さな力でも大きな作用をもたらすことができますね。

自動的に思ってしまうこと、その影響を弱める。

……………とは??


────── そう興味を持って記事を読み進めると、結論は期待外れでした。


人をもっとも悩ませるストレスの原因は、「人間関係」と言われています。
パワハラをしてくる上司と毎日顔を合わせていると、もちろんメンタルは安定しません。
同様に、クラスでイジめてくる子と部活で一緒になると、それだけで胃が痛くなるでしょう。
そんな恐怖や不安は、ストレスとの距離によってコントロールすることができます。
パワハラ上司に悩まされる状況でも、部署や担当を変えてもらうことでストレスは軽減できます。イジメも転校やクラス替えによって距離が離れると、おさまります。
ストレスとの距離によってコントロールすることができます。
パワハラ上司に悩まされる状況でも、部署や担当を変えてもらうことでストレスは軽減できます。イジメも転校やクラス替えによって距離が離れると、おさまります。
自動思考は、環境を変えることによってコントロールすることができます
「支点(自動思考)」の影響力を変化させるには、環境を変化させるのがもっとも手っ取り早くて有効です。

確かに、その自動思考を変えることにもなりますが、これはむしろ、ストレスそのもの軽減でもあるんじゃないでしょうか?


さらに、対人関係じゃないストレスの場合は?
わたしのように、雨が苦手だとか、散歩中の犬が苦手だとか。
病的なことですが、PMSやPMDDはどうしろと。
そこから離れろ、それはそうでしょう。
触れなければ、ストレスも生まれません。
でも、生きていて避けられないものもあるわけです。

さらに、環境を変える大切さと併せて、こんな提案もされていました。

「あなたを必要とする人」「あなたが必要とされる場所」で生きていくことで、あなただけの「相対的な価値」は生み出されるのです。

私たちは、社会が決める「絶対的な価値」ではなく、人としての「相対的な価値」を高めるように生きることで、メンタルを簡単に安定させることができます。


……………はあ。

結局、力点も、支点も、結局は人頼みだと。

環境を変えましょう、パートナーを見つけましょう、
自分に価値を与えてくれる人と一緒にいましょう。
人はこの漢字のとおり、支え合って生きるもの。
それができた人は、メンタルがそれはもう安定するでしょう。
理想的で至福の環境ですし、それを目指すべく人間関係を心がけるのも大事なことです。

ただ、それを築き上げるまでのメンタリティは、いったいどうしろと?


そもそも、多くの人にとって、ストレスの主な要因となるのは人間関係。
でも、人で成り立つ社会で生きていくなら、どうしても人と関わらなければならない。

だから、ストレスのない人間関係を築けということでしょうけど、それが簡単にできれば苦労しません。

ストレスを抱えたくない、でも独りぼっちがいいとも限らない。
特に、HSPにあるあるですが、ひとりでいる時間は好きだけど孤独になりたいわけじゃない。
理想的な人間関係、それが叶う人もいれば、叶わない人・孤独を感じる人がたくさんいる。
信じても裏切られたり、不快な関係に思いがけず巻き込まれたり。


孤独を感じるたびに、淋しくないように自分に合った誰かを探したい、探して、探し続けて、探し続けて………
パートナーが必ずどこかにいると記事にはありましたが、果たしてそれはどこなのでしょう?


─────── などと考えているうちに、なんだか堂々巡りになってしまって、結局、記事の内容が心に全然刺さらなかったのです、わたしには。


わたしにとっての「支点」


自動思考が支点だという定義が、そもそもあまりしっくり来ない。

それに、自分の価値は自分で決められたら一番よいじゃありませんか?

わたしはキリスト教徒ではありませんが、人は皆、神が造った奇跡の子で、それだけでもう一人一人に価値があるという考え方は好きです。
神、というのも抽象的ではありますが、他人からの価値や評価に頼らず、存在しているだけで素晴らしい、その方がすんなり心に沁みこみます。

SNS上で、「今日、普通に生きてただけで偉いよ、自分」みたいな投稿をたまに見かけますが、そんな感じでしょうか。

そんな自分が、好きな事を謳歌できている、自由に好きなように生きていられる。
誰かにとっての自分より、自分が大好きな自分でいられること
それがまず先決じゃないでしょうか。


ただ、力点と作用点との間にある支点もメンタルの安定に必須という考え方自体は賛成です。

そこで、自分にとっての支点は何かとあらためて考えてみました。

ストレスまみれ、かつそんな素敵なパートナーもいないわたしは、何をしていると楽になって、ストレスに立ち向かうことができるのか?

と思ったら、「書いていること」だと気づきました。
あと、好きに外を出歩いて写真を撮るのも大好きですが。

書きたい時に書けると、自分の気持ちが軽くなってストレスが減る。
書くことから遠ざかる、自分から書ける時間が遠のくと、相互作用かもしれませんが、ストレスが増えるしそのストレスによって自分は弱まる。それにより、他のストレスに対してもさらに不安定になりやすい。

『書けること』という支点の位置が自分に寄っていればいるほど、わたしはラクになれるのです

そこに人が関わるとすれば、書いたものを読んでくださる方です。
どこかの誰かに文字を届けることを心情に書いているわたしとしては、もちろん多くの反応があればめちゃめちゃ嬉しいに決まっていますが、少しでも何かの手応えがあれば励みになるというものです。

ストレスにやられないために、一緒にシーソーを押してくれる誰かの力があれば最高です。
が、それ以外の支え、それこそ溺愛している何かや沼っている趣味そのものを「支点」捉える方が、わかりやすくないですか?



何かを書いている自分であることに価値を見出す。
わたしの支点はこれなのだと、自己分析してようやく納得できました。
そして、これを書いて記事への疑問を昇華させるに至りました。


ここまでお読みくださった方々には、
心より感謝いたします。

お付き合い、ありがとうございました。



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