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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 45

 自分の世界は、自分が一番よく知っている。

 誰かの世界に、自分が映りこんでることはある。
 その自分は、その人から見たらどんなふうに見えるのだろう。
 それは、その人にしかわからない。

 でも、その人からの評価なんて、そんなに大切なものだろうか。
 
 自分がいる自分の世界が、どれくらい好きなものと心地よいものに満たされているか。

 それを追求して実現することに、生きている意味がある。





 
 『 俺といると、現実を見ちゃうかな、と思って 』
 ………………その現実とは、いったい何よ?
 ぜんちゃんは、何が言いたかったの?

 そんなふうにずっとモヤモヤしながら青砥あおとへ戻った。
 本当は、途中の駅のデパ地下で夕食を買って帰るつもりだった。
 それもすっかり忘れるくらい、彼の言葉が引っ掛かっていた。

 世の中には、あんなに美人で、会ったこともないけどきっと素敵なイケメンの旦那様がいる弁護士さんが活躍する世界がある。
 無職で家にいて姪っ子の面倒をみて、多分もう誰との出逢いもなく、推しの芸能人に色めき立つくらいしか楽しいことがないわたしに、そんな世界は見えていない。
 でも、見えないままの方が、知らぬが仏のままの方が、わたしにとっては幸せってこと?
 見えてしまったら、どうしても比べてしまい、わたしが卑屈になっちゃうから?

 
 …………大好きな推し俳優さんを直接間近で観てこのうえなくしあわせだった気分が、どうしてこんなふうに下がっているの?
 確かに、紳士な弁護士先生とショートカットの美人弁護士先生に会わないまま善ちゃんこと寺崎てらさき弁護士と別れていたら、こんな気分にならずに済んだのかもしれない。

 …………… こうして、善ちゃんの言葉を勝手に深読みしてはどんどん複雑な気分になってる自分も嫌だった。


 でも彼は、自分は弁護士だから、みたいな格差を持ち出す人じゃない。
 わたしがひとりで勝手に残念な思考をぐるぐる巡らせてるのもわかってる。


 ──── だったら、彼が言いたかった、見ない方がいい『 現実 』って何だったの?



***


 青砥の駅前は、線路に沿った道が東西に伸びている。
 夏の夕方の強烈な西日が、行き交う人々を照りつける。
 暑すぎて、何も食べたいものが思いつかない。正直、ビールと枝豆でもう充分。何だかやたらと呑みたかった。
 でも、高校生の姪っ子にそんな食事では済まない。
 結局、駅前にあるスーパーで、シュウマイ弁当二つ、8個入りの鳥の唐揚げパックと健康12品目とうたっている出来合いのサラダと缶ビール1本を買って家に帰った。

 玄関を開けると、リビングのテレビで配信のアニメを見ていた瑞季みずきが、おかえりなさい、と声をかけてくれた。

 ただいま、と返事をして、とりあえずキッチンの床にレジ袋を下ろす。
 時計を見ると、5時半。夜ご飯は7時過ぎでいいか、ベランダの洗濯物を入れて、ご飯より先にお風呂に入っちゃおうと算段をつけた。

 

 そうして迎えた、夜ご飯の時間。
 シュウマイをほおばって飲み込んだ瑞季が、映画面白かった?と聞いてきた。
 アニメにしか興味がない子なので、本当に社交辞令というか、わたしに多少気を使って話を振った雰囲気だ。
 普通に面白かったよ、と答えたわたしは、善ちゃんの言葉にまだちょっとトゲトゲしていた。
 瑞季は、ふーん…とつぶやいたきり映画に興味を持つことなく、この唐揚げおいしいよね、もっと食べていい?と言いながらお箸を伸ばしている。

 わたしは黙って、缶ビールを煽る。
 

 ───── ああ、なんか、なんだろう。
 わたしには、この平凡な暮らしが精いっぱいで。
 あんなふうにいかにも『 輝いてます 』みたいな世界に縁なんてないのよ。
 しょうがないじゃない、そんなふうに生きて来てないんだもの。

 
 ……… あの弁護士の彼女は、家でガサツな呑み方なんてしないんだろうな。六本木の高層階の夜景が素敵なレストランで、ワインで乾杯とかしちゃうのよ、きっと。
 ………善ちゃんみたいな、イイ感じの仕事仲間と。

 いや、わたしだって、……… アラサーの頃はそれなりなお店に行ってた。
 仕事帰りに銀座や白金台で友達と食事したり、広尾にある素敵なビアガーデンに職場の人と暑気払いの飲み会したり。楽しかったな、あの時の部長さんはもう定年でお辞めになってるだろうな、同じ係にいてお店を予約してくれた平山くんは元気かな……


 ……… なんて、虚しいマウントをぼんやり考えながらお弁当のおかずをつついていると、瑞季がスマホをいじりながら、

「 ゼンキチって、今、飲み会してるんだ 」

と、唐突に善ちゃんの情報を口にした。

「 …… なんでそんなことわかるの? 」

「 今、シュウマイ弁当食べてるって送ったら、お酒飲んでるって返事がきたから。今日ってゼンキチと映画行ったんでしょ?その後でゼンキチは飲み会に行ったってこと? 」

「 わたしと別れる時は、偶然会った弁護士さん達とコーヒー飲みに行くって言ってたよ。じゃあ、その後でその人達と飲んでるんじゃない? 」

 半分投げやりに答えると、瑞季がひゃー、と声をあげた。

「 見てこれ!夜景、すっごい綺麗!ゼンキチってこんな所でお酒飲む人なんだ!ここってどこ? 」

と、はしゃぎながらスマホの画面をわたしに向ける。どこの高層階から撮ってるのか知らないけど、東京のネオンの夜景を一面に見下ろす写真が表示されている。
 アニメにしか興味がなくても、こんな現実の光景にもちゃんと素直に心を動かしているなら、瑞季もまだまだ健全な子だ。

「 さあ………どこなのかわかんないけど、高いフロアにあってお値段も高いお店にいるのよ、きっと 」

 本当に六本木辺りで、さっきのメンバーでワインでも傾けているのだろうか。今日は紳士先生の事務所の経費で落とすのかしら。

 ………ああ、もうなんか、しつこいな、わたしも。
 もう、どうだっていいじゃない。
 彼女がどんなに美人で既婚者で優秀でも、紳士先生がどんなに高尚なお方でも、善ちゃんが誰とどんな付き合いがあっても。

 瑞季はずっとスマホを打ち続けている。善ちゃんに何かを送っているのか。
 ………瑞季とはメッセージをほぼ毎日やりとりしていると善ちゃんは言ってた。
 確かに、母と姉が亡くなったすぐ後で、困ったことでも何でも、いつでも連絡していいよ、と善ちゃんは瑞季に自分の連絡先を教えていた。
 瑞季は一体どういうつもりで、歳の離れた男の人に毎日何かを送っているのか。気にはなってたけど、積極的に立ち入ることでもないし、ましてや止めることでもない。
 善ちゃんは瑞季を女として見てないと断言してた、間違いが起こることもない……というか、別に43と16という歳の差があるだけで、例えば学校の教師と生徒でもないわけだし、どうにかなっても別に問題ないのか………?
 

 瑞季は彼からきた返信らしき文字を眺めながら、
 
「 ……… 今度、わたしとこずえちゃんをここに連れてってくれるって!え、すごくない? 」

と盛り上がっている。

「 …………善ちゃんから、毎日やりとりしてるって聞いたけど、そんなに何を連絡してるの?」

 なるべく平穏を装い、さりげなく質問してみた。

「 べつに?暇つぶし。あと、ご飯の報告 」

「 あー、それ、聞いたけど、何でわたしのご飯とかお弁当の写真なんて善ちゃんに送ってるの? 」

「 べつに意味ないよ、みんな送るでしょ?今これ食べてる、みたいな。あと、ゼンキチってたまに面白いこと言うし、色々教えてくれるし。なんか学校の先生みたいで。ちょっと楽しい体育の先生とかいるじゃん、そんな感じ 」

 そんな感じ、がどんな感じかよくわからないけど、気さくで頼れる大人、ということか。『 付き合うのもアリ 』の人だと、前に学校の友達と盛り上がってた気がするけど、今はそういう感じじゃなく、親しみやすい学校の先生レベル?


 瑞季が自分にご飯やお弁当の写真を送ってくるのは、そんな日常が嬉しいからだと善ちゃんは説明してくれた。
 わたしは、横浜で瑞季が暮らしていた様子をよく知らない。
 でも、親子三人での生活を瑞季から聞いている彼がそう受け取っているなら、きっとそうなのだ。

 あまり詮索するのもどうかと思い、それ以上は何も聞かずに唐揚げにお箸を伸ばした。
 すると、スマホをいじりながら瑞季がぽつりとつぶやく。

「 ……………あと、なんか、安心するから 」


 安心、か。
 暇つぶしと、安心。

 ───── 楽しい家族の思い出を持たないまま父と母が離婚して、母に連れられてここにやって来て。それきり、父親という存在がこの子からほぼ消え去った。
 もしかしたら、父性に飢えているのかもしれない。
 年頃の娘なんて、父親と暮らしたところで鬱陶しいと感じることが多いもの。でも、それ以前に、関わってくれる大人の男性がいないとも言える。
 
 やっぱり、寂しいのかな。親子と暮らしていた時も、そして、今も。
 横浜の家はもう売られてしまったと母から聞いたことがある。この子は行くところもなく、ここにいるしかないのだ。
 思うところもあるだろうに、ここで生きるしかない瑞季が急に健気に見えてきた。
 何をどれだけ食べても、アニメを好きなだけ見てても何でもいいじゃない、元気に生きていれば。


 半分ほど残っていた缶ビールを中身を一度に空にしたら、色んなことが一気にどうでも良く思えてきた。

 弁護士先生たちがどんなにラグジュアリーな時間を過ごして、何が現実だろうが、わたしには、わたしが今いるここが現実で。
 それは、瑞季にとっても同じこと。
 人の世界と比べてどうかじゃなくて、今いるここで、精いっぱい生きるしかなくて。
 自分の世界に不満があるなら、自信がないなら、自分で変えてゆくしかないし。
 

 ふと、ダイニングからリビング越しに見える和室の雑多な荷物が目に入った。
 その部屋は、母と姉が共同で使っていた場所。
 母の箪笥が二棹、ハンガーラックにぎゅうぎゅうにかけられた姉の服。
 嫁入り道具だと母が自慢していた三面鏡は、鏡のあちらこちらが剥がれている。
 床に積まれたアラフォー向けファッション雑誌、無造作に置かれたメイクボックスと、ブランドものっぽいショルダーバッグ。服以外の姉の荷物が、和室のあちこちを埋めている。
 二人はここで、二人分の布団をぎりぎりに敷いて寝ていた。大きな地震が来たら荷物に埋もれて死んじゃうのかしら、と母がたまに不安そうにこぼしていた。
 さらにそこには、父も含めた三人の位牌がある仏壇も置かれている。

 ………こういう光景が目に入るのも、嫌だった。
 リビングの隣の6畳の和室を閉め切ってしまうと、8畳のリビングが狭く感じてしまう。
 だから、和室は常に開放している。仏壇と、わたしが気に入って買った籐の飾り棚だけをシンプルに置いて、リビングとつなげて使っていた。
 それなのに、姉と瑞季がここに住み込み始めたので、母の6畳の洋室を瑞季の部屋にして、和室を母と姉の居場所にせざるを得なくなった。
 籐の飾り棚は強引にリビングに置くことになり、あちこちが想定外の窮屈な空間に。
 その結果が、この有様。息苦しくてリビングでもくつろげなくなった。



 いつまでもこの状態で放置するのも、姉に縛られている気がしてきて、ますます嫌になった。

 それに、来月わたしが推し活の旅に出る時、善ちゃんがここに一晩泊ってくれる話がある。
 ………… このことはまだ瑞季に相談していない。何となく言い出しにくくて。

 でも、本当にこの家に彼が来るなら、片付いていないとみっともない。
 

「 ………ねえ、瑞季 」

「 なに? 」

 ご飯をもう食べ終わり、ダイニングのテーブルからテレビのバラエティ番組に目をやったまま瑞季が生返事をする。

「 ………お母さんの荷物、まだ残しておきたい? 」

「 べつに。邪魔でしょ?ここは梢ちゃんの家なんだし 」

「 どうしてもとっておきたい物ってある?例えば、思い出の服とか…… 」

「 思い出の服って?」

「 ん-、例えば、お母さんがよく着てた服とか? 」

 瑞季がわたしの顔を見る。

「 ……そんなのべつにないけど、ダイヤがどっかにあるよ。それだけあればいい 」

「 ダイヤ? 」

「 小さいころ、ダイヤのペンダントをよく見せてくれたよ。お母さんが若い時にローン?で買って、高いけどがんばって働いてちゃんとローン返したって自慢してた。それがあればいい 」

「 どこにあるの? 」

「 知らない。けど、わたしが保育園くらいの時二人で動物園に行って、その時に嬉しそうにつけてた。だから、横浜から絶対持って来てると思う 」

「 そうなんだ。……あのね、この家、狭いし、荷物を整理しようと思って。瑞季のお母さんと、おばあちゃんの物も 」

「 ……おばあちゃんの物も捨てちゃうの? 」
 
 瑞季は、自分の母親の荷物よりも祖母の物への執着を示した。

「 さすがに全部は捨てないけど、残しておいてもしょうがないし 」

「 ……… エプロンだけはとっといて。私、おばあちゃんが台所でご飯作ってるのを見るの、好きだったから 」

 
 母親のことは、動物園に行った時に身に着けていたダイヤのペンダントで足りる。  

 この家で祖母が作るご飯の時間が好きだった。

 自分に愛情を持ってくれているのかどうかわからない父親も、もはや養育費を振り込んでくれるATMでしかないのだろう。その代わりに、素性と職業がしっかりしていて、安心感を与えてくれる人がこの子にはいる。


 ─── じゃあ、残したいものだけ残そうか。
 
 これから二人で、できるだけ楽しく暮らすために。

「 瑞季 」

「 なに? 」 

「 ここはわたしの家だし、わたしは、おばあちゃんみたいに料理はそんなにやれないけど、……瑞季がここでいいなら、ずっと住んでていいから。今の部屋は、好きに使っていいから 」

 瑞季はきょとんとした。

「 ……… けど、大学生になったら、普通は一人暮らしするんじゃないの? 」

「 家から通えない子はそうだけど、都内の大学だったらここから通えばいいし。一人暮らしっていっても家賃がもったいないでしょ 」

「 私、小さい時から、大学生になったら一人暮らししたいって思ってたし、お母さんが離婚してもそれは変わってないから 」

 瑞季は事も無げにそう言って、またテレビの画面に目をやる。

 
 ………… そっか。
 この子はこの子で、ちゃんと自分の道を見据えている。

 一人暮らししたい。それは、父母といるのが嫌だったから?
 
 ちょっと寂しい気もしたけど、縛りつけてはいけない。


 ──── 今日はもう、早く寝よう。
 
 そして、明日から、相続の手続と家の片付けに精を出そう。
 






つづく。

(約6000文字)


*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


おそろしいほど長々と連載してます。マガジンにまとめてあるので、よろしければ ↓

同じ空の保田(やすだ)さん|🟪紫葉梢<Siba-Kozue>|note


このお話の前話です。よろしければ ↓


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