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「誕生日プレゼント何が欲しい?」に思うこと

その質問をされてあんなに嬉しかった子供時代を過ぎてしまうと「誕生日プレゼント何が欲しい?」はいつの間にか悩みの種へと変わっていた。しかもその悩みの種は全ての相手に対してというわけではないということが更に私を混乱させた。

両親からのプレゼントに対しては何一つ負担に感じたことはない。それは絶対的に両者の間に愛が存在するからだ。根拠は私が両親のプレゼントを選ぶ時、一度も苦痛を感じることなく、ただ喜ぶ姿を頭で脚色することなく思い浮かべ、愛情を持って探しているからだ。それは親子だからの感覚なのだろう。

友人達からはその質問を受けたことはないけれど、これもまた形は違えど愛が存在している。各々が大人になり会う頻度が減ってしまった相手の今の姿を想像し、再会した時目の前で開封し、それを選んだ経緯を説明することをひっくるめて全てに楽しさを感じるからだ。ちなみに私の友人達は毎回メッセージカードを手書きで書いてくれるから、更に暖かさを感じる。(私も書こうと思うのに渡した後にその存在を思い出し、「来年はつけるからね!!」と言って笑われるのが定番化している、申し訳ない・・・許してくれてありがとう)


そう、やっぱり私がプレゼントを貰えるありがたい立場にも関わらず、苦しさを感じてしまうのは恋人、或いは異性と意識されていると明らかにわかる場合なのだ。もちろん、私のことを考えてくれているということは十分承知の上。分かって意はいるけれど頭を悩ませてしまう。

「何が欲しい?」と聞かれ正直に欲しいものを答えられた試しがない。それは物理的にも心理的にも。相手の経済状況を考えたりということもそうだけど、私はセクシャル上「きっと永遠に続く関係ではない」と付き合う前から伝えてしまっている。冷静に二人の姿をいつも一歩引いて見ている私がいるのも事実で。

その相手に例えば「最新版のiPadが(約7万円)欲しい」とは言えない。「一人旅行に行きたいから航空券往復でオプション付きのもの欲しい」とも言えない。更に「物はいらないから私に愛情を教えて欲しい」なんて困らせるようなことは口が裂けても言えないのだ。かと言って高級指輪なんてもらってしまった時は、それをつけることが負担になってしまうのだ、本当歴代恋人様達、申し訳ない。


インターネットで「プレゼント何が欲しいか聞かれた時」と検索すると、正しい答え方・NGな答え方がヒットする素晴らしい時代だ。


これを読む限り、私の今までの言えなかったことはNGな答えなようで良かったと一安心。こういったサイトが複数存在しているということは、私と訳は違えどきっとこの問題に悩む恋愛している方はいるのだろう。


ざっと読むと、相手の性格や気持ち金銭事情を見極めて答えることが必要とのこと。でもこんな私ですら相手に嫌われないため・引かれないためにマニュアルを頭に入れることって、本当の幸せなのかと疑問に思ってしまう。それはプレゼント問題に関わらず「相手に嫌われないために」という言葉がそもそも違和感に感じるからなのかもしれない。

相手に嫌われないため相手の好みの自分を作り上げる。洋服やコスメを変える、趣味を秘密にする。自分の経歴を隠す。元恋人との話はしない。そういう変化って、本当の本当の「本質」を隠していることと何が違うのだろうか。「恋をしたら人は変わる」と聞くけれど、それは自分を変えられちゃうの?それとも自分が変えてしまうの?変えてしまうのだとしたら、今までの自分はどこに行くの?紹介されることなく存在しなかったことになるの?


とは言ってもやっぱり「相手のことを考える」ということには共感できる。こんな共感と疑問を両方抱えるほど面倒くさい私だけど、究極を言うと「プレゼント何が欲しいかなんて聞かないでくれ」が本音だ。変な駆け引きなく、ただ一緒にその瞬間を楽しんで欲しい。その関係が永遠でないと思うと付き合う前から伝えてしまう私だけど、特別な瞬間くらい、正直な二人でいようよ。



さぁ18時から侍ジャパンvs巨人戦。ファイターズ伊藤君を観よう。

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