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嫌味を言われて思うこと

「だってすごいお金かけてるでしょ?だから綺麗なんだよ」

チクリと嫌味を言われた。旅行前ということで習慣の「美容室」に行き、髪を整えてその足で人と会ったらそう言われる始末。私が企業勤めで独身で実家生活だということを知る彼女は、今2人の子供達を一生懸命に育てている母親だ。嫌味ではなく、きっと本音なんだろうな思う。毎日バタバタで時間を子供に注いでいる彼女からしたら、自分の好きに時間を過ごし、好きなことにお金を使い、髪もネイルも施して一人で気楽にふらふらとしている私はそんな風に見えているのだろうな。

「しいなは良いよね。いつだって自由に過ごしてて。このガサガサな手見てよ。ネイルなんて出来ないわ。そんな髪の毛ツヤツヤでお金かけてるね。」そう言い私に自分の手を触らせて私の髪を触り、しきりに「良いよね」を繰り返した。それは当然誉められているんじゃないと流石の私でも気がつく。どこか敵対の目線だ。自分はこんなに苦労してるのに、という言葉でしかない。

ただ、何だろう。言い返すことは出来ず、話を逸らすことに努めた私だけど。「いくら私とあなたの価値観や生活の変化があったとしても、結婚をして子供を産むことを決めたのはあなた自身でしょ?」と言いたくなってしまった。なんて私は冷たい人間なんだろうかと心で反芻した。

〜〜〜

子供を育てることは想像もできないくらいで、とにかく凄いことだと思っている。愛情と怒りとの間を行き来し、大切に守って育てていく責任がある。周囲からのプレッシャーなんかもあるのだろう。立派なことだと分かっているけど。じゃあどうして子供を産まずにいる女性は、どこか冷ややかな言葉をかけられなければいけないのだろうか。

髪をヘアドネーションすると決めてから伸ばしている。そうすると職場の人は「結婚式あげるの?」と聞いてくる。「ここにいたらいつまでも結婚できないわよ」「早く子供産まないとね」と笑いながら言われるから、こっちも曖昧に笑うしかない。

こんなにも自由が唱えられる世界なのに、あくまでそれは媒体上の話。芸能人がいくら自由を発言しても、現実的周囲の変化までは浸透していない。結局身近な場所では古くからの女の幸せの定義は変わらず「結婚」と「子育て」なのだから、その二つから逸れている私はどこにいてもチクチクと攻撃される対象になってしまう。


子供を育てていて格好良いよ、素敵だよ。

でも一生懸命働いている人だって、偉いって言ってもらいたいよ。


私の本音はこれでしかない。一般的幸せの道を歩いている人が、そうでない人よりも偉いというのはおかしな話だ。その道を自分で選んだのに、人の時間の使い方や金銭事情、容姿に嫌味を言うのもおかしな話だ。

でもきっとこのことを言っても、理解されることはないと思うから、嫌味を言われて傷ついた自分を甘いものを食べて慰めるしか方法が見つからないでいる。



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