見出し画像

東京国立博物館 特別展 『ポンペイ』 作品解説


ポンペイの記憶と記録___。



今回は現在、東京国立博物館で開催されている特別展『ポンペイ』の作品解説をしていく。展示のキャプション説明だけでは補えない部分を補足し、古代ローマの世界の面白さを伝えることができれば幸いである。数多くの作品が展示されているため、その全てを紹介できるわけではないが、見所となるメインは押さえていく。

通常、国内の展示では撮影が許可されていないことが多いが、本展ではありがたいことに撮影が許可されている。それゆえ、こうして展覧会の紹介できるわけである。従来の書籍では数カットの図版しか得られなかったが、展示では様々な角度から撮影が可能であり、膨大な資料収集が叶った。歴史を探究する者として、これほどの喜びはない。そしてやはり、この目で見る実物は、ただただ素晴らしかった。

今回は、「古代ローマの女性」、「古代ローマの社会生活」、「古代ローマの神話世界」という3つのテーマを独自に設けた。そのテーマに即し、順序立てて作品を紹介していく。


古代ローマは、偉大にして永遠である___。
彼らが築き、遺したその世界を共に見ていこう。


1. 古代ローマの女性

古代ローマ社会は、他の古代世界と同じく、原則、男尊女卑の社会だった。だが、才覚のある者は富を築き、頂点に昇るケースも多々あった。それはイタリアの一地方都市に過ぎないポンペイレベルでも確認できる。人それぞれ個性があるように、財の成し方も方法も彼女たちの数だけ存在した。下記では、そんな彼女たちの記憶と記録を紹介していく。


画像2

毛織業で財を成した女性、エウマキアの彫像。カノンに従った黄金比率の美しい大理石彫像である。ベールを被る装いは宗教祭儀の正装であり、ローマの貴婦人がこのような姿をしていた。背景の写り込みが激しい展示環境のため、黒背景に差し替えた。

画像36

横顔を撮影。高い鼻筋が特徴的である。古代ローマでも鼻が高く、鼻筋が通った顔は美しいものと認識されていた。古代ギリシア豊穣の女神デメテル、ローマでいうところのケレスに寄せた雰囲気で表現されている。

古代ローマは依然女性の地位が低い典型的な男尊女卑社会であったが、女性でも才能があれば大財を築くことができるチャンスは与えられていた。もちろん、そうしたことが叶うのはごく一握りではあったが、人々にとっては希望のひとつになってはいただろう。毛織産業の他に不動産業や性産業で富を築いた女性もおり、彼女たちは有名人として、その名を歴史に残している。


画像29

ユリア・フェリックスの賃貸広告。ポンペイ、ユリアの家出土。ユリアの邸宅の一部の部屋を貸し出す内容がラテン語で記されている。この広告文はユリアの邸宅の外壁に施されていたものだが、広告を貼るということは人々がそれを理解できることが前提であり、当時の識字率の高さが窺える重要な資料。

賃貸広告の内容は下記の通りである。

IN PRAEDIS LVLIAE SP(VRII) F(ILIAE) FELICIS LOCANTVR BALNEUM VENERIVM ET NONGENTVM TABERNAE PERGVLAE CENACVLA EX IDIBVS AVG(VSTIS) PRIMIS IN IDVS AVG(VSTAS) SEXSTAS ANNOS CONTINVOS QVINQVE S(I) Q(VIS) D(ESIDERABIT) L(OCATRICEM) E(O) N(OMINE) C(ONVENTIO)

括弧内の文字は、省略形の原型推測として付け加えた。ラテン語によるこの賃貸広告を試訳するなら、「スプリウス・フェリックスの娘ユリア邸では、良識ある方々に向けて優雅な浴室、店舗、中二階、二階部屋を8月13日から同日まで5年間貸し出しを行う。ご希望の場合は、大家ユリアまでご連絡を」となる。

ユリアが賃貸を始めた理由について推測できることは、79年のヴェスヴィオ火山噴火以前に62年に大地震が起こったことが関係している。この震災でポンペイは復興に時間を要した。ユリア邸もこの地震で被害を受け、一部を損傷したのだろう。その修繕費を工面するため、使用できる箇所を貸出したのだろう。


画像17

ヘタイラとの饗宴を描いたフレスコ画。ヘタイラは教養や技芸に秀でた高級娼婦であり、富裕層の邸宅に招かれてサービスを提供した。単発での支払いでなく、月でいくらといった長期の愛人契約を結ぶ例も珍しくなかった。店舗式の娼婦は、ポルナイと呼ぶ。

娼婦の価格は文献で確認すると、大幅な開きがあり、まちまちである。一晩で莫大な金額の上、贈り物を要求する娼婦もいれば、あまりに安すぎる値段で身体を売る者もいる。その形態も様々であり、邸宅に通うスタイル、娼館のような店舗式、街道で客を引くフリーの娼婦、酒屋の給仕を勤めながら2階の別室でサービスを提供する者など、ローマ帝国が多種多様な民族やモノで溢れていたのと同じように、彼女たちの形態も多種多様に展開されていた。


画像19

名称不明の女性像を描いたモザイク画。ポンペイの名称不明のマトローナ(既婚女性)の家より出土。髪の毛を束ね、ピアスとネックレスで着飾る貴婦人が描かれている。古代ローマにおける女性たちのファッションを窺い知る貴重な資料である。

健康的な印象を与える桃色に染まった頬は、化粧によるものだろう。古代ローマの貴族女性は化粧をする際、奴隷にメイクアップをさせていたが、奴隷は唾液で顔料を溶かし、それを主人の顔に塗っていた。そのため、化粧を担当する奴隷は口臭がキツくないことが理想とされた。


画像20

筆記具を持つ女性を描いたフレスコ画。ポンペイ出土、1世紀半ばの作。当時は尖筆で蝋板を削り、メモを取ることが主流だった。本作では4枚綴じの蝋板が描かれている。口元に尖筆を当て、考えごとをしているかのようなこの上流階級の女性は、その聡明な眼差しから通称「サッフォー」と呼ばれている。

頭部をネットで覆うヘアスタイルは、帝政初期のネロ帝の時代に流行したファッションだった。女流詩人サッフォーは前7世紀末期から前6世紀初期の古代ギリシアのレスボス島の人物であり、当然ローマとは異なる姿のはずだが、本作では当時のローマの最先端のファッションに置き換えられて表現されている。


画像14

饗宴場面を描いた1世紀のフレスコ画。ポンペイ、ラオコーンの家出土。古代ローマの富裕層は、寝台に寝そべって食事を楽しんだ。本作は富裕な夫婦の食卓に母子が招かれている様子を描いている。貴族や騎士の邸宅では、奴隷が食事を運び、主人やその家族、来客は団欒しながら食事を取った。また、ローマにはありとあらゆる食材が各地から集った。だが、トウモロコシ、ジャガイモ、トマトなどはアメリカ大陸原産の食物で、この頃のイタリアにはまだ存在せず、コロンブスの新大陸発見まで待つこととなる。イタリアと言えば、トマト祭があるほどにトマトのイメージが強いが、古代ローマ人はトマトの存在を知ることはなかった。レタス等の野菜は古くから地中海でも存在しており、古代エジプト時代から好んで食べられている。

貴族は自分たちのステータスを誇示するために、経済的に辛い状況でも来客に対しては豪勢に振る舞う見栄っ張りさを持っていた。女性は自分のステータスがどれだけ高いものかを示すため、染髪や装飾品などを施して自身の豊かさをアピールした。


画像4

サンダルを脱ぐウェヌス像。背景は画像処理ソフトを活用し、デジタル合成した。本作は単独ケースに入れられており、ガラスの反射や鑑賞者の写り込みが激しい環境にある。そのため、撮影後に画像処理を施し、写り込んだ余分な被写体を全て取り除き、黒背景に置き換えた。会場照明が電球色のため、実物はもっと白味を帯びるが、展示の現状を忠実に伝えるため、WB調整は行わなかった。

ビキニ姿の美神ウェヌスがクピドを支えにサンダルを脱ぐ興味深い構図である。大理石に金彩を施し、ビキニを表現している。ビキニが2000年前から既に存在していたことを示す。

このウェヌスの彫像は貴族宅の庭の水盤前に安置されていた。ポンペイは火砕流に襲われた結果、街全体が火山灰に覆われた。だが、それが幸か不幸かタイムカプセルとなり、遺跡は未開状態という貴重なコンディションを保った。そえゆえ、本作も良好な状態で、安置されていた場所も正確に判明している。

画像23

背面を撮影。沐浴する直前のウェヌスを表し、彼女の左足をクピドが支えている。出土地は家主のマクシムスに因み、当初はマクシムス邸と呼んだが、現在ではビキニのウェヌス邸と呼ぶのが通例である。ウェヌスは女性の理想型の姿を持つ女神とされた。それゆえ、本作で描かれた身体美が古代ローマ人が追い求めた理想的なスタイルと言える。


画像33

神官従者またはアルテミスないしマイナス像。彫像を際立たせるため、背景には合成処理を施した。

本作は着衣ペプロスの現実に即した自然な皺の表現から、2世紀のハドリアヌス帝前後の作と分かる。最初は神官の侍女ないしニンフを表現していたのだろう。だが、右肩に不自然に空けられた2つの孔は矢筒を後から装着した痕跡であり、誰かが改造を施し途中から狩猟の女神アルテミスとして飾っていたことを示している。そして、アウグストゥス荘でディオニュソス像と並んで出土したことを考慮すると、最後の持ち主は彼女をディオニュソスの狂信者マイナスとして扱ったのだろう。持ち主によって彫像がリサイクルされていき、それぞれ異なる題材として扱われてきたことを示唆する興味深い考古遺物である。


画像7

三美神のフレスコ画。ティトゥス・デンタティウス・パンテラ邸出土。年代は前1世紀末から1世紀半ばと推測される。カリグラ帝が自身の三姉妹、小アグリッピナ、 ユリア・ドルシッラ、 ユリア・リウィッラを三美神になぞらえ、同構図の貨幣を発行している。この構図は大変人気のあるもので、多くの作家がインスピレーンを受けており、リバイバル作品が豊富である。神というツールを通して、現実の女性の身体美、神秘性を表現している。



2. 古代ローマの社会生活

食事、労働、娯楽、学問、芸術、宗教。古代ローマでも、それらは人々にとって非常に重要なものであった。そして、ローマ人はあらゆるジャンルを発展させ、昇華させてきた。ローマ帝国の偉大さのひとつは、そこにあると言える。彼らが何を考え、誰を想い、どんなふうに生活していたのか?そんな彼らの記憶と記録を紹介していく。


画像30

パン屋を描いたフレスコ画。ポンペイ出土、1世紀半ばの作。ポンペイには少なくとも30軒ほどのパン屋が存在したと見積もられている。また、フレスコ画内からは当時のパンの形状が確認できる。パイのような形をしており、サイズが大ぶりだったことが窺える。

ヴェスヴィオ火山が噴火した79年時点のポンペイでは34軒のパン屋が存在した。噴火によって亡くなった人々の遺骸の歯を分析すると、火山に起因する溶岩の砂粒で歯が摩耗していたことが分かる。砂漠の砂嵐の影響で、砂粒が入ったパンを常時食していた古代エジプト人と同じ症状が出ている点が興味深い。


画像34

フレスコによる静物画。クセニアと呼ばれる客土産を描いた静物画である。静物画がローマ時代から存在し、人々の間で楽しまれていたことを示す。本作はシカの家から出土した複数のフレスコ画だったが、ブルボン朝時代にひとつの額に収められた経緯を持つ。


画像25

働くクピドのフレスコ画。東京国立博物館 特別展「ポンペイ」にて撮影。鋳造工、土地測量者、靴職人、家具職人に従事するクピドたち。現存する資料の多くは皇帝や貴族に集中しており、大多数を占める庶民の暮らしが如何様だったのかは意外にも分かっておらず、労働者の日常を示す貴重な資料と言える。


画像24

悲劇役者の仮面のフレスコ画。前2世紀末の作。ポンペイ、ファウヌス邸出土。東京国立博物館 特別展「ポンペイ」にて撮影。横長のフレスコ画のため分割撮影を行い、その一部を掲載。ローマでは演劇が好まれた。演目は多数存在したが、皇帝を卑下する内容が民衆の鬱憤を晴らす最高の演目として好まれた。


画像8

ナイル川風景のフレスコ画。ファウヌス邸出土。ナイル及び周辺に生息したコブラ、マングース、カバ、ワニ、トキ、カモが描かれている。ローマ人がエジプトに対し強い興味・憧れを抱いてことが分かる。また、その文化影響を大きく受けていたことも窺える。


画像26

バックスとヴェスヴィオ(ウェスウィウス)火山を描いたフレスコ画。1世紀半ばの作。ポンペイ、百年祭の家出土。東京国立博物館 特別展「ポンペイ」にて撮影。中央にヴェスヴィオ火山を配し、その周囲に酒神バックス、鳥、蛇、豹を描いている。バックスは葡萄の房を飾った衣装で、一目で彼と分かる。

ヴェスヴィオ火山を描写した現存する唯一の作品例で、現在と異なり当時は山頂まで葡萄畑が広がっていたことを示す貴重な資料。バックスは葡萄酒の杯を手にしており、彼の足下では杯から滴る葡萄酒を豹が飲んでいる。本作の所有者が葡萄畑を構える酒造業を生業にしていた人物であることは間違いない。


画像9

猫と鴨のモザイク画。ファウヌス邸出土、前1世紀の作。食糧庫に忍び込んだ猫を描いた作品。作風からエジプトのアレクサンドリア工房の作と推測される。アレクサンドリアで釣りと狩りを主題とした詩がブームだった頃と時代が重なることからも確かだろう。


画像15

番犬を描いたモザイク画。ポンペイ出土、1世紀の作。古代ローマの富裕層の邸宅(ドムス)には、しばしばこうした番犬を描いたモザイク画の例が確認されている。番犬を描くことで、注意勧告、牽制、心理的な防犯作用を期待したものと思われる。


画像16

哲学者を描いたモザイク画。ポンペイ、ティトゥス・シミニウス・ステファヌスの別荘出土、前1世紀の作。ヒマティオンを羽織る哲学者らが議論する様子を描いている。アカデメイアやアレクサンドリアで哲学が盛んであり、ローマではストア派哲学が流行った。


画像35

乱闘する魚介類を描いたモザイク画。メジャーな題材で各地に類品が確認できる。前2世紀末の作。ポンペイ、ファウヌス邸出土。ファウヌス邸はポンペイ最大の邸宅である。この邸宅及び出土品の年代はローマ時代以前のヘレニズム期にあたり、前180〜前170年頃に建設され、その後改築された痕跡が見られる。

古代エジプトのプトレマイオス朝時代には現スーダンに位置するヌビアへの遠征が行われた。プトレマイオス2世フィラデルフォスにより行われたヌビア遠征には学者も同行した。彼らは『漁撈の書(ハリエウティカ)』と呼ばれる図版入りの学術書を著した。本作はそうした図版を参照していると推測される。

この構図は、実はジャンケンのような三すくみの関係になっている。ウツボの好物はタコであり、タコはイセエビが好物であり、イセエビはウツボを返り討ちにする。当時の国家間の政治的関係性を暗示しているものとも言えるかもしれない。動物たちの習性を人間の争いに例えたユーモアな作品で胸を打つ。


画像1

ポンペイ出土『メメント・モリ』。前1世紀のモザイク画。本展の一番のお気に入りで、最も紹介したかった作品でもある。メメント・モリは「死を忘れるな」の意で、貧富に関係なく死が平等に訪れること示す。それは大繁栄を謳歌したローマでも変わりなかった。左側が富裕者、右側が貧困者、中央の髑髏が死を示す。

実は、この『メメント・モリ』は、HBO製作ドラマ『ROME』で毎回流れるオープニングで一番最初に登場する。『ROME』は、共和政末期のローマを舞台とした映像作品である。カエサルが著した『ガリア戦記』に登場する、実在した百人隊長ルキウス・ウォレヌスとティトゥス・プッロの二人の視点から見たローマを描いている。

『ROME』は第2シーズンまで製作された長編ドラマで、第1シーズンはガリア制圧からカエサル暗殺まで、第2シーズンは第二回三頭政治から初代ローマ皇帝の誕生までを描く。ローマが最も変革した魅力に尽きない時代。衣装や背景の造り込み、戦闘シーンも素晴らしく、ローマのスリリングな世界を楽しめる。現在、U-NEXTにて配信中なので、興味がある方には是非お勧めしたい作品である。


画像18

マケドニア王と哲学者を描いたフレスコ画。本作の舞台がマケドニアであることは、円盾にマケドニアを象徴するヴェルギナの星が描かれていることから分かる。赤い顔料は、現スペインに位置したヒスパニア属州から産出する辰砂が用いられることが多かった。

おそらくマケドニア王はアンティゴノス2世ゴナタス、彼の前に立つ女性がゴナタスの母フィラ、哲学者はエレトリアのメネデモスと思われる。だが、文字資料等、本作の人物を断定できる要素がないため、マケドニア王と哲学者というぼかした表記がされる。プブリウス・ファンニウス・シュニストル荘出土。


画像13

ハルポクラテス像とイシス神官。香台を両手に持つ神官が神像に捧げ物をする場面を描いている。彼らの背後には神殿が描かれている。ハルポクラテスは古代ギリシア語訛りの呼び名で、古代エジプト語ではヘルパァケレド(子どものホルス)と呼ばれていた。

イシスも古代ギリシア語訛りの呼び名であり、古代エジプト語ではイセトと呼ばれていた。ハルポクラテスまたはホルスは、温厚で人望の篤かった父オシリス(エジ語:ウシル)と異なり、短気で粗野な性格だった。父オシリスが死者の世界である冥界を統治し、息子ホルスは生者の世界である地上を統治した。

宗教は古代ローマ人にとって生活に欠かせないものだった。どんなジャンルにも神が宿ると信じられていたため、彼らは信仰したい神を選択して祈りをそれぞれ捧げた。中でもイシス崇拝はローマではメジャーな信仰のひとつであり、ローマ帝国の広範な領域で信仰された。


画像5

イシス教の宗教儀具シストルム。これは古代エジプトを探究する身としては、釘付けになるほど極めて興味深い考古遺物である。書籍上でその存在は以前から認知していたが、実物を目の前で観るのは初めてのことであり、身体の芯から震える感動をもたらした。

イシス教はエジプトを発端とする宗教であり、母子の守護者イシスを崇拝した。アシア方面で人気を誇ったが、ローマにも流入し民衆から絶大な人気を誇った。シストルムは振ることで音を鳴らす楽器だった。エジプトの女性の棺には「シストルム演奏者」という称号がヒエログリフで記されていることが多い。

画像6

イシスは少なくともエジプトの第5王朝にはその存在が確認されている、とても古い時代の神である。そんな彼女の信仰がローマ時代でも脈々と受け継がれていた考えると非常に感慨深い。様々な地域に影響を与えたイシス教はキリスト教にも影響を与えている。キリスト教からはその側面が多く垣間見られる。

そう考えると、形を変えてイシス教は現在でも受け継がれていると言えるかもしれない。イシスがホルスを抱く構図はエジプトの伝統的モティーフだが、これがイエスを抱くマリアの聖母子像に継承されている。イエスが幼少期にエジプトで学びを得たことからも、キリスト教と深い関係にあることは確かだ。


画像21

ルキウス・カエキリウスのヘルマ柱。背景は合成処理を施した。前1世紀〜後1世紀の作。ポンペイ、ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥス邸出土。柱型の胸像をヘルマ柱と呼ぶ。先祖崇拝が盛んだったローマでは、こうした先代の偉人像が貴族宅では好まれた。

肖像の下部にラテン語で「GENIO·L·NOSTRI·FELIX·L」と刻印されている。試訳すると「我らが主ルキウス・カエキリウスの守護聖霊ゲニウスに捧げる。解放奴隷のフェリックスが建造した」の意。文頭のLが個人名ルキウスに対し、文末のLはLIBERTVS(解放奴隷)の略字であり、読解が少々難しいかもしれない。


画像31

アウグストゥス帝の青銅製胸像。1世紀初頭の作。古代ローマで発行された貨幣の上にも見られる、美化された若々しい姿で描かれたアウグストゥス。美男神アポロに重ね合わせて表現された典型的なアウグストゥス像であり、類品が各地で発見されている。


画像32

古代ギリシアの天才彫刻師ポリュクレイトスの槍を持つ青年像の模刻。背景は作品の見やすさを考慮し、合成処理を施した。彼のオリジナルは前5世紀半ばの作だが、本作はローマ時代に大理石で模刻されたコピーである。古代ローマでは古代ギリシアの彫像を大理石で模刻することが盛んだった。こうした彫像は貴族ないし富裕層の邸宅及び庭園に飾られていた。

古代ギリシアの彫刻はロストワックス技法を用い、頭部や胸部、腕部や脚部等、複数のパーツを繋ぎ合わせてひとつの青銅製彫像を製作した。一方、ローマでは青銅より安価な大理石を用いて彫刻を製作した。


3. 古代ローマと神話世界

古代ローマ人は人一倍神話を愛した民とも言える。彼らはギリシア神話を愛し、その結果、ギリシア神話の続編を創作し、それを自身たちの出自を語る神話として利用した。何と言っても、ローマ人にとって重要な神話は、吟遊詩人ホメロスによる前8世紀頃の叙事詩『イリアス』だった。イリアスの世界観の続編がローマ建国神話であり、ローマ人の出自は元を辿ればトロイア王家に遡ると主張するものである。それゆえ、古代ローマでは、このホメロスによる叙事詩を題材にした作品が数多く遺された。それは、ローマ帝国の一地方都市に過ぎない規模のポンペイからでさえも幾つも確認できる。


画像3

『イフィゲネイアの犠牲』のフレスコ画。本作は1世紀半ばに製作されたフレスコ画で、トロイア戦争のワンシーンを描いている。古代ローマ人は、ギリシア神話を非常に愛好した。自身らがトロイア王家の末裔に繋がる存在と主張するローマ建国神話を創り上げたほどである。

アルテミスの怒りを買ったアガメムノン王は、港から出港できないよう、女神によって永久に明けない激しい嵐を引き起こされた。それゆえ、彼が側近の占い師にこの打開策を尋ねたところ、愛娘イフィゲネイアをアルテミスに捧げる他ないという、あまりに悲惨な神託が下った。

アカイア連合軍の総大将として、戦争から手を引くことができない状況にあったアガメムノンは、アルテミスに娘を捧げる苦渋の選択をした。天空には鹿に乗るアルテミスと弓矢を持つアルテミスが描かれており、アガメムノンらを見下ろしている。

ベールを被る男性はアガメムノンであり、涙を流しながら顔に手を当て悲嘆に暮れている。画面右手には、生贄となる裸のイフィゲネイアを運ぶオデュッセウスたちが描かれている。オデュッセウスはイタケ島の王で、その既知に富んだ才能をアガメムノンに見込まれ、連合軍の参謀としてスカウトされた。


画像11

『プリセイスの引き渡し』のフレスコ画。ホメロスの叙事詩のトロイア戦争のワンシーン。アキレウスが武功として授かった美女プリセイスを総大将アガメムノンに引き渡す場面。彼はアガメムノンに憤慨し、以降出陣を拒否。アカイア勢はアキレウスの不在で苦戦を強いられた。

画像12

『ヘレネの略奪』のフレスコ画。ホメロスの叙事詩のトロイア戦争のワンシーン。トロイアの王子パリスはスパルタ王メネラオスの妻ヘレネと恋に落ち、彼女の略奪を実行する。憤慨したメネラオスは兄アガメムノンに支援を求めて挙兵し、トロイア戦争が勃発した。


画像27

『テーセウスとアリアドネ』を描いたフレスコ画。前1世紀末〜後1世紀半ばの作。ルキウス・カエキリウス・フェリックス邸出土。フェリックスは解放奴隷だったが、その才覚から銀行業で巨万の富を得た。その後、家業は息子ユクンドゥスに継承された。この親子が奴隷から富裕層に上り詰め、ポンペイで豪勢な邸宅を建て本作を室内に飾った。

テーセウスはミノタウロスを倒した後、クレタ島のミノス王の娘アリアドネと恋に落ちる。だが、この恋人たちは旅の道中で破局。アリアドネがナクソス島の浜辺で寝ている間、テーセウスに置き去りにされる悲しき最期を迎える。


画像10

『ユピテルとユノーの結婚』のフレスコ画。1世紀半ばのフレスコ画で、悲劇詩人邸出土。王笏を持ち、玉座に座すユピテルの構図は伝統的なモティーフであり、貨幣の上でも同様の構図が見受けられる。ユノーは複数いたユピテルの妻の正妻であり、女神の女王として君臨した。

古代ローマでは、結婚式の際、男性がガイウスであり、女性がガイアであるという台詞を形式的に発した。ガイウスは大地の男神であり、ガイアは大地の女神である。これは二人の愛が永遠であり、死が二人を分つまで、共にあることを誓う文言である。


画像28

『ヘルマフロディトスとシレノス』を描いたフレスコ画。1世紀半ばの作。ルキウス・カエキリウス・ルクンドゥス邸出土。ヘルマフロディトスはヘルメスとアフロディテの間に生まれた美青年だったが、ニンフのサルマキスによる強引な求愛で融合し、両性具有となった。シレノスは神の従者で音楽や踊りを好む。

ヘルマフロディトスの神話は、ローマ時代の共和政末期から帝政初期に活躍した詩人オウィディウスの『変身物語』に収録されている。古代ギリシアの古典期から彫刻作品などが造られており、現存する最古のヘルマフロディトスの彫像は前4世紀のものである。


画像22

酒神バックスの大理石彫像。本作も展示環境から背景の写り込みが激しいため、背景は黒一色で統一する合成処理を施した。また、本像は独立して立つことが難しいため、実際の展示では頑丈な支柱によって支えられている。だが、製作当初のオリジナルの雰囲気に近づけるため、敢えて支柱は画像処理を行い削除した。

アウグストゥス帝の治世(前27〜後14年)の作。アウグストゥス荘大ホール出土。葡萄の実を飾った冠、山羊皮のマントに乗せた葡萄の房からバックスと分かる。左手には彼の神獣である豹が乗せられている。1930年代に脚部が発見され、2003年続けて2004年に上半身が回収された。


以上、東京国立博物館 特別展 『ポンペイ』 の展示作品を「古代ローマの女性」、「古代ローマの社会生活」、「古代ローマの神話世界」という3つのテーマに即して紹介した。本展には実にいろいろなテーマの作品が展示されているため、これら3つのテーマに限らず、自身でテーマを見つけ、眺めてみても面白いことだろう。

私は特にフレスコ画及びモザイク画と彫刻作品が好みで、それらを多く扱う本展には感銘を覚えた。写実とデフォルメが混在した独特なタッチが素晴らしい。モザイク画に関しては、補色効果で色が全体的に明るく印象的に観える。これは人間の錯覚、すなわち視覚構造を利用したもので、近代パリの画壇であるジョルジュ・スーラやポール・シニャック等の新印象派も同手法を利用している。また、彫刻作品はその造形の深さと美しさに、ただただ感嘆である。曲線美、写実の正確性、その全てにおいて神業と言えるレベルで、一体今のように道具に恵まれない当時で、どうしてこうしたものが造れてしまったのか、不思議で仕方ないというのが、正直な感想である。本当に偉大である。

次に本展と同規模の古代ローマの展示をいつ観られるかは分からない。それほど貴重な展示であり、同じ作品も国内では二度と観れないかもしれない。ポンペイ展は、2000年前の人間がどれだけの技術と繁栄を謳歌していたのかを目の当たりにする展覧会である。ローマ帝国の壮大さをこの身を持って感じられることだろう。だが、忘れてはならないのは、ポンペイは帝国の一端に過ぎない。ローマがどれだけ偉大だったかは、計り知れないのである。


Shelk 詩瑠久🦋


この記事が参加している募集

オンライン展覧会

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?