マークの大冒険 | オリエンタル・ウィンド 〜夢の終わり〜
前回までのあらすじ
冒険の最中に、ある違和感に気づいたマーク。彼は自分の冒険が何度も繰り返されているのではないかという仮説を立てた。ループのトリガーは突如目の前に出現する青い蝶であり、この蝶が現れると時間が巻き戻ったり、世界が分岐することにマークは勘付いた。この現象の秘密を握る人物が、古書店「アレクサンドリア」の店員ジェシカであると推測したマークは、彼女が勤めている古書店へと向かった。彼はスタッフ・オンリーと示されているため、普段は立ち入ったことがない秘密の螺旋階段を上っていく。そして、その先にある部屋へと足を踏み入れた。不思議なことに、その部屋は天井から壁、床まで全面が真っ白な白き部屋だった。そこは部屋の奥に巨大な扉がある以外何もなく、部屋というよりは、ほとんど空間のようなものだった。そして、その白き部屋には、マークが来ることを予め分かっていたかのように一人の女性が待っていた。彼女の正体は、やはりマークが推測した通り、古書店の店員ジェシカだった。彼女はマークに扉の向こうに広がる世界「オリエンタル・ウィンド」の真実を伝えた。マークは扉の向こう側の元の世界が自分にとって、ひどく酷なものであることを悟った上、それでも扉を開け、自身の本来の世界に戻ることを決意した。
ねえ、この先10年、20年、そして50年経って、キミが大人になっても、ボクのことをずっと忘れないでおくれよ___。
古書店「アレクサンドリア」の最上階にあったあの扉を超えて、ボクは全ての記憶を取り戻した。気づけば、だいぶ多くのことを忘れていた。自宅のソファーの上で目覚めたボクは、ケータイのリマインドで表示された今日の撮影予定を見て飛び起きた。今日は11時から都内のハウススタジオで撮影のアポが一件入っていたのだった。今は9時50分。ハウススタジオが最寄駅から20分ほど歩くところに位置する住宅街であることを考えると、かなりギリギリの時間だった。ボクはカメラバッグを背負い、予備のバッテリーとメモリーカードを急いで詰めると、駅まで駆け足で向かった。
古書店「アレクサンドリア」のスタッフオンリーの看板が置かれた螺旋階段の前に立つマーク
古書店最上階の白き部屋でマークを待つジェシカ
カメラバッグの中には、24-70ミリのズームレンズと50ミリの単焦点レンズの2本のみ。だが、今日のようなポートレートなら、この2本で十分だろう。むしろスピーディーさが求められるポートレート撮影において、レンズ交換のタイムロスは致命的なものとなる。スタジオを押さえている時間は2時間。とはいえ、モデルの休憩や着替えを考慮すると、撮影時間は正味1時間というところだろう。今日の撮影案件は、地下アイドル事務所の研修生のウェブ用宣材撮影だった。これからその子の看板となる写真でもある。ボクの写真によってその子が世に出て有名になれたのなら、ボクにとってそれほどの願いはない。今までアイドルや女優を志望する子を何人も撮影してきた。有名になって活躍した子もいれば、夢を諦めて実家に帰った子、花咲ずに全く違う分野の仕事に就いた子もいる。今回撮影する子がどんな将来を選択するにしても、今日撮影する写真は彼女の人生にとって最良の一枚となるような傑作にしたい、そんなふうにいつも思う。
ボクは学生時代からカメラマンとして活動していた。一時期はカメラマンとしての道を志していたが、古代文明に魅せられて以来、進路を変更して今に至る。結局、考古学の世界で生計を立てるのは難しく、撮影業で何とか生活している。ただ、学生時代に撮影術について勉強し、カメラマンの経験をしていたことは、不幸中の幸いだったと言える。この生活の糧がなければ、ボクは今頃どうなっていたのか分からない。
とはいえ、撮影業は初期投資の額がとても大きく、また、機材のメンテナンスにもそれなりのコストがかかる。だから、利益を出すには相当の仕事を請け負わなければならない。それに撮影したら、それで終わりというわけではない。その後に第二の撮影とも言われる編集作業がある。この編集作業を専門用語では「現像」と言うが、PC のソフト内で行うこの編集作業が非常に重要な工程である。ボクは撮影の際にスピーディーさやテンポを落とさないために、モデルには必ず18%グレーカードを持たせた状態で撮影を開始する。少し面倒なようにも思えるが、この作業を行うことで、後から現像ソフトで編集する際にホワイトバランスを全て統一することができる。ちょっとの手間で結果的にはすごく楽ができるのだ。絵面の統一性も取れて、それこそプロらしい写真となる。だから撮影は実際の撮影作業の他に事務所に帰ってからの編集作業もあることを考えると、拘束時間がかなり長い。コストパフォーマンスで考えると、よっぽど売れっ子のカメラマンでない限り、かなり効率の悪い仕事と言えるのかもしれない。それでも、今のボクにはカメラマンとして生きる術しかなかった。
撮影の仕事自体は嫌いじゃない。喜んでくれる人の顔を見るのも嬉しい。だけど、ボクはやっぱり飽くなき謎を秘めた考古学の世界でやっていきたいのだ。謎を解き明かして、分からなかったことが分かるようになる、あの知的満足感とスリルに勝るものはない。ボクの夢は、オリエント考古学の世界で名を残すことだ。ツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーターのような世界を揺るがす大発見がしたい。アラン・ガーディナーのような後世にまで残る学術書を出版して、考古学世界に貢献したい。とはいえ、ボクの現状はそんな夢からはほど遠いところにある。生活費を稼ぐために、仕事に追われる毎日。研究の時間を捻出するのさえ難しい状態にある。
撮影スタジオにてフィルム式中判一眼レフカメラを構えるマーク
撮影スタジオにてデジタル式35ミリ一眼レフを構えるマーク
駅まで急いでいたが、信号が赤になって足止めを食らう。この信号は一度赤になると長くて、ボクは少し苛立った。それにしても、この前までの世界がまるで嘘のようだ。この世界では、指輪の力もなければ、ホルスの力もない。指輪もウジャトも、机の上でただのガラクタになっていた。一応、念じたり、呼び掛けたりしてみたが、何も反応はなかった。本当にオリエンタル・ウィンド、激しき東の風が吹く世界、すなわち「現実」に呼び戻されたのだと実感した。ボクはこれから、魔法の力に頼らず、自分自身の力で目の前に広がる全ての問題を解決しなければならない。ホルスはピンチになっても、もう助けてはくれない。それがすごく不安で寂しかった。それに、あの時ジェシカさんが言っていた言葉が今になって、こだまのようにボクの胸を締め付けた。
ウジャトの護符と一対のアムラシュリング
古代エジプトの天空神ホルスとマーク
「マーク、お疲れ様」
「ジェシカさん......」
「今までの冒険は、現実逃避したあなたのための冒険だった。でも、それと同時に不遇の死を遂げた英雄たちを見送る旅でもあった。彼らはみんな真っ当とは言えない死を遂げ、中にはきちんと弔われていない者もいたからね。オデュッセウスは愛息子に宙吊りにされながらノコギリで殺害され、アキレウスは敵軍のパリスにアキレス腱を射抜かれ不名誉な死に遭い、カエサルは元老院議場で集団の四方八方からの刺突を受けて惨殺され、アントニウスは地位も人望も失って自害した上に埋葬されたかも分からない、カッシウスはフィリッピの戦いで志半ばで戦死、ブルートゥスも親友カッシウスの死を知って絶望して自死、本当にみんな散々よね。あなたが今まで旅していたのは、冥界と呼ばれる生界と死界の間に存在する不安定な空間。あなたの旅は、彼らを弔うための儀式でもあったのよ。これで冥界に留まったままだった彼らも、本来進むべき場所に向かったわ。あなたのおかげで全ては満たされた。死者を弔う葬儀の旅は、これで全て終わったのよ。そして、あなたは彼らが不遇な死を遂げる前の最も輝いていた祝福の時代の記憶を追体験した。あなたが心の底から最も望んでいた考古学では絶対に辿り着けない境地である、彼らがリアルタイムで生きていた世界を」
「葬儀の旅と記憶の追体験?それで、この扉の先に進んだら、これからボクはどうなるの?」
「元に戻るだけよ。日常と全ての記憶を取り戻す。それは今のあなたにとって、ひどく酷なものだけれどね」
「辛くたっていい。たとえ1%でも可能性があるなら、ボクはそこに賭けてみたいんだ。努力すれば、人は必ず報われる。そうでしょ?」
「マーク、それこそ神話だわ。努力で困難から抜け出せるなんて。この真実をあなたに伝えるのは酷だけど、実際は運と才能。最初から結果は定められているのよ」
「それでも、ボクは諦められない。考古学はボクにとって、やっぱり特別で唯一無二のものなんだ。生きることに絶望していたボクを考古学の道が救ってくれた。考古学があったからこそ、今のボクがある」
「マーク......」
「ジェシカさんが普通でないことは前から気付いていたけど、いわゆる、その、神なの?」
「そうね、言葉通りの定義に従うなら、あなたたちが言うところの神なのかもしれない。でも、全知全能でもなければ、不死でもない。感情的だし、すぐに傷つくあなたたちと何も変わらないわ」
「やっぱり、そうだったんだ......。ボクの推測は正しかったわけだね」
「そうね。古書店に通うあなたの目は本当に輝いていて、気の毒だった。だから私たちは、あなたをあの世界に閉じ込めたの。あなたが自ら終焉を望むまで終わることのない繰り返す幻想の螺旋世界にね。そして、英雄たちの魂を弔う葬儀の旅に」
「ジェシカさんは、一体どこから来たの?」
「オリエンタル・ウィンド(苦境の世界)と私たちが呼んでいるこの世界は、もうひとつの世界。だから私は、この世界ではなく、自分たちの世界から来た。対比させるためにも、私たちの世界をオチデンタル・ウィンドと呼ぼうかしら(オチデンタルとは西方の意で、オリエンタルの対義語)。でも、あなたたちの世界ととてもよく似ているわ。それこそ、東西が対のように、私たちとあなたたちの世界も対のようによく似ている」
振り返る早川瞳(私立上崎女学院一年生)
うたた寝する柊臨(私立上崎女学院二年生)
「この秘密を誰かに話したら?」
「別に止めはしないわ。話したところで、誰も信じようとはしないもの。たとえ信じたとしても、私たちの世界を感知することはできないし、秘密が漏れたところで何も支障はないわよ。マーク、でも私からはもうこれ以上は話せない。けれど忘れないで、私はいつでもあなたたちの味方だから......」
白き部屋でマークに真実を伝えるジェシカ
オリエンタル・ウィンドに向かう意思を伝えるマーク
あの冒険は、現実逃避したボクの記憶を取り戻すための旅だった。そして同時に、いにしえの英雄たちの魂を見送る冥界での葬儀の旅だったともいう。あの時、ジェシカさんはボクの夢は叶わないと言っていたけれど、本当にそうなのだろうか?あの言葉を思い出して、無性に寂しさが込み上げてきた。努力さえすれば、いつか夢は必ず叶う。違うのだろうか?たとえ叶わないと分かっていても、それでも全力を尽くすしかない。1%でも望みがあるなら、ボクはそこに全てを投じたい。夢みがちな青二才なのかもしれない。それでも、自分の気持ちを欺くのだけは嫌だった。
エジプトでのホルスの出会い、ギリシアでのオデュッセウスやアキレウスとの戦い、ローマの英雄カエサル、アントニウス、ブルートゥス、カッシウスたちと過ごした時間。間違いなくリアルで、手に取れるようなものだった。あの冒険の日々が、昨日のことのように思える。
信号がようやく青になり、駅に向かう途中にあった、あの古書店「アレクサンドリア」の前を通りかかった。すると、ジェシカさんどころか、古書店すらなくなっていた。古書店があったはずの場所は、空き地になっていた。「テナント募集」とブルーの文字で大きく記した白い看板が置かれており、何もない荒々しい空虚な地面が寂しさを放っていた。その光景を前にボクは、また現実を実感した。
言葉通り、今のボクには何もなかった。
でも、だからこそ決めたんだ。ボクが経験した全てをこれから書き記すことを。
そう、一人の冒険家として確かに旅したあの記憶と記録を。
冒険家マークの大冒険を____。
End...
Shelk 詩瑠久 🦋
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