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マウント、思考停止、そして敵意〜『イニシェリン島の精霊』

自分が巻き込まれるのはまっぴらごめんなのだけど、遠くから眺める揉め事というのはどうも見応えがあるものだ。「水曜日のダウンタウン」のおぼんこぼん騒動は正直やっぱり面白かった。人と人とが己の意思でぶつかり合う様は、良くないと分かりつつ見入ってしまうし、そしてどこかで自分の心と重ねて観てしまう。ケンカを覗き込む時、ケンカもまたこちらを覗いているのだ。

不安と退屈

マーティン・マクドナー監督の新作映画『イニシェリン島の精霊』はケンカ映画だ。島の陽気なおじさんパードリック(コリン・ファレル)に、その友達のおじいさんコルム(ブレンダン・グリーソン)が絶交を言い渡す。戸惑うパードリックは関係修復を図ろうとするが、徐々にただならぬ事態に突入していく物語だ。アイルランド国内で内戦が勃発する時代ののどかな島を舞台に、昼から酒を飲みムダ話をする友人だった2人のケンカを見つめる2時間だ。


コルムがパードリックに絶交を突きつけた理由。それは「俺は音楽を作ったり詩を書いたり芸術を極めたい、だからお前のムダ話を聞いてられん、よって二度と話しかけるな(要約)」ということである。なるほどこれはだいぶ混乱してしまう。ムダ話で分かち合えていたと思っていた関係性がコルムにとっていつの間にかストレスになり、ある日突然噴出したわけで、パードリックも戸惑うしかない。ずっとこうしてられるんじゃなかったのか?と。

人間の肉体は朽ちるが生み出した芸術は未来に残る。その確信に取り憑かれ、居心地の良かったはずのムダ話の溜まり場を強引に抜け出したいというコルム。パードリックと比べてかなり年上であろうコルムゆえ老いへの恐怖がそうさせた部分も当然あるとは思うが、この状況下ではやはり“戦争の気配”がコルムを急き立てているように見えてくる。周囲が無視している時代の不穏さを嗅ぎ取り不安になり、何かを成し遂げねばと強迫的になっていく。

「話しかければ自分の指を切断する」という暴力を抑止力に使ってまで急いで何かを為そうとする姿は願望と手段がグチャグチャすぎるためかなりの理解し難さがあるが、一方で”自分はいい奴“であることを疑わず、”ムダ話が悪いわけないっしょ“と思いながらアプローチし続けるパードリックの姿にも徐々にイライラが募ってくる。このままでいること、退屈を愛すること、それは結構なことだが他人を変えようとするのは簡単なことではない。

その場所に留まろうとすることで楽でいれるというのは実際そうなのだろうが、同時にコミュニケーションは次第になあなあになり、他者への向き合い方を忘れていったり、ちょっとしたトゲを見て見ぬフリをするようになることだったりもあるはず。そこで生じたズレを「なんとなるっしょ」という心意気で突破しようとするのはやはり傲慢であると言わざるを得ない。それでもなおスタンスを変えない無垢さが終わりないケンカを助長していく。



ありふれた悲劇

死後も残る何か意味のあることをすぐさま為さねばという焦り。ぬくぬくしたコミュニティで楽しいことだけしていたいという望み。1920年代の物語であるはずだが、現代人にも当てはめることのできる葛藤と欲望であるように思う。ゆえにこの映画が描くケンカはここ数年、いやずっと昔から大小さまざまに繰り返されてきた残酷な、しかしありふれた悲劇のように思うのだ。

アイツはろくでもないから、他者との間に線を引く。自分は教養がありセンスも良いですから、とマウントを取る。そんな姿勢がどういうわけか他者への敵意へと変わっていくコルムの暴力的なスノビズムは分断を生むしかないだろう。そして「自分は分かっている」という自負だけで他者をいくらでも攻撃して良いと思っているような人を身近でもネット上でもよく見かける。

一方、アイツの美学やこだわりは理解できないからと面倒がる。理由を考えることも難しいからと面倒がる。狭いコミュニティの中で醸造されたパードリックの姿勢はどこか"有害な男性性"と同じ問題を抱えているように思う。ノリで会話してたいから議論は拒絶し、今楽しくしてたいから現状は変えない。気楽なまま他者を蔑ろにする光をやはりそこかしこで見かける。

その立場や状況によって、コルムとパードリック、どちらの傾向にもなりやすい人がほとんどだろう。戦争の気配が近くに漂いながら、上や下を勝手に作り、誰からどう見られているかを考えこんでいるような、自分の浅ましさと向き合わざるを得ない。コルムとパードリック、そのどちらにも苛立ってしまうのは相反する2人の性質を自分の中に見てしまうからだろうか。

ある決定的な出来事を機にパードリックは怒りを爆発させ、被害者感情を反転させて加害者になることを選ぶ。コルムはその出来事を機に加害者としての苦しみに陥りながらも頑なに自分の在り方を通そうとする。どちらも譲ることができず、感情と信念が暴発しきった先には詫びも許しも存在しないただの荒野が待ち受ける。あまりにも、2023年の世界を映し出している。

この映画を見て人と人とはやっぱり分かり合えませんな、と思うのか。劇中。諍いを見守った先に大きな選択を取るパードリックの妹シボーン(ケリー・コンドン)や近所に住む純真さの象徴ドミニク(バリー・コーガン)の姿にわずかな希望を見出すのか。はたまた、単純にコミュニケーションを見つめ直すための強靭なメッセージを受け取るのか。全ては観る者に委ねられる。


私としては他者を悪く思ってしまうのは仕方ないにせよ、それを表に出すのはやめとこう、という至極当然に思える教訓を得るに至った。どこまでもケンカでしかないこの映画だが対人関係で芽生える”良くない目線“への抑止力としてはうってつけである。世界から見ればささやかな絶交、だからこそ世界中で巻き起こり続けるケンカとどうしようもなく接続してしまうのだ。

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