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救いある関係性を描くこと〜「ほつれる」「こっち向いてよ向井くん」

他者と関係を結ぶことはつくづく人生そのものだ。友人、恋人、家族、そういう関係だけでなく孤立を選ぶというのも“他者を拒絶する”という関係を結んでいるわけだから人の心は関係から逃れることはできない。

こういうもの、だとされていた価値観が瓦解しつつある現在。多くの”関係“を見つめる作品が生まれている。ここ最近観て印象的だった2作品もまたしかり。自分や他者にとって救いになる関係性とは何なのだろうか。


加藤拓也の長編監督第2作映画「ほつれる」。主人公の綿子(門脇麦)は夫・文則(田村健太郎)との関係が冷え切っており、別の恋人である木村(染谷将太)との逢瀬を重ねる。しかしある時、綿子の目の前で木村が交通事故死する。

文則はいい仕事といい暮らしといい妻を所有することに満足し、関係のほつれに目を向けようとしない。そこに言葉などなくとも、対話などせずとも、この関係は守られているという確信を抱き続けている。そしてそれは実際、”世間一般“の尺度から言えば綿子にとっての安全圏として機能してしまう。どれだけほつれようが決して崩れはしない冷たくも堅い関係性なのだ。

しかし実際のところ夫側の事情もあって、綿子からすれば自宅には居場所も自由もない。ゆえにその外側で育んだ木村との”救いある関係性“があったわけだが、それが突然絶たれたことで綿子の心は彷徨う。表だって人に明かすことのできない喪失感。悲しめないまま抱え込むことの苦しさが一貫して描かれ、綿子にとってその関係性がどれほどの救いだったかが示される。

綿子の人生史は判然としないが終盤に明かされるある事実からも、彼女は他者と関係を結ぶことで自己を保とうとする側面があることが伺える。木村と関係を結んだのも自分と似た悩みを抱えていたからだという。他者と自分を重ねることで、自分の進むべき道を知りたがるような。他者と居る自分しか思い浮かべられず、自己像を見失うような。そんな背景が浮かび上がる。

綿子のあり方は”世間一般“からすれば正しくないものだとしても、その享楽に抗うことはできない。温かい曖昧さと冷たい安全圏の間で分裂し続ける心は、もうここにない救いを求めて虚空を漂う。救いある関係性とは必ずしも倫理や規範の上に存在するわけではない。対話を失った世界の外側で、静かに交わされた秘密だということもある。いかにも真人間らしく取り繕われた感情をそっとほつれさせ、その中身を露わにしていく映画なのだ。




ねむようこ原作の漫画をドラマ化した「こっち向いてよ向井くん」。元カノを忘れられない33歳の会社員・向井悟(赤楚英二)が一念発起して恋愛に挑んでいく作品だがその正体は他者との関わりの本質を描き出す人間ドラマだ。

10年前の元カノ・美和子(生田絵梨花)との別れが判然としたものでなかったことでその喪失感は向井くんの中に滞留して神格化された思い出となり、無意識のうちに"あの時にあった享楽"として追い求め続けるものになってしまったことが重要な点だ。ドラマ前半、向井くんは様々なお相手との"恋愛"に向き合おうとしているが、自らの社会的立場や寂しさが救われるためだけの関係性を求めているようにしか見えず、美和子の幻に囚われ続けているようだった。

そしてドラマ中盤、10年ぶりに再会した美和子との別れが通過儀礼として立ちはだかる。再会してすぐは"世間一般"の目線を意識した結婚や"ちゃんとした関係"といった冷たい安全圏に疲れ始めていた向井くんは、美和子がくれる曖昧な温かさに身を委ねていた。しかし向井くんはそれを能動的に断ち切ろうとしていく。美しい過去とともにあることも別段問題ないことのはずだが、主体性を持った向井くんはそうでない場所を目指そうとする。自分にとって"救いある関係性"が美和子との享楽でないことに気付いたのだろう。

そしてドラマ終盤、飲み友達であり相談役であった坂井戸さん(波瑠)への恋愛感情を自覚していく。1話から一貫して向井くんと対話を重ね、向井くんの主体性を自覚させるきっかけとなった坂井戸さん。彼女との語らいにこそ、向井くんは他者との関わりの本質を見出したのだ。

頭であれこれ考えて、こうではないか、そうではないかと勝手に推測するのは優しさでもあるが想像の域を出ない。他者との対話を重ね、自分自身を開示し、想像の域を飛び出したその先、そこに待ち受けている現実と向き合うこと(こっちを向くこと)。そこにしか"救いある関係性"など生まれない。慰め合い、なあなあにしておくのではなく、語り合える他者を求めたのだ。



「こっち向いてよ向井くん」の美和子が父親の支配を拒むことで自分自身の欲望を失ったり、「ほつれる」の綿子が"子供”と義母の存在を理由に常に居場所を失っていたり、人生に立ちはだかるのも常に他者である。この不合理さがまた、他者と関わる困難さを象徴している。自分が自分でいるために、他者の存在が必要だったり、時に必要じゃなかったりするというのは自明なようでそのコントロールが難しい。そんなに簡単なことではないのだ。

「ほつれる」と「こっち向いてよ向井くん」は両極端な"関係性"の描き方をしているようで、実はとても近い志向を持つ作品だと思う。こっちを向けないまま関係性が膠着することも、思い出に浸って現在の自己像がほつれてしまうことも、全ては表裏一体。だからこそ、他者との関わりはドラマを生むし、我々に投げかけ続ける。果たして"救いある関係性"は結べるのかと。

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