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haruto_miyai
「評価」とは何か。
上下関係の会話って、
どうして決まってるんだろうと思ったので。
ざっくりと。
何故かなと言うものを。
ベン図を使って。
…
まず、教える側と教わる側が存在する。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144500863/picture_pc_bc200797d4e38b651b0be16e60f76a92.png?width=1200)
それぞれの知識や経験が噛み合わず、
各々が独立している状態から始まる。
そこから、
教える/教わるを繰り返すうちに、
重なる部分が発生する。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144501539/picture_pc_60a301e35c78f830ee9825ca2294c2c3.png?width=1200)
知識や経験の共有というものです。
この緑の部分が、
「仕事を覚えた」「勉強を理解した」
と教える側が判断する(=評価する)基準となる。
つまり、
教わる側(紫)の独立している部分をいくら鍛えても、
評価には繋がらない。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144501674/picture_pc_4044baf3328c3e5b0aadf538213f50a1.png?width=1200)
…
では、教わる側(紫)の独立している部分は、
何なのだろう。
おそらく、
「人柄」と一括りに、
片づけられてしまうのではないだろうか。
教える側(青)は持っておらず、
どうしようもない範囲。
よって、
「評価」とは何なのだろう。
共有部位(緑)を上手く見せる事だけ。
いつか教わる側(紫)の独立した部分も、
役立てる社会になりますように。
おわり。
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