【自己紹介】ジョブホッパー出身キャリアコンサルタント、自由に働く澤田玲奈です。
数あるアウトプットの記事の中から、ここへ辿り着いてくれてありがとうございます。未来から過去に遡った仕事視点の自己紹介をいたします。
未来
仕事と趣味を明確に分けて、自分の好きなバランスで生きています。
ストレスフリーな生き方ができる人を手伝う仕事をしています。
自分にとってストレスフリー。
私の身近な人にとってストレスフリー。
私のクライアントにとってストレスフリー。
現在
ビジネスでの役割は3つ。
株式会社シールズの代表取締役
法人向け研修講師
個人向けキャリアコンサルタント
肩書だけで自分を語るのは全く面白くないので、装飾を付けます。
偶然の出会いから『株式会社シールズ代表取締役』という箱にスポン!と収まり、この機会を活かし、やりたいことを実現しつつある代表取締役
人材育成の「違和感」を「私のことばと体験」で落とし込みつつある研修講師
資格名に縛られずにクライアントの「ストレス」や「もがき苦しみ」を取り除く、「柔らかさ」と「誠実さ」と「全力」をモットーとするキャリアコンサルタント
プライベートでの自分は3つ。
海の中にいると、《地上に戻りたくない衝動》に駆られるダイバー
没頭が性に合ってるピアノプレイヤー
枠に囚われず役割を全うし続ける姿勢が大好きなドアラファン
狭く深い人間関係の世界で生きています。
自由に生きるということは、自分の時間とお金を自分で全て決めること。
そこには、「責任」も含まれています。
やりたいことをやり続けることの責任
やりたくないことをやらないことの責任
この責任を負う代わりに、ストレスフリーな生き方を手に入れました。
過去
超就職氷河期でまったく内定がとれず、先が見えなくて不安でしかたのない就職活動を送る短大生でした。
自己分析や業界分析など就職活動に関係のある活動はいっさい知らず、とにかく企業へ応募、応募、応募、たまに縁故、でもなかなかうまくいかず、このまま周りの学生と同じことをしても、うまくいく気がしませんでした。
普通の就活を止めて、少ない情報のなかで違う方法を調べて行動して、なんとか社会へもぐりこむことに成功しました。
先のことを考えるよりも目先のことを考えながら、必死に社会に掴まって、置いていかれないようにセミナージプシーになったり、転職を6回繰り返すジョブホッパーになったりする20代~30代を駆け抜けました。
★澤田の生き様の詳細はこちらにもあります。
ジョブホッパーの軌跡
高速の路肩にバン(車)を止めて車の下に潜り込み異音確認をする、輸入下着販売者-20代
その運転度胸を買われて夜の銀座で黒い車の間をハイエースで走り抜ける、出版社での営業兼進行管理-20代
巣鴨でローラー営業、JR中央線沿線を飛び込み営業をしまくる、飲食店検索サイトの掲載店舗獲得営業-20代
★この辺で結婚職場のヒエラルキーを観察していた、IR誌の編集者-20代
窓が無く暗い事務所しか記憶にない、新聞の広告営業-20代
代理店、メーカー、商社、小売、卸業者、サプライヤー、各々の立ち位置と世の縮図を知り、悲しくなった、消費財メーカー向け企画営業-30代
★この辺で離婚人生で初めて「君は稚拙だ」と言われてショックを受けつつも、負けずに12年勤務してWebコンサルタントとして力をつけた、IT企業のWebコンサルタント-30代
現職。これまでの経験を直接活かすことは少ないけれど、引き出しに忍ばせておくと得しかない、研修講師とキャリアコンサルタント-40代(継続中)
履歴書に書き換えると、いわゆる「汚い履歴書」。
目先のことだけ考えて、一心不乱に動いてきた結果でした。
でも、「何も考えていない」わけではなく、その時その時は、今の自分の人生を本気で悩み、不安になり、その時出会った方々に助けられながらの転職です。
必ず考えていたことは、「次に自分が得たいものを手に入れるには、何をすればよいのか?」でした。
そしてその行動は自分にとって納得のいく理由があったため、迷いはありませんでした。
仕事に向き合う価値観が変わった、社会起業家との出会い
どこで誰に出会い、誰が自分の人生の方向転換をさせてくれるか分からないものです。ある日(職歴7番の頃)、社会起業家の人に出会い、その人の
という生き方に感銘を受けて、自分もそんな風に生きたい!と思い、それができると信じて行動しました。
仕事に求めること(価値観)が変わった瞬間でした。
しかし、行動しても行動しても、「これだ!」というビビビッな感覚に出会うことはありません。
チャレンジすることの多くは、うまくいかないことが多く、格好つけたり・見栄を張ったり・自分に嘘をついたり・周りと比べたり・形ばかりの勉強をしたり、空回りばかりでした。
その根底には、誰にも見せたことはありませんが、「悔しさ」がありました。その「悔しさ」ゆえに、達成したいことは黙々とやりきりました。リスクもとらずに自ら退路を断ったこともありました。そのおかげで夢にうなされたこともありましたが、結果は必ずついてきました。
現在の仕事に繋がったきっかけ(転機)
Webコンサルタントをしていた会社で、マネージャーになったことは、さらに方向性を大きく変えたできごとでした。
人の上に立って指導することは、私は嫌い、というか「できない」と思っていため、社長からの直打診を2回断りました。それでも3回目には「受ける」決断をします。「二度あることは三度ある」「三度目の正直」を実感したできごとです。
そこからの学びは、良いことも悪いことも思い出せないぐらい多くありました。
この頃から、「人と関わること」に関心が芽生え、ときを同じくして社長から、会社全体の組織改革について打診があり、本格的に「人と関わり、組織を良くする」業務に従事するようになります。
この頃、私の周りにはフリーランスや起業で活躍する女性が登場しだし、彼女たちの生き方に心の奥から「こんな生き方がしたい!」と自律(自立)アンテナが立ち始めます。
「できること」と「やりたいこと」が実現できる生き方を真剣に考え、いろいろなタイミングが重なり、ここぞというところでそれらの偶然が背中を押してくれ、今に至ります。
仕事に込める想い(ミッション)
私と同じような人がいれば、救いたい、と考えています。
「救う」と書くと、なんと大げさな表現なんだ、と感じてしまいますが、チカラになれるのであれば、チカラになりたい。その人がラクになれる方法、苦しみから解放される方法、歩きたい方へ歩ける方法、を一緒に考えたい。
理解してほしい、ただ聴いてほしい、認めてほしい、そんな「してほしい」を叶えます。
「私と同じような人」
これは、「もがき苦しんでいる人」です。
私がこのような状態だった時、相談できる人がいませんでした。というか、相談できる人は周りにいたのかもしれませんが、あえてしませんでした。知ってる人には、相談したくなかった、というのが本音です。誰に相談してよいか分からなかったし、何をどう相談してよいかも分からなかったのです。
なんとか、その「もがき」から抜け出してきましたが、こんなに労力と時間をかけなくても良かったんじゃないか、と思うこともあります。
だから、
「私と同じような人」には、そんなにたくさんの労力と時間をかけすぎず、早く抜け出してほしいと願っています。
そうなれる支援をしたいのです。
独立して1年ほど経った頃、「澤田さん、顔つきが変わったね。なんだか良くなった」と言われたことは、私の決断はやはり間違ったものではなかったんだと、太鼓判をおしてもらった気持ちです。
こうして、「現在」の澤田玲奈(↑)が生まれました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
株式会社シールズ 澤田玲奈
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