「恋せぬふたり」をみて思い出した、私の”あるとき”

あるとき、友人宅に泊まりに行った。学生来の付き合いで、私の気の置けない友人のひとりだった。

結婚・出産の話になった。私は買ってきたいつもより少しお高めのビールを開けながら「出産したくないし、したい気持ちもあまり分からない」と言った。すると、生物学上おかしいと全否定された。いろんな方面から私の考えを“正そう”とする話のあとに「いつかそういう人に出会えたら分かるよ」と言われた。翌日、私はなんとなく足早に彼女の家を出た。

あるとき、会社の上司からプレゼントをもらった。食器だった。「いつか素敵な人ができたら使ってほしくて」と言葉を添えられ渡された箱の中には、とてもかわいい平皿が入っていた。2枚組だった。上司はセンスの良い人で、私は一目でその平皿を気に入ったけれど、なんとなく台所の奥にしまった。それから一度も使っていない。

あるとき、癖の強い客に捕まった。背の高いおじさんだ。年齢は父より15くらい年上のように見受けられる。私はわざと不愛想にしていたのだけれど、結局“餌食”にされた。

最初は世間話。その後、自分が中学校を中退して京都の料亭でのし上がったこと、金を儲けたこと、友人は今や関関同立ばかりで地元の人間とは全く話が合わないこと、子供たちが有名大学や大手有名企業にいったこと。私は仕方がないと腹をくくって、たまに「うー」とか「はー」とか気のない返事をしながら聞いていたら、「あんた、結婚してるの」と、まるで世間話の延長線のようにおじさんが言った。

「はーいやー」と適当な返事をすると、おじさんは否と受け取ったらしい。さすがに年齢までは聞かれなかったが、「あんたくらいの年齢なら子がひとりふたりいてもおかしくないだろう。娘は24で●●(某大手企業)勤めの男と結婚して子を産んだ。なぜ結婚・出産しないんだ」と、雄弁に語り始めた。

その後、別の部署からの内線がかかってくるまでの40分間(不幸なことに今年一番の寒さと言われる日で客一人入ってこなかった)、私は延々と全く見ず知らずの他人に「結婚しろ、出産しろ」と言われ続けた。

またあるとき、あるとき、あるとき…。

馬鹿みたいかもしれないが、私はこういう“あるとき”を全て余すことなく覚えている。そして、NHKの「恋せぬふたり」を見て、もしかしたらこのふたりも同じような経験をしてきたのだろうかと考えた。



最近、シス・ヘテロの恋愛至上主義以外の性指向や価値観に対して、世間は徐々に興味を示し始めたと思う。いわゆるマイノリティを題材にしたドラマや映画、本もひとつのカルチャーとして受け入れられはじめた(この点には賛否両論あるようだけれど、私はとっかかりとなるのならカルチャーはとても良い追い風だと思う)。

そして(たぶん)初めて、NHKがアロマンティック・アセクシャルを題材にしたドラマをはじめた。私はまだこのドラマに対して意見を持っていない。ただ、製作陣の気づかいが各所に感じられて、当事者としてとてもありがたい。

こうやって、ほんの少しでいい、これから私よりも若い世代に起る“あるとき”が少なくなれば、あるいはなくなればいいなと常々思っている。



―――――――――――
「アロマ」ってなに?について
この名前を知ったとき、これまで色んな人に無邪気に傷つけられてきた私が報われるような気がした。ほっとした。同時に、腹の底がヒヤリとしたけれど、それには気が付かないふりをした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?