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ジヴェルニーの企み(フランス恋物語㊴)

ミヅキ

5月のパリ生活はジョゼフアランに振り回されて終わってしまい、気が付けば6月に入っていた。


アランとの最悪なフェスから1週間後経った、6月初めの土曜日。

私はパリ在住の友人・ミヅキちゃんとジヴェルニーに来ていた。


ミヅキちゃんも、SNSで知り合って仲良くなった20代後半の日本人女性だ。

彼女は黒髪ストレートが似合う椎名林檎似の和風美人だが、そのルックスに相反して実は肉食系女子というギャップが面白かった。

現在パリの語学学校に通っているが、元々英語が堪能な彼女は、逆にそれが仇となり「フランス語を覚えにくい」と訴えていた。

恋愛面では、「フランス人の彼氏を作るつもりがなりゆきで日本人男性と付き合ってしまい、しかもその彼氏がモラハラ男なことが判明し、最近やっと別れた」という報告を受けたところだ。

私とはフランス人と付き合うつもりが、なぜか日本人と付き合ってしまったという共通点もあり、ミヅキちゃんとはすっかり恋愛トークで意気投合していた。

もちろん、現在の目的は「素敵なフランス人の彼氏を作る」ということで一致している。

Giverny

ジヴェルニーはパリから北西70kmにある村で、モネが晩年を過ごした村として知られている。

大好きなモネの「睡蓮」のモデルとなった庭園も存在するので、前から行ってみたい場所だった。

  今の時期のジヴェルニーはバラが花盛りで綺麗だと聞いていて、私たちは「天気が良かったらこの日にしよう。」と約束をしていたのだ。

【Giverny】
画家クロード・モネは晩年である1883年から1926年の間をここで過ごし、自宅の庭を描き続けた。
ポプラ並木、積み藁、睡蓮で囲まれたこの素晴らしい庭とともに、緑の鎧戸のバラ色の彼の家は、何枚もモネの最高傑作を彷彿とさせる。
また、1887年〜1914年の間、モネはこの地域で、画家達のコロニー、特にアメリカ人のグループに影響を与えた。
モネの絵画芸術は、クロード・モネの家、印象派美術館、またいくつかの画廊が明らかに示すように、この地の至るところに満ち溢れている。

パリのSaint-Lazare駅から45分でVernonという駅に行き、バスに乗り換えて約20分、私たちはジヴェルニーに到着した。

Maison et Jardins de Claude Monet

まずは、お目当てのMaison et Jardins de Claude Monet(モネの家と庭園)へ向かう。

 庭園に入ると、そこにはバラを始めとした色とりどりの花が咲き乱れていた。

 「C'est manifique!!」

フランス語学習者らしく、二人で「素晴らしい」という言葉をわざわざフランス語で言ってみる。

日本では見たことない、美しい風景に私たちは歓声を上げた。

まだ「睡蓮」の庭に行ってないのに、ここだけでもたくさんの写真を撮ってしまう。

モネの庭は予想以上に広く、真ん中に道が走っていて、睡蓮の庭はその向こう側にあるようだ。

「いよいよ庭園だね。」

ワクワクしながら、私たちは足を早める。


池の前に到着すると、そこはまさに「睡蓮」の世界そのものだった。

「すごい・・・。」

もはやフランス語で感想を言うことを忘れるくらい、絵画から出てきたような美しい風景に目を奪われていた。

まるで、そこだけ時間が止まっているかのようだ。

でも、それはオランジュリー美術館の「睡蓮の間」を想起させ、先月行ったアランとの初デートの記憶が蘇ってしまう。


「はぁ、これを見たらオランジュリーデート思い出しちゃうわ。あの時はあんなにいい雰囲気で、幸せだったのにな~。」

「そっか~。その日からまだ3週間も経ってないんだっけ? でも、別れちゃったものは仕方がないよね。」

「アランとの出会いから破局までの一部始終」を聞いているミヅキちゃんは、私を優しく慰めてくれた。

・・・そう、終わったものは、仕方ない。

そんなことは忘れて、今この状況を楽しまなければ。

「よし、今日のミヅキちゃんとの楽しいジヴェルニー観光で、モネの『睡蓮』の思い出を上書きしちゃう!!」

「そうだよ~。思いっきり楽しもう!!」

・・・やっぱり、持つべきものは友達だ。

 

庭園見学を終えると、次はモネの家の中に入った。

そこもとても素敵な空間で、モネの私生活も垣間見れ、偉大な画家の存在を少し身近に感じることができた。

モネの絵があることは想像していたが、葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿など、たくさんの浮世絵コレクションがあることに私は思わず驚いた。

「そういえば、モネってジャポニスムの影響すごく受けてるんだよね。」

美術に詳しいミヅキちゃんが私に言う。

私を振り返った彼女の姿は、そこに飾られている浮世絵の美人画と重なって見えた。


Maison et Jardins de Claude Monet(モネの家と庭園)を出た後は、Musée des impressionnismes Giverny(ジヴェルニー印象派美術館)に入り、モネを中心とした印象派の作品を鑑賞した。


それから L’église Sainte-Radegonde - La Tombe de Monet(聖ラドゴンド教会とモネのお墓)にも行き、モネのお墓参りも済ませてきた。

予定時間内にモネ関連の場所を全部巡れたことに、私たちはとても満足だった。 

現地の人との交流

途中、植え込みの花が綺麗なレストランの写真を撮っていたら、テラスでお茶を飲んでいたおじいさんに、「Pouvez-vous parler le français?」(フランス語を話せますか?)と聞かれた。

私が「Un peu.」(少し)と答えると、「ここのレストランの庭園はとてもきれいだから、店の人に言って入ってごらん。」と親切に教えてくれた。

「すごい。ちょっと喋っただけで、そんなお得な情報を教えてもらえるんだね。」

「フランス語を話そうとするとつい英語が出てきちゃう」というミヅキちゃんが、感心している。

こういう風に地元の人と触れる機会があると、「あぁ、フランス語勉強してて良かったな」と心から思う。

おじいさんにお礼を言って、さっそくレストランの人に声を掛けて庭園内を見学させてもらった。


 
そこは、入口はバラが伝統的な庭園の様式で規則正しく植え込まれ、奥の方に進むと、わざと無造作な感じでバラが植えられているのがわかる。

それぞれが違った形でバラの美しさを表現しており、どちらも素晴らしい眺めだった。

 
キャンバスを置いて絵を書いている人も何人かいて、とても風情があった。

Terrasse

私たちは、お礼も込めてそのレストランで休憩することにした。

お揃いのLimonadeを飲みながら、私たちは女子トークを展開する。

「ミヅキちゃん、今日はありがとう。すごく楽しかった!!」

ミヅキちゃんは心配そうな顔をして、私の顔を覗いてくる。

「ちょっとは元気になった?」

「うん、大丈夫。アランとは付き合い始めた時から心配ばかりだったし、別れて良かったよ。」

私は正直に思っていることを話した。

安心したミヅキちゃんは、いたずらっぽく笑う。

「やっぱり失恋には、新しい彼氏でしょ。次はどんな人がいい?」

その質問に、私は迷わず即答した。

「日本語がペラペラのフランス人!!誰か紹介できる人いない?」

あまりにも単純すぎる回答に、ミヅキちゃんが笑った。

「そんな人がいたら私が付き合いたいくらいだよ。

じゃあさ、今度Échange(エシャンジュ)の会に行くから、レイコちゃんも一緒に行かない?

日本語レベルの高いフランス人が来るかもよ?」

”エシャンジュの会”・・・多国籍の人が集まってお互いの言語を教え合う会か。

私はトゥールに住んでいる時にその会でラファエルと出会い交際にまで発展したことを思い出した。

必ずしも日本語ペラペラのフランス人がいるとは限らないけれども、確率的にはゼロではない。

少なくとも、ジョゼフやアランのような日本語学習未経験者よりはいいだろう。

私は新しい一歩を踏み出したくて、その誘いに乗ることにした。

「行く!!」

「じゃ、決定だね。」

私たちはLimonadeで乾杯をした。


こうして私たちは、新しい予定に期待を膨らませ、ジヴェルニーの村を後にした。


そのエシャンジュの会で、私はまた予想外の出会いを経験するのである・・・。


ーフランス恋物語㊵へ続く-


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