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地方映画史研究のための方法論(24)抵抗の技法と日常的実践②——ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト

「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)、米子市立図書館での巡回展「見る場所を見る2+——イラストで見る米子の映画館と鉄道の歴史」、「見る場所を見る3——アーティストによる鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」を開催した。

地方映画史研究のための方法論

調査・研究に協力してくれる学生たちに、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有しておきたいと考え、この原稿(地方映画史研究のための方法論)を書き始めた。杵島さんと行なっている研究会・読書会でレジュメをまとめ、それに加筆修正や微調整を加えて、このnoteに掲載している。これまでの記事は以下の通り。

メディアの考古学
(01)ミシェル・フーコーの考古学的方法
(02)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
(03)エルキ・フータモのメディア考古学
(04)ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論

観客の発見
(05)クリスチャン・メッツの精神分析的映画理論
(06)ローラ・マルヴィのフェミニスト映画理論
(07)ベル・フックスの「対抗的まなざし」

装置理論と映画館
(08)ルイ・アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」
(09)ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(10)ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論
(11)ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法

「普通」の研究
(12)アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』
(13)ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』

都市論と映画
(14)W・ベンヤミン『写真小史』『複製技術時代における芸術作品』
(15)W・ベンヤミン『パサージュ論』
(16)アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング』
(17)吉見俊哉の上演論的アプローチ
(18)若林幹夫の「社会の地形/社会の地層」論

初期映画・古典的映画研究
(19)チャールズ・マッサーの「スクリーン・プラクティス」論
(20)トム・ガニング「アトラクションの映画」
(21) デヴィッド・ボードウェル「古典的ハリウッド映画」
(22)M・ハンセン「ヴァナキュラー・モダニズム」としての古典的映画

抵抗の技法と日常的実践
(23)ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』と状況の構築

キリスト教徒としてのミシェル・ド・セルトー

ミシェル・ド・セルトー(1925-1986)

ミシェル・ド・セルトー(Michel de Certeau)は、フランス・サヴォワ県生まれの宗教史学者・文化研究者・哲学者。イエズス会(カトリック教会の男子修道会)司祭。リヨンの神学校で学び、1950年にイエズス会に入会。ソルボンヌ大学で博士号を取得し、その後はカリフォルニア大学サンディエゴ校、パリ社会科学高等研究学院などで教鞭をとりながら、宗教史学、文化人類学、言語学、精神分析学など人文社会科学の様々な分野を横断した著作を発表した。

主な著書に、『パロールの奪取——新しい文化のために』(佐藤和生 訳、法政大学出版局、1998年、原著1968年)、『ルーダンの憑依』(矢橋透 訳、みすず書房、2008年、原著1970年)、『文化の政治学』(山田登世子訳、岩波書店、1999年、原著1974年)、『歴史のエクリチュール』(佐藤和生 訳、法政大学出版局、1996年、原著1975年)、『日常的実践のポイエティーク』(山田登世子訳、国文社、1987年/ちくま学芸文庫、2021年、原著1980年)、『歴史と精神分析——科学と虚構の間で』(内藤雅文 訳、法政大学出版局、2003年、原著1987年)などがある。 

キリスト教徒としての課題

ジャン=ジョゼフ・スュラン——一七世紀フランス神秘主義の光芒』(慶應義塾大学出版会、2016)などの著作を持つ宗教学者の渡辺優によれば、セルトーの多岐にわたる研究分野の中でも、彼の学問的な出発点であり関心の中心でもあったのは西欧近世(16〜17世紀)の「神秘主義」研究だった。教会を中心としたかつての共同体はすでに崩壊し、キリスト教は人びとの実践を組織する力を失っている。別の言い方をすれば、「自己に固有の場」をなくした状況下で、それでもなおキリスト教に固有の「もののやりかた」を以て、自らの場を他者の場へと開いていくことが、キリスト教徒としてのセルトーの課題であった。 

彼にとって「キリスト教徒」であることは、「今日なおいかにしてキリスト教徒たりうるか」という可能性の条件への問いと不可分の歩みであり、キリスト教がキリスト教そのものを越え出ることを促すような「他者」を希求する歩みそのものであった。狭義の神学の領分をはるかに越え出て、人文社会諸科学の知の領域を横断しつつ、より広大な「他者の場」へ。本書『日常的実践』は、セルトーのそのような通貨の途上に産み落とされた特異なテクストとして読むことができる。

渡辺優「文庫版解説」『日常的実践のポイエティーク』、p.519

『日常的実践のポイエティーク』(1980)

今回紹介する『日常的実践のポイエティーク』は1980年に刊行された。1984年に英訳版『The Practice of Everyday Life』が刊行されたことをきっかけに広く英米圏で受容され、現在はカルチュラル・スタディーズ文化研究)の古典的名著としての地位を確立している。

同書においてセルトーは、正統の教会から異端視されてきた神秘主義者たちや、支配的な権力や制度のもとで生きてきた民衆による、言葉や文字としては残されず、科学的・合理的な近代の知の領域から排除されてきた「日常的実践」に注目し、それらを歴史学の言説に組み込むことを試みる。

彼/彼女らは押しつけられた秩序に従いながらも、読むことや歩くこと、言い回し、職場での隠れ作業など、狡智を巡らせて与えられた秩序や規則を操作し、変形を加え、それを横領したり弄んだりしてみせる。そうした「なんとかやってゆく(フェール・アヴェク)」ための「技法」とその使用法、状況に応じた「戦術」を、セルトーは描き出していく。

前回(地方映画史研究のための方法論(23))紹介したギー・ドゥボールスペクタクルの社会』(木下誠 訳、ちくま学芸文庫、2003年、原著1967年)と同様に、本書もまた、ただ研究書として読まれるだけでなく、読者自身の日常的実践や、権力に対する抵抗のための指南書、もしくは道具・武器として使用されることが意図されている。ただし、ドゥボールが現代の社会や都市空間を「スペクタクル」が支配する世界であると捉え、最終的にはそうした状況を完全に否定・破壊することを目指しているのに対して、セルトーはあくまで制度やシステムの中で「なんとかやっていく」ことを指向している点で、大きな違いがあると言えよう。

朱宇正は著書『小津映画の日常——戦争をまたぐ歴史のなかで』(名古屋大学出版会、2020年)においてセルトーの『日常的実践のポイエティーク』を参照し、小津安二郎が描く日常は「社会によってそれに押しつけられた秩序の圧迫から決して逃れることはないが、この秩序から逸脱し、そうして現代生活のオルタナティヴな可能性を見せてくれる」(p.10)と述べている。その際、朱は、セルトーの日常的実践に対する見方は、システム内部での変革可能性を認めているという点では「楽観的」であるが、根本的にシステムの支配を逃れることができないものとして日常を捉えている点では「悲観的」でもあると指摘している(『小津映画の日常』p.10)。

このように、権力や制度、秩序やシステムと日常的実践との関係性をどのように捉えるか、ドゥボールのスペクタクル社会論やフーコーの権力論との共通点と差異はどこにあるのかということが、『日常的実践のポイエティーク』を読み進めていく上での重要な論点となるだろう。

小津安二郎『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)

「なんとかやっていく」ための術

普通の人びとによる消費=生産

セルトーは、『日常的実践のポイエティーク』を「普通のひと」に捧げたいと言う。「ありふれたヒーロー、そこここにいそうな人物、数もしれぬ歩行者」(p.46)、そうした普通の人びとはこれまで、名前を持たず、記録にも残らない、姿の見えない存在であった。しかし社会学や人類学の隆盛と共に、こうした無名の人びとや日常的なものが重要な研究対象として脚光を浴びるようになった。この研究の目的は、そうした普通の人びとが、日常的にどのような操作を行い、ものを使用しているかを問うことである。

資本主義が発展し、技術的合理性があらゆるものを均質化していくプロセスの中で、蟻に群れにも似た大衆社会が到来した。そこでは、ものの使用者は「消費者」と呼ばれる。消費者は一見すると受動的で、支配的な経済体制によって押しつけられた様々な製品をただ黙って享受しているだけのようにも思えるだろう。例えばテレビの視聴者は、まさに「スペクタクルの社会」の中の覗き見趣味者として、単なる受信機のごとく与えられた生産物を黙々と摂取しているように見える。他方、エリートたちは三流新聞やテレビの「レベルの低さ」に心を痛め、それらの生産物が大衆の心象や価値観を成形しているのではないかと危惧することになる。

だが実際には、消費者が摂取した生産物と「似たものになる」とは限らない。というのも、「消費」という言葉で形容されているものの中には、テレビが送り届けてくるような生産物とは別のタイプの「生産」が含まれているからだ。テレビの視聴者は「くだらなかったけど、それでも観」るという選択をしたり、報道番組を見ながら、その画面に自らの幼年時代の記憶を重ね合わせたりする。すなわち、消費者は、押しつけられた生産物を「どう使いこなすか」(p.19)によって自分自身を表現している。「こうして明るみにだすべき「製作(ファブリケーション)」は、ひとつの生産であり、ポイエティークである」(p.18)が、それは具体的かつ自律的な生産物を持たず、いたるところに紛れ込み、点在しているがために、隠された、不可視のものとなっているのである。

もののやりかた——権力に抵抗するための技法

セルトーはまた、こうした日常的実践が、支配的な権力や制度に対する抵抗にもなり得ると言う。そこで参照されるのが、ミシェル・フーコー権力論地方映画史研究のための方法論(11))である。フーコーは1975年に刊行した『監獄の誕生——監視と処罰』(田村俶訳、新潮社、1977年)において、警察や軍隊のように直接的な暴力と抑圧によって人びとを支配するのではなく、パノプティコンと呼ばれる監獄に象徴されるような、人びとの内面や生活の細部に働きかけ、権力に自発的に従う主体を生み出す「装置」の分析を行い、それを規律・訓練型権力と名づけた。

しかし、パノプティコン的な監視規律・訓練型権力が支配的な権力の様態であるとしても、一つの社会がすべてそれに還元し尽くされるわけではないとセルトーは言う。人びとはそうした権力に表向きは従いながらも、創造性や狡知を働かせて、権力の裏をかいたり反転させたりするための幾千もの「技法(アール)」を編み出し、実践してきたのである。

こうした日常的実践のかたちは様々で、状況や機会に応じて変化していくものであるが、そこにも何らかの規則あるいはロジックがあるはずだとセルトーは指摘し、それを「技法」もしくは「もののやりかた(マニエール・ド・フェール)」と呼ぶ。またセルトーは、こうした「もののやりかた」に関する研究は、フーコーが扱った問題とある面では似ているし、またその逆でもあるとも述べている。一方では、「もののやりかた」はフーコーが論じた「装置」と同様に日常生活の中に浸透して微生物のように繁殖し、多数の「戦術」を駆使することでその構造を操作し、変形を加えるものである。だが他方では、そうした「もののやりかた」は「装置」のように単一的で支配的な権力へと変化していくのではなく、隠密形態をとってあちらこちらに散らばり、反規律(アンチ・ディシプリン)の網の目を形成していくのだ。 

民衆文化——横領戦/隠れ作業

セルトーは、時代や場所を超えて様々な「民衆文化」における日常的実践に関する記述を辿りつつ、同時に社会学や人類学、歴史学、言語学、哲学、精神分析学など人文社会科学の理論を突き合わせていきながら、「もののやりかた」の規則もしくはロジックを描き出していくことを試みる。先述したように、日常的実践の創造性は不可視のものであり、具体的な生産物を持たず、固有の言語を備えようにも備えようがないような場所に遍在しているからこそ、複数の文化を横断して、それぞれ異なる社会や制度の中でも共通している操作の型を浮かび上がらせていくことが必要なのだ。

セルトーは、「民衆文化」を「もののやりかた」もしくは「技法(アール)」と同等の意味を持つものとして捉えた上で、それを「いろいろなものを組み合わせて利用する消費行為」と言い表している。民衆は他者によって設定されたゲームの中で、詐術や悪巧みといった「知恵」を働かせてルールの裏をかく無数の手法を編み出し、細く長く、粘り強い抵抗を続ける。彼/彼女らは「自分のもの」を持つことができないため、与えられたものや既成のものを利用したり操作したりすることでルールの網の目を掻い潜り、そのゲームを「なんとかやっていく」ことが必要なのである。このようにして闘う者たちの詐術には、思わず「してやったり」と手を叩きたくなるような「戦術」の妙があり、強いられたゲームの規則をひっくり返す快楽がある。

こうした「民衆文化」に特有な操作の「技法」は、遠い過去や田舎や未開社会だけでなく、現代社会における強大な経済の場にも存在している。それは「隠れ作業」である。労働者は工場や会社といった規制秩序の枠内で、管理職の目を盗み、他の労働者たちと示し合わせながら、自分と仲間たち、もしくは家族にとってだけの益になるような無償の品を制作するのだ。

そこで労働者は、職場を昔ながらの職人的生産組織に戻そうとしているわけでもなければ、自営的な生産組織に戻そうとしているわけでもなく、現在の社会体制の中にかつての「民衆的」な「戦術」を密かに持ち込み、秩序を弄び、快楽を手に入れようとする。いずれ体制が変わるだろうといった甘い幻想は抱かず、その場でさっさと自分たちの目的のために何かを「横領」してみせるのである。

使用法と戦術

文化の戦争論的な分析——「もののやりかた」の使用法

このように、様々な「民衆文化」の中から操作の「技法」を見つけ出したとしても、それを歴史的な文脈から切り離し、具体的な時間や場所、対抗関係からなる特定の状況下で行われた操作であるという事実を排除すると、日常的実践の重要な側面を見失ってしまうことになる。「使用のコンテキストcontexts of use」、すなわち、ある特殊な状況下において、どのようなタイミングで、どのような相手に、どのような仕方でそれを行うのかという問いを抜きにして、日常的実践を語ることはできない。

セルトーは「もののやりかた」もしくは「技法」を具体的に使用し、実践する(なんとかやっていく)ための様々な手続きと、それらが力を及ぼすべき領域との関係を明らかにするためには、文化の戦争論的な分析を導入しなければならないと言う。そして、「もののやりかた」もしくは「技法」を実際に活用して対象を操作することを「使用法 usages」と呼ぶ。この言葉は、ある集団が繰り返し行う型の決まった手続き、要するに「慣用」を意味する場合が多いが、ここでは、軍事的な意味での「作戦(action)」というニュアンスも込められている。「使用法」とは、「特有の形式と創意をそなえつつ、蟻にも似た消費作業をひそかに編成してゆくさまざまな作戦」(p.109)なのである。

戦略と戦術

ここでセルトーは「戦略」と「戦術」の区別を導入する。「戦略」とは、権力や制度(所有者、企業、都市、学術制度など)が秩序を作り出すための力関係の計算や操作のことである。「戦略」は、周囲の環境との間に境界線を引き、自分自身に固有の領域を作り出すことで初めて成立するものである。この操作により、敵や対象、目標を明確にすることができ、またそれらとの関係を合理的に管理できるようになる。「戦略」は近代にふさわしい身ぶりであり、政治的・経済的・科学的な合理性はすべて、このモデルの上に成立しているとセルトーは言う。

対する「戦術」は、自分自身に固有の領域を持たない。敵の全体を捉えようとしたり、境界線を引いて距離を取ろうとしたりすることもせぬまま「他者の場」に忍び込み、そこで計算し、行動する。「戦術」は、情況に左右されない独立性を保ち、自分自身の優勢を確保できるような基地を持たないのである。

自分自身に固有の領域を確保する「戦略」が、時間に対する場所の勝利であるのに対して、非場所的な性格を持つ「戦術」は、場所よりも時間に依存していると言えよう。「戦術」は、何かしら活用・利用できるものがあれば「すかさず拾おう」と常に機会を窺っている。また何かを手に入れても、そこで満足するのではなく、入手したものを効果的に活用・利用すべく、常に周囲を観察している必要がある。「弱者は自分の外にある力をたえず利用しなければならないのである」(p.109)。

セルトーは、話すことや読むこと、都市を歩くことや買い物をすること、料理をすることなど、普通の人びと——あるいは民衆や消費者——による大抵の日常的実践は「戦術」的なタイプの実践に属していると言う。ここまで論じてきた「もののやりかた」あるいは「技法」も同様だろう。これらの営みには、「戦術」的な奇略や奇襲に相通じるものがある。それは、強者が作り上げた秩序の中で弱者が見せる巧みな業であり、臨機応変の閃きであり、詩的でありつつ戦闘的でもあるような意気はずむ独創なのである。

日常的実践——読むことと歩くこと

読むこと——密猟とブリコラージュ

日常的実践を記述する上で、セルトーが最初に取り上げるのが「読むこと」である。テレビや新聞、コマーシャルや商品の展示に至るまで、私たちの社会は視覚を異常増殖させており、あらゆる物事の価値を「見せるかどうか」や「見えるかどうか」で図っている。「それは、目の叙事詩であり、読むという欲動の叙事詩である。経済そのものが「記号の支配体制(セミオクラシー)」に変貌していて、読むことをますます肥大化させている」(p.36)。

テレビについて触れた際にも述べたように、「読むこと」は——その対象がイメージであれテクストであれ——消費者の特徴とも言える受動性の極みであるかのように思われるかもしれない。だがセルトーは、事実はまったく逆であると言う。「読むこと」を行う時、人は「ページをよこぎって漂流し、旅をする目はおもむくままにテクストを変貌させ、ふとしたことば(モ)に誘われては、はたとある意味を思いうかべたり、なにか別の意味があるのではと思ってみたり、書かれた空間をところどころまたぎ越えては、つかの間の舞踏をおどる。読者は、他者のテクストのなかに、快楽の策略、乗っ取りの策略をはりめぐらすのだ。そこでかれは密猟をはたらき、もろともそこに身を移し、身体の発するノイズのように、複数の自分になる」(p.37)。このように、日常的なものは無数の「密猟」によって形成されているのである。

またセルトーによれば、「読むこと」は記憶の「制作」でもある。ロラン・バルトがスタンダールのテクストの中にプルーストを読んだように(『テクストの快楽』1973年)、あるいはテレビ番組を見ながら、その画面に自らの別の記憶を重ね合わせることがあるように、読者は複数の場所に立ち、決して自らが所有者であるというわけではないテクストの数々を結びつけていくのだ。

こうした「読むこと」による消費=生産の活動は、人類学者のレヴィ=ストロースが『野生の思考』(1962)において提唱した「ブリコラージュ bricolage」の一形態と見做すことができるとセルトーは言う。この言葉は、素人仕事や日曜大工をすることを意味するフランス語「bricoler」を由来とし、日本語では「器用仕事」と訳されることが多い。レヴィ=ストロースは、「ブリコラージュ」とは、ありあわせの手段や道具を寄せ集め、組み合わせて、本来とは別の目的のために役立てる手法であると定義し、それを「神話的思考」——既存の雑多な要素を使い回し、その配列を変えることで神話を成立させようとする思考——を説明するための比喩として用いた。

セルトーは、「読むこと」によるブリコラージュは神話額的思考におけるブリコラージュは異なり、まとまった集合を形成するわけではないと言う。「それは、時間の流れのなかに散らばった「神話学」であり、寄せ集めることのできない時間の点在なのだ。おなじ享楽をもういちど味わったりまたちがった享楽を味わったりしながら、記憶のなかに散らばり、次々と横切ってゆく知識のなかに散らばった神話学なのである」(p.400)。

都市を歩くこと——下のほうからの眺めと軌跡

またセルトーは、日常的実践の別の例として「都市を歩くこと」についても論じている。曰く、かつてニューヨークに聳え立っていたワールドトレードセンター(世界貿易センター)ビルの最上階に上ることは、都市を支配する高みへと運ばれることだ。その人は、あたかも神のごとく都市の「全体を見る」ことができているという錯覚を抱き、眼前に広がる世界を巨大で透明なテクストとして読む歓びを味わう。それは都市工学者や地図作成者たちと同様に、都市空間の隅々までを把握・管理し、その権力から外れるものを排除しようとする、「戦略」的なタイプの実践に属しているのである。

しかし本来、都市における日常的な営みは、地面に足を付けた「歩く者たち wandersmänner」による、「下のほう down」からの眺めを基本形態とするのだとセルトーは言う。歩く者たちの身体は、都市の全貌を把握することのないまま、見通すことのできない空間を利用する。「あたかも盲目性が、都市に住む人びとの実践の特徴をなしているかのようだ」(p.236)。歩行者たちは、都市計画によって秩序づけられたシステムの中に忍び入り、決められたルートの中で、くねくねと曲がってみたり、行ったり来たりしてみたり、ルートをはみ出してみたり逸れてみたりと、そのシステムが想定していないような「軌跡」を描いていく。

歩くこと」こそが、「戦略」的・都市計画的な概念としての都市とは異なる、生きられた空間としての都市を作り上げていくのであり、その実践は「戦術」的なタイプに属していると言えるだろう。もちろん、「戦略」的な意図からその軌跡を都市地図上に書き写すこともできなくはないが、そのようにして残された記録は、「歩く」という行為を抽象的な点や線に置き換えた、非時間的な遺物に過ぎない。「その線は、世界への現存というありようを忘れさせてしまうのである」(p.245)。

このように、普段とは異なる行動をとることによって——勝手気ままに「歩くこと」によって——日常の秩序を緩ませる「戦術」のバリエーションを描いた映画として、朱宇正は小津安二郎の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)を挙げている。同作には、小学生の兄弟が学校をさぼり、原っぱで昼食を食べるシーンがあるが、そのシーンの合間には、父親の職場におけるいつも通りの一日の様子や、いつも通りの退屈な授業が行われている様子が、同一方向にトラッキングするカメラワークを通じて巧妙につなぎ合わせられている。「編集で原っぱと学校/職場を並置することで、双方の時間性と空間性の対照が表現」(『小津映画の日常』p.69)され、近代的な日常生活の集団主義的・資本主義的な秩序から逸脱する「自由の感覚」が描き出されているのである。

小津安二郎『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)

地方映画史研究への応用に向けて

大久保遼は『映像のアルケオロジー——視覚理論・光学メディア・映像文化』(青弓社、2015年)において、19世紀の西洋から到来した様々なメディアを、当時の日本の人びとがどのように体験したか、またそこで、旧来の見せ物と新時代のスペクタクルとの間にいかなる混淆や軋轢が生じたかを検討するための参照項として、セルトーの名を挙げている。「外来した映像装置もまた、日常的で集合的なプラクティスのなかでヴァナキュラーな身体感覚になじむように改編され、臨機応変に、また即興的に既存の文化のなかで使用され、組み替えられていったのである」(p.30)。

地方映画史研究においては、西洋と日本の関係を、映画の製作や配給を行う中央(東京などの大都市)と、それらのフィルムを受け取り、興行を行う地方の関係にスライドさせて考えることができるだろう。そこでも、ただ与えられた作品を上映するだけではなく、その土地の観客の趣味や身体感覚に合った操作や改編が行われたはずである。

またセルトーの研究は、ドゥボールとは異なり、あくまで制度やシステムの中で「なんとかやっていく」ことを指向している点で、基本的に映画という娯楽や芸術を愛好しながらも、その制度の枠内で映画を自分のより良いかたちに操作・変形しようとする「観客」の研究と相性が良いのではないだろうか。


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