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地方映画史研究のための方法論(13)「普通」の研究②——ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト

「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)、米子市立図書館での巡回展「見る場所を見る2+——イラストで見る米子の映画館と鉄道の歴史」を開催した。今のところ三ヵ年計画で、2023年12月開催予定の第3弾展覧会(倉吉・郡部編)で東中西部のリサーチが一段落する予定。鳥取で自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作(2020)と併せて、多面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび上がらせていけたらと考えている。

地方映画史研究のための方法論

調査・研究に協力してくれる学生たちに、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有しておきたいと考え、この原稿(地方映画史研究のための方法論)を書き始めた。杵島さんと行なっている研究会・読書会でレジュメをまとめ、それに加筆修正や微調整を加えて、このnoteに掲載している。

映画を見に行く普通の男——ジャン・ルイ・シェフェール

ジャン・ルイ・シェフェール

ジャン・ルイ・シェフェール(Jean-Louis Schefer、1938-2022)は、フランス・パリ生まれの哲学者・美術批評家・作家。ナチスドイツのヨーロッパに侵攻によってパリが陥落する前年の1938年に生まれ、幼時の期間を敗戦下のフランスで過ごした。1969年、ロラン・バルトの推薦で『絵画のセノグラフィー』を発表し、美術理論家として脚光を浴びる。70年代はパリ第一大学・第八大学で教鞭をとるが、80年代からは文筆や講演の仕事、画家パオロ・ウッチェロの研究、洞窟芸術の調査などに専念。1年半で10冊以上の単行本を出版したとの逸話も残るほど膨大な著作を世に出した。邦訳は今回取り上げる『映画を見に行く普通の男——映画の夜と戦争』(丹生谷貴志 訳、現代思潮新社、2012年)以外に、『大江健三郎——その肉体と魂の苦悩と再生』(菅原聖喜 訳、白岡順 写真、明窓出版、2001年)と『エル・グレコのまどろみ』(與謝野文子 訳、現代思潮新社、2010年)の2冊が刊行されている。

『映画を見に行く普通の男——映画の夜と戦争』(1980)

映画を見に行く普通の男——映画の夜と戦争 L’Homme ordinaire du cinéma』は、ロラン・バルトの遺作『明るい部屋——写真についての覚書』(1980)と同じコレクションとして1980年に刊行された。一人の熱心な映画観客としてのシェフェールが、自身の幼時の記憶と現在の思考を織り交ぜながら、映画を見ることはどのような経験であるかを丹念に綴っていく一種のエッセイである。

本文は三章構成になっており、冒頭に本書の位置づけや論旨をまとめた「イントロダクション」、続いてスチル写真の分析から映画への思考を広げていく「神々」、最後にもっともまとまった分量で書かれた「犯罪的人生(フィルム)」が置かれており、「イントロダクション」で予告された映画をめぐる思索——幼い頃の映画経験やそれと結びついた戦争の記憶、映画を見ることによって得られる特異な時間の経験について論じられている。

多くの論者が指摘するように、シェフェールの文体は難解で、掴みどころがない。映画論、映画批評、映画理論、エッセイ、自伝的小説……そのどれとも言い難いが、逆にそのどれとしてでも読み得るような豊かさも感じられる。哲学者のジル・ドゥルーズが主著の一つ『シネマ2——時間イメージ』(1985)で本書を取り上げ、「理論が一種の偉大な詩となっている本」であると称賛したことでも知られる。

なお『映画を見に行く普通の男』原書の裏表紙には「自書解説」が記されており、邦訳書では「訳者あとがき」において全文が訳されている。シェフェールの映画に対する考え方・関わり方が問答形式で簡潔にまとめられており、本文を読み解くための手がかりになるだろう。

普通の男、あるいは特性のない男

本稿は「「普通」の研究」の第2回ということで、まずは『映画を見に行く普通の男』というタイトルの意味について考えてみたい。

シェフールは、自分は映画に関してまったくの素人だという。人並み以上の知識や理論を持ち合わせているわけでもなければ、特別な好みがあるわけでもない。ただ止み難い悪習のようにして映画を見に行く普通の男普通の人 L’Homme ordinaire)であると自らを説明する。

だがシェフェールは、他の多くの観客とは違うものを映画に見てもいる。少し先取りして言えば、彼にとっての映画は、個々の作品が語ろうとする物語や、その物語を語るための技巧とは別のところに開かれるものだった。映画館の座席に座り、上映が始まると、先ほどまでいた世界が不意に「無時間」の中に消えて行くと共に、その無時間性から別の「時間」が生まれて来る。事物や身体の縮尺が狂い、時空の蝶番が外れたような感覚に陥る。そうした、世界の消滅と別の世界の誕生を同時に生きることができる喜びのために、シェフェールは映画を見に行くのだ。

また「普通の男」には「特性のない男 Der Mann ohne Eigenschaften」の意味合いも含まれている。オーストリアのローベルト・ムージルの未完の長編小説『特性のない男』の主人公ウルリッヒは、所与の現実や社会のありように身を委ねつつも精神的には距離を置き、「現実」と呼ばれるものに対して常に疑問を発したり、別の可能性を思考し続ける。「現実」という尺度によって自らを検証することをしないがために、「自分らしさ」あるいは「特性」を失っていく人物である。シェフェールはウルリッヒと同様に、映画に関する既存の枠組みに依拠した分析や論評を行うのではなく、スクリーンから到来するイマージュを己が感じるままに、自分自身が経験したままに思考し、記述することを宣言する。

こうした態度は一見、「普通」という言葉が意味するものと大きくかけ離れているように感じられるかもしれない。この疑問については、丹生谷貴志が「訳者あとがき」でアルベール・カミュの小説『異邦人』(1942)を取り上げながら述べていることが参考になる。以下、少し長くなるが引用しておこう。

私たちは社会定存在として「社会」に生きるしか有り得ないのですが、一方で、私たちは社会とは無関係に「この世界」に現れ消えて行く存在でもあります。私たちが生きる(生きざるを得ない)この二つの様態は一見あらかた矛盾なしに共存しているように見えますが、しかし厳密には本質的に対立するものでもあります。(中略)重要なのは、「普通の者」が「おとなしい社会人」の意ではなく、「社会」とは別の場所に属する「異邦人」(時にムルソー*のように「社会にとって危険な狂人」とすら告発される者)である、ということです。(中略)私たちは皆すべて、少なくとも薄ぼんやりと、しかし常にすでに決定的に「異邦人」でもあるので、私たちはその「異邦人」の部分で自分の「異邦」を再訪するように映画を見に行く……そうシェフェールは言おうとしているのだろうと、ここでは推察しておきます。

*引用者註:ムルソーはカミュ『異邦人』の主人公。

丹生谷貴志「訳者あとがき」『映画を見に行く普通の男』p.340 

理論ならざる理論、観客論ならざる観客論

このように、本書はあくまで「僕自身」の経験を語るものである以上、映画に関するいかなる理論的な知も提示しないし、「観客論」にもなり得ないとシェフェールは言う。本文を読み進めていくと、映画を「夢」や「鏡」になぞらえたり、映画館を「洞窟」になぞらえるなど、70年代に隆盛した精神分析的映画理論や装置理論と結びつけられそうな記述に出くわすが、シェフェールはその都度、それらの理論と自らが論じようとしていることの違いを説明し、両者の混同を慎重に避けようとしている。

だが、ならば彼が語ることはすべて一般化し得ない個人的で特殊な経験に過ぎないのかと言えば、そうとも言い切れない。例えばシェフェールは原書の裏表紙に記載した「自書解説」において、映画の観客とは「快楽のために見る対象を選ぶ者ではなくて、見知る対象すべてが快楽の対象であるような者のこと」(p.334)であると述べている。ここでは、明らかに一個人の経験の記述を超えた観客論が語られている。映画を愛する観客(の多く)は、特定の作品や俳優を見るためだけに映画館に通うわけではないし、スペクタクルな場面だけを目的にスクリーンを見つめるわけでもない。事前知識を入れずに作品を鑑賞したり、何の変哲もない風景が映る場面や何も起こらない場面を熱心に見つめたりと、まさに「映画を見に行く」としか言いようのない目的で映画館に通う観客のことを、シェフェールの「見知る対象すべてが快楽の対象であるような者」という言葉は的確に表現しているように思える。

シェフェール自身、同書で語ろうとしていることは多くの観客に共有されているはずの経験であり、また映画にとって本質的なものであるとさえ述べている。だが同時にそれは「共有されているのに伝達し得ない経験」(p.12)である。あくまで個人的体験に閉じられた、言葉によっては辿り着き得ない意味作用の場に属する経験であり、説明するのではなく、その「感じ」を出来るだけ感じたままに書くことしかできない。シェフェールはそのような、個々の作品から映画を論じようとしたり、何かしらの理論に当てはめようとした途端にこぼれ落ちてしまう、語り難い映画の経験について語ろうとしているのである。

このように『映画を見に行く普通の男』が——たとえ著者自身が「観客論ではない」と釘を刺していても——映画の観客論もしくは地方映画史を記述する上で見逃すことのできない重要な論点を示していることは紛れもない事実だろう。「地方映画史研究のための方法論(4)」で取り上げたジェフリー・バッチェンがロラン・バルトの『明るい部屋』を介して論じた「普通の写真」の本質と同様に、シェフェールもまた、「普通」の語に備わる二重性——他とは入れ替え不可能な固有性・特殊性の側面と、他のどこでもあり得るような一般性の側面——の間に立ち、両極を不安定に揺れ動くような記述で映画の経験を論じているのだ。 

映画的夜——映画館における経験=記憶

怪物たちと映画的夜

子どもの頃のシェフェールには、映画館のスクリーンから到来するイマージュや音が、あたかも「怪物たち」の現れのように見えたという。それは恐ろしさよりも甘美な優しさを呼び起こされるような経験——恐怖と快楽が結びついた、ほとんど肉感的と言うしかない生々しさを持った経験——の記憶として、現在(本書執筆時)のシェフェールの中にも残り続けている。

なおここで語られる「怪物たち」は、恐怖映画に登場するような文字通りの怪物たちのことではない。恐怖映画の怪物であれ喜劇映画の役者であれ、あるいは人間ではないものも含めてスクリーンに映し出されるすべてのイマージュが、彼にとっては怪物の到来として経験されるのだ。

シェフェールはその怪物たちを「何か知れない何かを意味する可視的知覚対象」(p.10)と言い換える。スクリーンから到来するイマージュや音は、個々の作品が語ろうとする物語とは無関係に——あるいは、イマージュや音が物語上の役割や意味を与えられるよりも先に——目に見える「何かの意味」そのものとして観客の前に現れ、観客(シェフェール)の中に入り込んで場所を占め、独自の生命体のように住み着くのだ。

そして、シェフェールにとっての映画館は、例えば水族館の水槽のように、怪物たちを受け入れる準備を整え、彼らがその中を泳ぎ回ることを可能にする場として現れてくる。仮に魚が一匹も泳いでいなくても、水を張った水槽が水槽であることには変わりがない。それと同じように映画館も、上映作品の内容や物語とは無関係に、劇場の外の世界から切り離された自律的な場を形成しているのである。

映画館の暗闇からの連想で、シェフェールは映画館における経験=記憶を「映画的夜」(p.9)と呼んでいる。外部世界から切り離され、「一旦時空の蝶番から外れた映画館という特異な経験的夜」(p.10)の中を、怪物たちが蠢き、動き回り、話し出す。シェフェールが本書で考察しようとするのは、こうした特異な記憶の刻印——「フィルムの物語の思い出は消えても、肉感的な生々しさで残る感覚的感情、イマージュを受容し続ける何かとして残る腐葉土のような物質的感情」(p.11)についてなのだ。

戦争の記憶の反復

映画的夜を徘徊する怪物たちというビジョンは、「原初の映画」(p.11)の記憶——すなわち、シェフェールが初めて映画と出会ったときの経験や、そのとき抱いた感情——と深く結びついている。

幼少期、シェフェールはジャンルを問わずどんな映画を見ても戦争の記憶が呼び起こされ、恐怖や怯えの感情を抱いていたという。ただし、シェフェールが初めて映画を見たのは戦争が終わった後のことであり、また戦時中の彼はまだ幼児と言える年齢であったため、現実の戦争の光景をはっきり覚えていたわけでもない。その記憶は「幼児の一種の無意識の向こうを通り過ぎて行ったもの」(p.108)以上のものではなかった。また、実はシェフェールは戦争で父を亡くしていたのだが、その事実は家族によって隠されていたため、当時のシェフェールにとって父親はただ居なくなっただけであった。当然、死のリアリティーを感じることはできていなかった。

だが戦後、シェフェールは映画館でヴィットリオ・デ・シーカの『靴みがき』(1946)を見ている最中に、「突然、戦争のあらゆる怯えが、その4年間の恐怖が、そして、砕け散った事物が、消え去って行った者たちの顔が、一挙に、映画館を満たし、その、初めて見たフィルムのイマージュの上に凝固」(p.109)するという経験をした。

ヴィットリオ・デ・シーカ『靴みがき』(1946)

このとき感じた戦争の恐怖は、『靴磨き』の作中、戦後のイタリアでアメリカ兵の靴を磨く少年の姿と自らの境遇を重ね合わせ、自分が戦争や虐殺を生き延びたのだという事実をあらためて認識したことからくる事後の恐怖——別の言い方をすれば、作品が語る物語や登場人物——でもあっただろうが、それだけではないとシェフェールは言う。

というのも彼はその後、『靴みがき』のように戦後を描いた作品や直接戦争を描いた作品に限らず、チャップリンやローレル&ハーディーのような喜劇映画、ディズニーのアニメーション映画など、ジャンルを問わずあらゆる映画に対して「戦争の恐怖」を抱くようになったからだ。

バーレスク映画と死者の世界

とりわけ、バーレスク映画(ここでは体を張ったドタバタ劇の要素の強い喜劇映画を指す)、あるいは当時の映画の多くに共通するバーレスクな特性(登場人物たちがみな真っ白な顔で現れ、またその顔に連動するように、異常にぎくしゃくした動作を行うこと)がもたらす恐怖は一段と深いものだった。画面上に映し出される白い顔と奇妙な動作は、「何か知れない罪と死者の影のようなもの」(p.111)としてシェフェールに迫ってきた。

チャップリンの白い顔(バーレスクな特性?)
(チャーリー・チャップリン『キッド』(1921)スチル写真)

父親をはじめとする戦争の死者たちが、居場所を失ってしまった現実世界に戻って来ようとして、ぎくしゃくと体を動かしているのではないか。彼らは何かしらの贖罪——おそらくは生者たちに忘却され、捨て去られてしまったことへの贖い——を求めて、現実世界の裏の顔としての「映画館の闇(グロテスク)の世界」に湧き出して来たのではないか……。シェフェールの中で、映画館および映画はグロテスク=グロッタ(人工の洞窟)=防空壕=地下室といった連想を介して戦争の記憶や死者の世界と結びつく。そして、元いた世界から切り離されて映画館の暗闇に身を置いている自分自身も、「むしろ死んでしまった者たちの側に属している死者なのではないかという説明のできない恐怖」(p.109)を抱いたのである。

映画の可視性——観客とフィルムの中空に生成される記憶

ここであらためて、シェフェールが映画的夜を徘徊する怪物たちを「何か知れない何かを意味する可視的知覚対象」と説明したことの意味について再検討してみたい。

シェフェールは、本書における中心的な考察の対象の一つとして「映画における可視性」(p.8)を挙げていた。ここで言われる「可視性」とは、スクリーン上にくっきり映し出されるイマージュのことではない。映画における可視性(見えるもの)は、観客の外に自律してあるのではない。それは映写が始まった瞬間、フィルムと観客の中空に開かれる何かとして、可視化された時間の経験や運動の経験、イマージュの経験を生み出す。要するに映画的可視性は、観客の中に創成の場所を持つ。シェフェールが映画館で遭遇する怪物たちもまた、スクリーンに映し出されたイマージュと、シェフェール自身の幼時の記憶が結びつき、混成して生み出されたものなのだ。

※シェフェールの映画論と映画理論の比較

以上のような見方は、映画作品自体にあらかじめ不変の意味が備わっているわけではなく、それを鑑賞する観客の存在によって初めて意味が生じるのだとする精神分析的映画理論や装置理論の発想に近いように思える。だが後者の場合、観客がスクリーン上で展開する事件や登場人物に同一化し、その物語やサスペンスに巻き込まれることを想定し、それゆえ「虚構」や「幻想」(イリュージョン)といった語が頻繁に用いられるのに対して、シェフェールの場合は、観客はスクリーン上のイマージュに同一化するのではなく、むしろそのイマージュが観客の中に入り込み、両者の間に特異な記憶を形成するのだと考え、またそれを「虚構」や「幻想」と見做すのではなく、「経験」と呼ぶことに固執する点に大きな違いがある。

またシェフェールは、映画を見る経験は確かに「夢」に似ているかもしれないが、それを精神分析における夢判断的な「夢」と混同すべきではないと言う。映画のイマージュと結びつく自己の記憶は、必ずしも隠された欲望の反映ではないし、人類が共通して持つ集合的無意識のようなものでもない。ここでシェフェールが語ろうとしているのは、いつの時代にも普遍的な映画体験ではなく、あくまで映画史の特定の時期における観客の体験である。『映画を見に行く普通の男』を観客論として読むとしても、そこに記述されているのはあくまで第二次世界大戦前後を経験した世代が体験したことであり、また、映画館に映画を見に行くことが当たり前であった時代、掛かるフィルムは傷だらけの白黒映画が大半であった時代の映画体験であるという事実を見落としてはならないし、またそこにこそ、本書を観客論として読むことの意義や価値もあるだろう。

この時にイマージュが観客に与える経験を、シェフェールは「情動-変条」の経験という言葉で表現する。情動-変条とは、二つ以上の何かがぶつかることによって別の配置が生まれることである。なお、原文の「affection」に「情動-変条」という語をあてた訳者の丹生谷貴志は、それを床に落ちたビー玉が別のビー玉に当たって連鎖的に衝突が起こる様相にたとえた上で、情動-変条は弁証法的な止揚のプロセスとして捉えるべきではなく、複数のものの衝突によって形成される「事件」のようなものとして捉えるのが良いと補足している(p.29)。

観客は、(1)映画鑑賞という行為を今まさに経験している現実として感じ取るだけではなく、同時に(2)映画のイマージュとそれが引き起こす情動-変条の経験の混成として形成された記憶を内的経験(主観的現実)として生きるという、二重の「現実」を経験する。自分自身でも意識することのなかった過去の記憶経験が、映画のイマージュと結びつき、「かつて生きた」現実として経験されるのだ。

知覚として与えられる時間

 シェフェールは映画を見ることによって得られる特異な時間の経験=記憶に魅せられ、足繁く映画館に通うようになる。このことは、原書裏表紙の「自書解説」で簡潔に述べられている。

僕は時間そのものの中に通っているんだよ。僕にとっての映画は、時間が知覚として与えられる唯一の経験なんだ。(中略)僕はたぶん、映画を見に行くというよりも、そこに、かつてない時間性を享受するために行くとしか言いようがないからね。

シェフェール『映画を見に行く普通の男』p.333

映画館の座席に座り、上映が始まると、スクリーンには登場人物や風景、様々な事物のイマージュに先立って「煌めく斑点や光の涎のようなものによって作動が示される機械が僕の中で回転を始める」(p.142)。ここで言われる「回転」とは、映写機に掛けられたフィルムリールの回転であり、そこからスクリーンに投影された光と影は、たとえ何も写っていない空白のフィルムであっても、煌めく斑点や光の涎のようなもの——フィルムの粒子(グレイン)や縦長の傷——と共に1秒間24コマの間欠的な光の運動である。そこでは比喩的な意味ではなく、文字通り可視化された時間、あるいは知覚として与えられる時間が示される。

世界の消去と新たな世界の誕生


シェフェールはエドガー・アラン・ポーによる宇宙論『ユリイカ』(1848)を参照し、映画を見ることで得られる新たな時間性を、物質の誕生や宇宙の誕生になぞらえている。「僕は何よりもまず、その光の粒子の震えに巻き込まれて、訳も分からぬままに、その世界の中に入って行くのです」(p.26)——映画はスクリーンに映し出されたセットや物語のリアリティによって観客(シェフェール)を別世界に連れ出すのではなく、フィルムと観客の間に醸成される身体感覚や主観的な現実感覚を通じて、観客を別の時間=世界に巻き込んでいく。

そして新たな世界の誕生と同時に、観客は、先ほどまで居たはずの世界——映画館の外の世界——で起きている戦争やその他の問題に眼を向けることをやめる。さらには、映画に没入して我を忘れることに躊躇・抵抗しようとする「僕自身」をも忘れ去ろうとするだろう。シェフェールにとって映画を見るとは、自分自身と世界を消去して映画の時間に巻き込まれることの愉楽を味わうことであり、またそれに不可避的に伴う罪の意識に苛まれることなのだ。

映画を見ることの受苦(パッション)

さらにシェフェールは、世界(映画館外の時間)の消去と世界(映画館内部の時間)の誕生という論点を、映写によって時間の経験や運動の経験が生み出される仕組みにもスライドさせて論じている。

アリストテレスが「時間のアポリア」として提起した問題は、過去は「いまはない時間」、未来は「いまだない時間」であるというように、どちらも否定形でしか記述することしかできず、現在もまた、それについて語ろうとしたときにはすでに過去になってしまっている以上、時間は現実には存在し得ないのではないかということだった。

映画においても、確かに時間は「可視化」されるのだが、それはあくまでフィルムと観客の中空に開かれる経験としてであって、例えばその時間を凝固して、第三者にも見えるものとして提示するようなことは不可能である。映写機はフィルムリールを1秒24コマの速度で回転させて、一つのコマが見えるものとして現れては即座に消え去り、また次のコマが現れては消え去るという反復を通じて時間の経験や運動の経験を作り出すのであり、映写を止めて1コマずつを見つめても、それは無時間的な静止画像にすぎない。

キルケゴールが「あれかこれか、あれでもこれでもないという震えの中にあるしかない人間のありよう」(p.18)を「受苦(パッション)」と呼んだことを踏まえるなら、映画を見ることもまた、「現れでもあるものが同時に消え去りでもあってそこに波動しているという受苦」(p.18)の経験なのだとシェフェールは言う。「罪」や「受苦」という語が繰り返し用いられていることからも察せられるように、シェフェールの著作にはカトリックの信仰者としての態度、あるいは神学者的な態度が見て取れる。丹生谷貴志も指摘するように、本書は「「キリスト的身体」における世界の発生=終結そのものを掴み体感しようとする修行僧」(p.338)を思わせるような強い熱情を以て書かれているのだ。

いや、どう言えばいいのか巧く言えないのだけれど自分ではこんな風だと、そう、こんな具合に違いないと思ってきたのだ。つまりね、僕は映画館に映画を見に行くのではなくて、僕らの“幼時”をジッと見つめていたはずの世界とその時間を見つけに行くのだ、と。

——そこには全てがある、と?

——いやとんでもない! でも……世界の始まりにはこの世界に展開される全てが内包されているはずだと、映画以外のどんなものが僕らに、これほどの顕在とともに、経験させてくれるだろうか?

シェフェール『映画を見に行く普通の男』p.334

「神々」——スチル写真を見る経験

スチル写真の分析① 映画を見た記憶を呼び起こす働き

最後に、「地方映画史研究のための方法論」という観点から『映画を見に行く普通の男』を読む上で重要と思われる論点を、もう一つ示しておきたい。

本書の第2章にあたる「神々」では、様々な映画のスチル写真が取り上げられ、その分析が行われている。ここで興味深いのは、スチル写真そのものの分析と、そのスチル写真が宣伝・紹介しようとするオリジナルの映画作品の分析が混在していることだ。おそらくこうした曖昧さもまた、シェフェールが——映画を見る経験と同様に——スチル写真を見る経験を出来るだけ正確に、己が感じたままに書くことを目指した結果だろう。

例えばトッド・ブラウニング『悪魔の人形』(1936)を扱った頁(pp.32-35)では、スチル写真の分析から、映画のモンタージュの問題へと思考がスライドしていく。

トッド・ブラウニング『悪魔の人形』(1936)スチル写真

ここでスチル写真は、シェフェールがかつてその映画の本編を見た経験=記憶を呼び起こす働きをしている。作品の全体やそれが語ろうとする物語よりも、特定の場面や特定の瞬間に目を向け、フィルムの細部がもたらす経験に繊細に反応するシェフェールの鑑賞態度を、それ自体が映画本編の断片であるスチル写真が象徴的に示していると見ることもできるだろう(ただし、スチル写真と映画本編に使われているフィルムは基本的に別物であり、完全に対応・一致するカットがあるわけではない。そのスチル写真に対応する場面が、本編中のどこにも使われていないことだって珍しくはない)。

スチル写真の分析② スチル写真そのものの分析

また別の箇所では、スチル写真はそれ自体が鑑賞・分析の対象となっている。スチル写真のイマージュと、シェフェール自身の過去の記憶が結びつき、映画本編を見るのとも異なる新たな経験=記憶が生み出されるのだ。

例えば「航路地図」と題された頁(pp.87-89)に掲載されたバスター・キートン『拳闘屋キートン』(1926)のスチル写真には、航路地図を広げて手に持つ男が写っている。だがこのイマージュは、映画本編においては「極めて儚い一瞬で過ぎ去る」(p.87)瞬間に過ぎない。それゆえ、シェフェールはこのスチル写真を独立した一つの表象として、映画本編の前後の文脈を括弧に入れた上での分析を行なっている。

バスター・キートン『拳闘屋キートン』(1926)スチル写真

傾いた感じで体重を支え、大きな紙を広げ持った人物がいる。そこに確実に可視的に読み取れるものを求めれば、彼の大部分は紙に隠されており、彼の他からはそれ以上の読み取りを可能にするものはほとんどない、つまりは彼は読み取り不能である。それ以前に、「男が地図を持って見ようとしている」という一見明白なことも実は確かではないのだ。これほど大きな、しかし薄手の紙がこんなにかっちり形を変えずに重々しい感じであり得るのかどうか、その理由を疑ってみることが出来るし、男が地図を見ようとしているのなら何故地図面は僕らにしか読めないかたちで僕らの方に向けられているのかも疑えて、すると、この男が、ハエ取り紙に捕まった何かの虫のように、この大きな紙に張り付き巻き取られてしまっているという推測も充分成り立つ。かくて、結論、この男は世界地図に貪り食われようとしている。

p.88 

あるいは、「ベルリン型馬車、葉脈」と題された頁(pp.102-103)。そこに掲載されたフリードリヒ・ヴェルヘルム・ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)のスチル写真は、どういうわけか変色してネガ写真のようになっており、シェフェールの分析も、その変色が彼の鑑賞経験にもたらした影響についての記述に費やされている。

F・W・ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)スチル写真

ここでは、ありとあらゆる形態が、もはや明暗とそのはっきりしない濃淡にすぎないものになり、輪郭そのものまでもが、境界線ではなくて長い小骨めいた絡まりになってしまっているのである。
或いは、馬の狂乱した走りで運ばれて行くベルリン型馬車のイマージュこそがここのすべての可感世界を裏返してしまったのかも知れない。

p.102

ノンフィルム資料におけるスチル写真

シェフェールによるスチル写真の分析は、古い映画館プログラムや映画雑誌などの「ノンフィルム資料」に掲載されたスチル写真を読み解くための手がかりにもなるだろう。それらの写真を単に映画本編の代替物や本文の付随物と見做すのではなく、それ自体を——印刷の精細さや誌面のレイアウトなども含めて——分析の対象とすることで、当時の観客のありようをより具体的に想像・追体験することができるのではないだろうか。

映画のスチル写真に注目した例としては、第42回イメージライブラリー映像講座「石岡良治+三浦哲哉 映画史講義——何が「ハリウッド」と呼ばれるか」における石岡良治の発言思い出す。そこで石岡はアルフレッド・ヒッチコック』(1963)のモノクロのスチル写真を取り上げ、そこに映る「少女の顔が棄損されているイメージに恐ろしいものを感じる」(pp.33-34)のだと言う。基本的に「発明品」の連鎖として現れるハリウッド映画は、時の経過によって急速に陳腐化し、現在の目からすると「ちゃちい」ものに見えてしまう。それゆえ、古いハリウッド映画を生産的に論じるためには、そうした技術的稚拙さ(ちゃちさ)を突破していくような印象的な場面——まさに『鳥』のこのスチル写真のような——を見出すことが重要ではないかと、石岡は指摘するのだ。

少女の顔が棄損されているイメージ
(アルフレッド・ヒッチコック『鳥』(1963)のスチル写真)

なおこの講座の内容は、加筆修正が行われた上で『オーバー・ザ・シネマ——映画「超討議」』(石岡良治・三浦哲哉 編著、フィルムアート社、2018年)にも掲載されている。

また『鳥』のスチル写真のような「印象的な場面」について論じるためには、ロラン・バルト明るい部屋——写真についての覚書』(みすず書房、1985年、新装版1997年)も手がかりになるだろう。

バルトは同書において、写真には「惹きつけられる写真」とそうでない写真があるとした上で、さらに前者における経験を「ストゥディウム」(文化的・社会的なコード——送り手と受け手の間で共有されている規則——に基づいて意図的に伝達される写真受容)と「プンクトゥム」(意図せざる、コード化されない細部によって、一般的な概念や価値体系が揺さぶられるような経験)に分類し、写真が持つ記号的な意味を超えた力、それを見る際の言語化し難い経験を記述しようとしたのだ。


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