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地方映画史研究のための方法論(11)装置理論と映画館④——ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)を開催した。今のところ三ヵ年計画で、2023年12月開催予定の第3弾展覧会(倉吉・郡部編)で東中西部のリサーチが一段落する予定。鳥取で自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作(2020)と併せて、多面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび上がらせていけたらと考えている。

調査・研究に協力してくれる学生たちに、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有しておきたいと考え、この原稿(地方映画史研究のための方法論)を書き始めた。杵島さんと行なっている研究会・読書会でレジュメをまとめ、それに加筆修正や微調整を加えて、このnoteに掲載している。

ミシェル・フーコーの権力論——考古学から系譜学へ

アルチュセールとミシェル・フーコー

第10回で取り上げたルイ・アルチュセールは「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」(1970)で、警察や軍隊などの暴力と抑圧によって支配する公的な権力(国家の抑圧装置)に加えて、家族や学校、メディアなど、私的な領域や日常生活の中に浸透して作動する権力(国家のイデオロギー装置)の存在を明るみに出した。

こうしたアルチュセールのイデオロギー論を発展、もしくは補完するようなかたちで独自の権力論を展開したのが、第1回で取り上げたミシェル・フーコー(1926-1984)である。フーコーは哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した「系譜学」という概念に想を得て、アルチュセールと同様に、暴力・抑圧による支配とは異なる仕方で作動している権力の分析を試みた。

考古学から系譜学へ

まずはおさらいから始めよう。フーコーは『狂気の歴史』(1961)や『言葉と物』(1966)などの著作に「考古学」の方法を導入した。それは、自分たちが生きる現在とは断絶した過去を掘り起こし、両者を比較することで、現在では自明だと思われている知の枠組み(エピステーメー)が唯一の「真理」ではなく、歴史の必然的な帰結でもないことを明らかにするための方法である。要するにフーコーは、何が「真理」であるかを語るのではなく、時代毎に異なる「真理」が語られてきたことを示そうとしたのだ。

だが1968年頃、フーコーはポーランドとチュニジアで対照的な光景を目にしたのをきっかけに、自らの方法論の見直しを迫られることになる。ポーランドにおいては、権力の側が「真理」を自称するためにマルクス主義の言葉を用い、人々を抑圧していた。他方のチュニジアでは、、学生たちが体制や抑圧に抵抗する手段としてマルクス主義の言葉が用いられていた。マルクス主義という同じ「真理」が、それを語る人によってまったく意味を変えて用いられていたのだ。

これまでの考古学方法では、時代毎に「真理」の切断があることを確認し、そうした言説が成立し得る条件について論じることまではできたが、その言説が特定の社会においていかにして管理・排除され、流通してきたかという「政治」の次元の問題を扱うことはできない。

そこでフーコーが新たに導入したのが、もともとはニーチェが提唱した概念である「系譜学」である。それは、ある言説が「真理」としての価値を与えられるための条件や基準、具体的な手続きのあり方が、歴史的にどのように推移してきたかを分析するための方法であり、またそうした「真理」の系譜を記述することによって、西洋の形而上学が常に「真理への意志」——あらゆるものを思考可能なものと捉え、理解しようとすることで、すべてを精神に服従させようとする意志——を持ち続けてきたことを明らかにし、批判するための方法でもあった。

パノプティコン

パノプティコン——規律・訓練型権力

フーコーは1975年に刊行した『監獄の誕生——監視と処罰』(田村俶訳、新潮社、1977年)で、上述した真理と権力の問題を「主体」との関係性から分析しようとする。そこで重要な役割を果たすのが、18世紀末にイギリスの功利主義哲学者ジェレミー・ベンサムが構想した監獄の建築モデル「パノプティコン」(一望監視装置)だ。

パノプティコンでは、中央に監視塔が置かれ、その周囲を取り巻く円環状の建物が独房棟になっている。独房は一人の囚人につき一部屋ずつ与えられ、各部屋は壁で区切られている。また独房には窓が二つあり、一つの窓は監視塔から独房の様子が観察できる位置に設置され、もう一つの窓は独房内に光が差し込んで囚人のシルエットがくっきり浮かび上がるように配置されている。他方、監視塔には常に灯りがともされており、看守が常駐しているであろうことが示唆されるが、囚人の側からは、看守の姿を直接視認することはできない。

ジェレミー・ベンサムによるパノプティコンの構想図
The works of Jeremy Bentham vol. IV, 172-3, 1843 (originally 1791).

監視される側の囚人は、常に看守に「見られている(かもしれない)」という不可視の視線を内面化し、処罰を恐れて自発的に規則を遵守したり、模範的な行動をとろうとしたりするようになる。加えて独房は一人一室であるから、囚人は他の囚人の態度や行動を見たり、話したり、共に暴れたり何かを共謀することもできない。

他方、監視する側の看守からすれば、囚人が自発的に行動するのに任せれば良いのだから、直接命令したり、暴力に訴えるような具体的行動をとらずに済ませられる。また、いつでも「見られている(かもしれない)」と囚人に思わせさえすれば良いのだから、看守が実際に監視塔に常駐している必要はないし、囚人を孤立状態に置くことも、不測の事態が起こる可能性を減らして、個々人を把握・管理するのに好都合だろう。

パノプティコン的な監視と統制のメカニズムは、監獄のみならず、軍隊や学校、病院や工場など近代社会を構成する主要な装置にも組み込まれ、機能している。こうした権力のありようをフーコーは「規律・訓練(discipline)」と呼んだ。すなわち、大勢の人間を一ヶ所に集め、最小限のコストかつ効率的な仕方で、自発的に権力に従属する「主体」を生み出し、統制する権力である。

私的なパノプティコン

パノプティコンにおける視線の非対称性は、しばしば精神分析的映画理論における観客の窃視病的状況と類比的に語られてきた。

例えば映画研究者のロバート・スタムは、アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(1954)における主人公ジェフの部屋をパノプティコンに喩えている。曰く、足を怪我して室内で車椅子生活を送るジェフは、自分自身は見つめ返されない「安全な位置から世間を眺め、隣人たちを統制的なまなざしの下に服させ、いわば、私的なパノプティコンの監守=観客」になっている(ロバート・スタム他著『映画記号論入門』松柏社、2006年、p.460)。

アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(1954)より

ただし隣人たちはジェフの視線を内面化して自らの振る舞いを決定しているわけではないから、厳密に考えれば、こここでパノプティコンの喩えは成立しないかもしれない。だが『裏窓』において、一市民にすぎないジェフが隣人の生活を私的に監視し、規範から逸脱した行動(例えば殺人)をとる者を厳しく取り締まろうとすることは、次節で論じるように、パノプティコン的な権力のありようを考える上で重要な示唆を与えてくれる。

関係概念としての権力

アルチュセールの「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」において、監獄は「国家の抑圧装置」に分類されていた。それに対してフーコーは、権力に自発的に従う主体を生み出す装置としてのパノプティコンを論じることで、監獄の「国家のイデオロギー装置」としての側面を強調したのだとも言えるだろう。

また他のマルクス主義の権力論と同様に、アルチュセールは権力を「国家権力」と捉え、ブルジョワの権力とプロレタリアの権力の対立というマクロな権力の問題を想定していた。それに対してフーコーが想定する権力は、必ずしも「国家権力」を前提とはしていない。外部から抑圧されたり、呼びかけられたりするものとしての権力、あるいは具体的な装置を介して作動する「実態概念」として権力を捉えるのではなく、主体の内部から働くものとしての権力、複数の人間の間に成立する「関係概念」としての権力を描き出そうとする。

「関係概念」としての権力という観点を導入することで、例えば『裏窓』のジェフによる「私的なパノプティコン」のようなミクロな権力を扱うことが可能になる。すなわち、男と女、親と子、教師と学生、上司と部下など、「国家権力」としての権力という観点からは抜け落ちてしまうような、日常生活の隅々にまで張り巡らされた権力のネットワークを分析の俎上に載せることができるのだ。加えて言えば、「関係概念」として権力を捉えることは、国家よりも多国籍企業のほうが強い影響力を持つ新自由主義社会や情報化社会について考える手がかりにもなるだろう。

パノプティコンとしての映画館

社会学者の長谷正人は、「検閲の誕生——大正期の警察と活動写真」(『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010年)において、映画を見ることの隠喩としてのパノプティコンではなく、現実にパノプティコン的な権力が機能する場としての「映画館」を論じている。

長谷によれば、1917年8月に警視庁(東京府)が施行した「活動写真興行取締規則」と、1925年5月に内務省が施行した「活動写真「フイルム」検閲規則」という二段階の介入によって、大正期の映画の「上映形態」と観客の「享受形態」が大きく変化し、それが「検閲」という制度が十全に機能する結果につながったのだという。

第一段階の「活動写真興行取締規則」では、①子どもの映画館からの追放(公開作品の大半を占める大人用映画を子供に見せないようにすることで、事実上子供を映画館から締め出す)、②連鎖劇の排斥(興行場の建築構造に関する規定を設けて常設映画館以外での上映を困難にし、当時隆盛していた連鎖劇を衰退に追い込む)、③弁士の規律化(弁士を免許制とし、免許更新時には学術試験を課す)、④男女別席(劇場内で男女が身体を触れ合わせるような風俗的危険を未然に防ぐ)、⑤宣伝活動に対する制限(呼び込みの禁止や、劇場外の絵看板などの規制)といった、映画の上映形式に関わる取り締まりが行われた。

長谷はこれらの取り締まりの意図を、映画館における「上映形態」と観客の「享受形態」を、検閲室のようなニュートラルな空間に少しでも近づけるためだったのではないかと指摘している。それ以前の映画館には、子どもたちや恋人たちが作り出す賑やかさ、弁士や連鎖劇のライヴ性、絵看板や呼び込みなどが作り出す猥雑さといった独特な雰囲気(活動気分)があり、そうした雰囲気を味わうためにこそ、観客は映画館に出かけていたという。要するに、その頃の映画館は殺風景な検閲室とはまったく環境が異なるのであり、検閲官が検閲室でどれだけ作品を見ても、実際の観客が映画館でどのように作品を見るのかは予想しづらい。それゆえ検閲を有効に機能させるためには、まずは観客を集団から個人へと引き離し、あたかもパノプティコンの独房のように、一人一人が暗闇の中で孤立した存在になるよう仕向けなければならなかったのだ。

そして第二段階の「活動写真「フイルム」検閲規則」において、映画に対する取り締まりは「検閲」に一元化される。またこれを機に、以前は都道府県別に行われていた検閲を一度の検閲で済むように統一化することが行われた。上映形式の取り締まりから作品の検閲へと転換した理由について、長谷は「効率性」と「不可視性」を挙げている。

第一段階の「活動写真興行取締規則」によって、すでに映画観客の孤立化と規格化は達成されているため、わざわざ各映画館を上映のたびに監視しに行かなくても不測の事態が起きるリスクは限りなく少なくなっている。ならば後は、上映作品を事前に検閲しておいて、その作品を全国で繰り返し流せばそれで事足りるだろう。これまで膨大な手間や時間が掛かっていた取り締まりを、たった一度の検閲で代替できるようになったのだ(効率性)。

また警察にとって検閲の利点は、自らの存在および抑圧の行使を観客から見えなくするできることにあった(不可視性)。たとえ作品の一部をカットしても、検閲を行なったという事実を観客に知らせなければ、抑圧の痕跡そのものを隠し去り、より巧妙に管理することができる。実際、上映形式の取り締まりには観客からの激しい反発があったが、こうした不可視の検閲には、ほとんど抵抗らしいらしい抵抗もなかったという。

このようにして、パノプティコンとしての映画館が成立する。監視塔に居る不可視の検閲者が、たった一度の検閲で、すべての映画上映を効率よく統制する。そして暗闇の中で孤立化・規格化された映画観客たちは、あらかじめ検閲済のメッセージを与えられ、近代的な監禁装置の囚人に変えられるのだ。

生権力と自己の技法

生権力——規律・訓練と生政治

フーコーは規律・訓練型権力を、「生権力(bio-pouvoir)」というより大きなカテゴリに位置づけている。以下では箱田徹『ミシェル・フーコー——権力の言いなりにならない生き方』(講談社現代新書、2022年)における整理を主な参考として、「主権型権力」から「生権力」への移行と、それぞれの権力の特徴を簡潔にまとめておこう。

1789年に勃発したフランス革命以前の政治体制(アンシャン・レジーム)においては、国家や国王といった主権者が国民に対して権力を所有・行使する「主権型権力」による支配が行われていた。それは物理的な暴力によって担保された、臣民・市民としての個人に「死を与える権力」であった。

それに対して、フランス革命以後の17世紀後半に台頭してきた新たな権力は、人間の生を効率的に管理・統制するための権力——言うなれば「生を与える権力」——であり、フーコーはそれを「生権力」と名づけた。

この権力は、二種類の方法で行使されるという。一つは「規律・訓練」。パノプティコンのように「個人」に直接的に働きかけ、その身体を訓練して、権力が求める役割を担うのにふさわしい「主体」を生産するための方法である。

そしてもう一つは「生政治(biopolitique)」。これは統計学や医学、生物学や公衆衛生学などの知見と技術を駆使して、人間の「集団」に間接的に働きかけ、個体群としての人口=住民(ポピュレーション)の健全性を維持・管理するための方法である。具体的には、住環境の整備や保険・貯蓄制度の整備、伝染病・感染病のリスク管理など、出生率や平均寿命の向上を目的として、人々の生活環境に介入することが行われる。

箱田徹は、こうした規律・訓練と生政治の組み合わせとしての生権力の目的は、「ノーマル」な状態を確保・維持することにあると指摘する。「規律は、個人の身体を「ふつう」に振る舞う、スタンダードで「健全な」身体へと作り変えようとする。他方で生政治は、統計的に得られた標準値に従って集団全体の偶然性(リスク)を管理し、相対的に「健全な」集団づくりを目指す」のである(箱田徹『ミシェル・フーコー——権力の言いなりにならない生き方』)。

ジル・ドゥルーズの管理社会論

フーコーの「生政治」概念を引き継ぐようなかたちで、独自の権力論を展開しようとしたのが、哲学者のジル・ドゥルーズである。

ドゥルーズは1992年に発表した短い論考「追伸——管理社会について」において、「規律・訓練」に代わる新たな権力として「管理」型の権力が台頭し、いまや「管理社会」の時代が訪れつつあると指摘した(ジル・ドゥルーズ『記号と事件——1972-1990年の対話』河出書房新社、1992年、p.358)。管理社会とは、サイバネティクス(生物と機械の制御や通信・情報処理に関する総合的な科学)やコンピュータ・ネットワークの発展を背景として、恒常的な管理と瞬時のコミュニケーションが幅をきかせる社会のことである。ドゥルーズはその具体例として、個人認証と位置情報を利用した電子カードでゲートの開閉が行えるようにすることで、個々人の移動可能範囲を把握・制御するシステムを挙げている。そこでは暴力や命令が不要なのはもちろんのこと、パノプティコンのような視線の内面化さえも必要とせずに、人々の行動を管理できるのだ(ドゥルーズ『記号と事件』p.364)。

ドゥルーズの語る管理社会的な権力のありようを描き出した映画としてしばしば取り上げられるのが、スティーヴン・スピルバーグの『マイノリティ・リポート』(2005)である。

例えば映画研究者の山本直樹は、同作の描く未来社会は、監視者の視線を内面化させることで人々を一定の「型」にはめなければならない規律・訓練型の権力が機能不全に陥った後の社会であると述べている(山本直樹「映画への回帰——『マイノリティ・リポート』再考」『入門・現代ハリウッド映画講義』藤井仁子 編、人文書院、2008年、p.49)。そして、それに代わって台頭するのが、犯罪を事前予測して犯行前に取り締まる監視システムや、個人情報と生体認証を駆使して個々人の趣味・趣向に合わせた広告を表示させるシステムなど、状況に合わせて流動的に変化する不定形の権力——すなわち「管理」型の権力なのである。

他方で映画研究者の鈴木繁は、『マイノリティ・リポート』が管理社会を描いたフィルムであるとする点では山本と共通しつつも、それを規律・訓練型の権力から管理型の権力への段階的・進歩論的な移行として捉えるのではなく、双方の権力は「重層的に相互利用する形で現実化される」ものとして捉えるべきだと指摘している(鈴木繁「監視社会の夢遊病者たち」『映画とテクノロジー』塚田幸光編著、ミネルヴァ書房、2015年、p.14)。

顧みればフーコーもまた、規律・訓練型の権力と生政治的な権力が組み合わさって機能するものとして生権力を論じていた。またその生権力と主権型の権力も、必ずしも対立・排除し合うわけではなく、相互に絡み合い、複層的に働くことで、人々の振る舞いを効率的に管理統制しようとするのである。

環境管理型権力とアーキテクチャ

ドゥルーズ自身は管理社会についての具体的なビジョンを詳しく示しておらず、その概念は抽象的で曖昧なものに留まっているが、日本では批評家・作家の東浩紀がその議論を引き継ぎ、「環境管理型権力」という新たな概念を提唱している(東浩紀「情報自由論」『情報環境論集——東浩紀コレクションS』講談社BOX、2007年、p.49)。環境管理型権力とは、環境そのものを設計することによって無意識のうちに人の心理や行動を制御・管理する権力である。

この概念を練り上げる上で、東がドゥルーズの管理社会論に、法学者ローレンス・レッシグが『CODE——インターネットの合法・違法・プライバシー』(山形浩生、柏木亮二 訳、翔泳社、2001年)で提唱した「アーキテクチャ」概念を接続していることが重要である。

レッシグによれば、アーキテクチャとは「法」や「社会的規範」、「市場」に続く第4の権力であり、無自覚・無意識のうちに人々の行動を制約すべく機能する環境設計・社会設計を意味する。具体的には、マクドナルドが客の回転率を高めるために敢えて硬い椅子を設置し、一定時間で自然と席を立つように促しているという例がしばしば取り上げられる(ジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』正岡寛司 監訳、早稲田大学出版部、1999年)。

マクドナルドの硬い椅子

また情報化社会においては、インターネットなどのコンピュータ・ネットワークを構成するコード(プログラミング)もまたアーキテクチャであり、ユーザーが知らぬ間にアクセス権を制限されていたり、情報の複製に制限がかけられていたり、有害な情報があらかじめフィルタリングされて排除されていたりするといった管理の技術が、すでに高い精度で実現・実装されている。

管理社会やアーキテクチャ、環境管理型権力などの概念は、郊外住宅やゲーテッド・コミュニティ、ショッピングモールなどを論じるためにしばしば用いられてきた。例えば長谷正人が大正期の映画館をパノプティコンとして論じたのと同様に、ショッピングモールのシネコンやNetflixなどのSVOD(サブスクリプション型ビデオオンデマンド)をこれらの概念を用いて論じることもできるだろう。

自己の技法

すでに触れたように、フーコーは権力を何かしら実態のある概念として捉えるのではなく、複数の人間の間、あるいは複数の力の間に成立する関係概念として捉えていた。

このことは、権力を行使する側と行使される側の非対称性が永遠に固定されたものではなく、変動したり、反転したりすることもあり得ることを意味している。文化批評家・活動家のベル・フックスも言うように、あらゆる権力関係には抵抗の可能性が必然的に存在するのだ。

規律・訓練や生政治のように他者の生を規格化し、管理・統御するための技術に対置するかたちで、フーコーは「自己の技法(Les techniques de soi / Techinologies of the self)」という概念を提唱する(自己の技術、自己テクノロジーとも訳される)。

自己の技法とは、個人がそれのおかげで「単独でもしくは他者の助けを借りて、自己の身体および魂、思考、行為、存在容態に対する一定数の操作を実現することができる」ような技法である(ミシェル・フーコー「自己の技法」、大西雅一郎訳『フーコー・コレクション5——性・真理』所収、ちくま学芸文庫、2006年、p.354)。要するに、自己に属するものに自ら働きかけ、統制することによって、より良いものへと引き上げていく「セルフ・マネジメント」の技術であり、抽象的な理論というよりは、ノウハウやマニュアルのようなものを思い浮かべれば良い(箱田徹『ミシェル・フーコー——権力の言いなりにならない生き方』)。例えばベル・フックスが提唱した「対抗的まなざし(The Oppositional Gaze)」も、そうした自己の技法のひとつと見做せるだろう。

権力論から統治論へ——自己への配慮と自己認識

こうしてフーコーは、他者を導き支配するための技術を分析する「権力論」から、他者を導く技術(支配の技法)と自己を導く技術(自己の技法)を結びつけて共に思考する「統治(性)論」へと議論を拡張させる。

古代ギリシャのデルフォイの神殿には「汝自身を知れ」という格言が刻まれていたという。フーコーによれば、その言葉には本来、当時の社会生活や個人生活の根幹を成す道徳原理である「自己への配慮(epimelia heautou)」という意味が備わっていた。自己への配慮とは、自分自身のことに専念し、他者を導くべき自己をより高い段階へと導いていこうとすることであり、自己の内にある主観的な「真理」を見出そうとすることである。またそれは、過ちや危険を避けて安全な場所に自らを置こうとすることであり、自己が自己であることを享受し、楽しむことであり、他者から与えられた悪き習慣や見解、教育を自分から取り除くことでもある(ミシェル・フーコー「コレージュ・ド・フランス講義要旨「自己の解釈学」」『フーコー・ガイドブック』ちくま学芸文庫、2006年)。

だがその後、「汝自身を知れ」という格言に備わった「自己への配慮」という意味は次第に覆い隠され、代わって「自己認識」という意味が強調されて用いられるようになる。自己認識とは、自分自身についての本当の認識を得ることであり、自己の外部に「真理」を見出そうとすることである。そのようにして獲得された「知」は権力と結びつき、国民国家や資本主義の要求に見合った「主体」を生み出すための道徳や規則が作り上げられていく。

自己を認識しようとすることは、逆説的に、自己を断念するための手段となったのであり、そこでは「自己への配慮」——自分自身のことに専念し、己の欲望を追い求めること——は、拒絶するか禁欲すべき不道徳な営みと見做される。フーコーはこうした支配の技術に抗って、「自己の技法」を奪還せよと訴えたのだ。


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