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「何もない日」を防衛せよ(あるいは新しい発電方法について)
「飲みに行こうよ」的な予定を断ったときに「その日何があるの?」という人の図々しさはどこから来るのか?と思う人は実は多いんじゃないか。
「何もないです」というと、「じゃあなんで来ないのか」と言われる。「どうせ暇なんだから」
いやいや、冷静に考えてほしい。「何もない」日は暇ではない。何もない日にやっておきたいことはあるし、予定がないからこそやりたいことを発見できるかもしれない。
だいいち、仮に何
パターン認識での会話
酒を飲んだら問題はエタノールに溶けてなくなるもんだと思っていた。しかし酒は問題を先送りにしているだけなのである。
そもそも問題だと思っていないことが問題なのかもしれない。メタ問題。
さて、記号接地問題というのがある。
「犬」という単語と、犬を見たり触れたりしたときの感覚との結合があってはじめて、我々は犬を理解したと考える。しかし、感覚を持たないAIも犬を理解しているかのような会話が可能である
どうせ理解されないので、というマインド
どうせ理解されないので、というマインド。そもそも会話は継続すること自体が重要であるという立場と、内容を重視する立場とが矛盾する地点。本当のことを言ってもどうせ理解されないと思い、社会的に理解されやすい答えを捏造するのはむしろ誠実すぎるからか?もし本当に自分の思っていることを答えた場合、それに対する相手の理解が間違っていたら訂正しないといけない、と思ってしまうから。まして社会的に理解されづらい意見な
もっとみる朝ごはんが食べられない
起床直後は食欲がなくて、自分を「朝ごはんが食べられない人」 とカテゴライズしてきた。かしし実際には起きてから時間が経てば食べられるようになるのだ。したがって問題は体質ではなく「朝に時間がないこと」である。じゃあなんでこんなに急がなければならないんだ?
自分探しなどやめて、その場に居合わせよう
最近は苦手な会合に出たり苦手な人に会ったりすることを「フィールドワーク」と呼んでいる。僕はあくまでも文化人類学者で、こいつらは研究対象たる異民族なのだ。そう思うと、お世辞も謎のマナーもエキゾチックだ。
これは文化人類学者にも本当の異民族にも失礼かもしれない。
本題に入る。
「自分にしかできないこと」をやることが充実感につながるのではないかと考えている。でも、そんなことを簡単に見つけられるほど
理不尽に耐えなくても生き抜ける社会
「俺たちの時代だったらそんなのはありえなかったよ」
「今はそういう時代じゃないからなぁ」
「時代は変わったんだなぁ」
とドヤ顔で僕に言ってきた人たちは、結局のところ何が言いたかったのか?
・いきなり昔の話をしてきて、なんだこいつらは?
・お前らの時代の話なんて知らねえよ
などと言いたくなるところだが(いつもは心の中で言っているが)、一旦落ち着いて、冷静に考えてみる。
可能性をいくつか挙げて