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深い話をしよう
親友とあるゲームをした。
まず自分の中で架空のヒーローを思い浮かべ、名前をつける。
次に、そのヒーローが言いそうなセリフを言う。
それを聞いた側が、そのヒーローの名前を当てる。
これを交代して繰り返すだけである。
例えば、
「洗顔だけでは落とせない汚れがあるんだ!」
の答えは、
「ミスターオードムーゲ」
である。
・・・
僕はこんなどうでも良い話をしているときがいちばん幸せだ。
しかし、世の中には「深い話をすることができて初めて親友なんだ」みたいな風潮がある。
本当にそうなのか?
世間で言う「深い話」って、人生観とか恋愛観とか、だいたい決まっている。
しかし、これらが「深い」とされる本質的な理由がよくわからない。
プライベートな話だからか?しかしプライベートってなんだ?語る人の人柄が表れるということか?なら自分で考えたヒーローに名前をつけるのも人柄が表れないか?
ほとんどの人は、人生観や恋愛観の話を、自分なりに納得した上で「深い」と言っているとは思えない。
実のところ、世間で「深い」とされているジャンルについて話すことを、「深い」と呼んでいるだけなんじゃないか?
ならば、何が「深い」のか、僕らが自分で決めれば良いじゃないか。自分たちで決めた方が、よっぽど「深い」。
僕らにとっては、謎のヒーローの名前を当てることが「深い」のである。
架空の部族を作ってその歴史を語ることが「深い」のだ。
今年はもっと深い話をしよう。
笑い話じゃないね
このまま僕は喋りつづけてる
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