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時間がない人のための文筆活動
新年から5日連続でnoteを更新しているが、これがいつまでも続くなんて思っていない。
今はなんだかんだ更新できているが、再来週あたりからぐっと難しくなる。それは主に時間がなくなるからだ。
もちろん、文章を書く際の困難は時間だけではない。モチベーションや、ネタの有無なども大いに関連するだろう。とはいえ、時間が重要な要素であることは間違いない。
そこで、noteを短い時間で書く方法について考える、というアイデアが生まれた。
時間を短縮する上で大事なのは、言うまでもないが、時間のかかっている部分にアプローチすることだ。いわゆるボトルネックとか律速段階と呼ばれる部分だ。
では、文章を書く上でのボトルネックは何か?
それは、文章はこうあるべきだ、という暗黙のイメージだと思う。これに従おうとするから時間がかかるのだ。
そこで、「時間がない人のための文筆活動」について書いてみる。
文章を書くにあたってのハードルとなる「決まり」は色々ある。それらに無意識のうちに従おうとする傾向が多くの書き手にあるのであれば、これを言語化する価値はあるのではなかろうか、と大仰なことを言ってみる。
ではその「決まり」をとりあえず挙げ、解決策を考えてみよう。思いついた順なので必然性はないし、ましてMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive:漏れなくダブりなく)でもないが。
1.引用の形式を守る
こんなことを言うと怒られそうだが、出典の明記とかがめんどくさいのだ。
解決策:読み手がその気になれば調べられるくらいにテキトーにする。
そもそも出典の明記は読み手が検証できるためにあるのだから、調べられる程度にしておけば良い。厳密な学術論文じゃないんだから。
ただ、引用部分と自分の文章の区別は明確にしないといけないと思う。それをしないと、いよいよただの剽窃になってしまう。
2.最後まで書ききる
公開するからには、書き切らなければならない、という、一見ほぼ自明のような前提。これも槍玉にあげておこう。
解決策:最後まで書いてなくても公開する。
だいたい、最後まで書こうとするから、「文章がまとまらない」などといった事態が起こる。しかも、最後まで書かねば、というプレッシャーは、書き始めることを強く阻害する。
まとまらないからといって無価値なわけじゃない。最終的にまとめるにしても、結論に至るまでの足跡を公開することには、何らかの価値があるのではなかろうか。それに、世の中に「やっぱやーめた」的な文章が増えれば、世間一般の文章そのものへのハードルが下がり、文章を書く人が増えるかもしれない。それが悪いことであるはずがない。個人的には、世に文章が溢れるほど社会は良くなるのではないかと勝手に思っている。
3.引用した文献は全部読む
普通に文章を読んでいて、難しそうな文献が引用されているのを見ると、「この人はそんな難解な本を読んでいるんだ、すごいな〜」と思うと同時に、(それに比べて自分は…)と少し気が滅入る。
どうやら我々には、引用した文献は全て目を通しているという暗黙の前提があるらしい。
解決策:全部は読まねえ。一部だけ拾い読む。
引用部分とその周囲だけ読めば良いのではないか?全部読んでいたかキリがない。
なお、「本を全部読むか読まないか問題」については、『読んでいない本について堂々と語る方法』が大変参考になる。
まとめ
他にも多分あると思うんだけど、そんなこといってたらキリがないのでやめる。書いているうちに時間よりハードルの問題にすり替わってしまった感があるが、このままにする。
さて、書いていて気づいたことは、読み手を信頼することの重要性である。
読み手を信じていれば、テキトー引用も尻切れトンボも大して問題にならない。読み手が書き手の意図をくんで(あるいは余計なことはくまないで)くれるからだ。
逆に、X(旧Twitter)などのSNSで起きている諸問題は、それらのSNSの「書くことへのハードルが低い割に読み手が信頼できない」という特徴が原因にあるのかもしれない。
書くことのハードルが低く、かつ、読み手が信頼できる、という環境がもっと増えれば良いのに。
社会的な結論に至ったので終わりにする。あとは読み手を信頼します。
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