前回からの続き。 現実にもってくるには どのシステムが使えて私は何をしないといけないのか。 限定数を設けたかったのと※これに関しては後述。 こちらから個別に連絡し…
この度コロナ危機を機に 店主をしている菜食料理店を有料会員制飲食店に変更しました。 その背景と意図を書いてみようと思います。 京都駅から徒歩数分の路地奥、奇跡的…
そこからはバイトの日々。とにかくお金を貯めて学校に行きたい。 それ一心だった。 今となったら直接店に入る方法もあったなと思うが サラリーマン家庭ニュータウン育ち。 …
高校生になったわたし。 裁縫や工作、物を作るのが好きだった。 そして相変わらず料理はやっていて いかと大根の炊いたの、かぼちゃの煮物、豚汁、きんぴらごぼう グラタン…
小学校の高学年の頃だったと思う。 近所にお菓子作りが上手なお母さんがいて、 ティラミスという聞いたことのないケーキを いただいた。 植物性ホイップクリームの味が苦手…
母が仕事をしていたので小学校2年生頃からは日曜日の朝や昼のごはんを 姉と一緒に 作るようになっていった。 お母さん喜ぶかなあと思いながら 当時の料理本の超定番の赤い…
そして父。父は料理番組がすきで いつも側に座って一緒にみていた。 4歳くらいだったかな。 高い帽子をかぶったシェフがみたことない食材をつかい どんな味なのか全く想像…
料理の原点のひとつは祖母である。 母方の祖母と叔母のさっちゃんは鳥取県倉吉市というところでいせやという 豆腐屋を営んでいた。 私は奈良で育ったので年に1度しか行け…
わたしが料理人になるまでの道。 昔の話。 3歳にも満たなかっただろう。 近所の公民館でお料理教室が開催されており 母が通っていて 私もついていくことがあった。 実習中…
菜食料理人 安田尚美
2020年6月19日 21:50
前回からの続き。現実にもってくるにはどのシステムが使えて私は何をしないといけないのか。限定数を設けたかったのと※これに関しては後述。こちらから個別に連絡しやすいようにとか会員の方に買い物してもらえるようにするとか営業再開したら予約も会員ページからしていただけるようにする。とか使いたい機能を列挙しそれができる方法を検討しセレクトタイプという問い合わせフォームや顧客管理ができるシス
2020年6月4日 18:31
この度コロナ危機を機に店主をしている菜食料理店を有料会員制飲食店に変更しました。その背景と意図を書いてみようと思います。京都駅から徒歩数分の路地奥、奇跡的にみつかった町屋で菜食料理店をやっています。7年半前に会社の一部門としてスタートし私は初めから料理人としてこの店を切り盛りしていて昨年のれんわけを受けて独立、今は個人事業として経営しています。7年半前2013年2月から数年間
2018年10月24日 22:42
そこからはバイトの日々。とにかくお金を貯めて学校に行きたい。それ一心だった。今となったら直接店に入る方法もあったなと思うがサラリーマン家庭ニュータウン育ち。コネもつてもない19歳が思いつく方法は調理師学校にいく。それだけだった。この頃にはティラミスとパスタの想い出からイタリア料理をやると決めていたので1年バイトで貯めたお金で辻調理師学校の西洋料理専門カレッジというところに入った。
2018年10月23日 22:44
高校生になったわたし。裁縫や工作、物を作るのが好きだった。そして相変わらず料理はやっていていかと大根の炊いたの、かぼちゃの煮物、豚汁、きんぴらごぼうグラタン、キャベツとアンチョビのパスタ、タピオカココナッツミルクが得意料理。そろそろ将来のことを考えていく時期でたくさん作ってもあとに残らない料理の仕事は儚くていいなあとおもった。調理師学校に行きたかったのだけどまあまあな進学校に通
2018年10月22日 22:59
小学校の高学年の頃だったと思う。近所にお菓子作りが上手なお母さんがいて、ティラミスという聞いたことのないケーキをいただいた。植物性ホイップクリームの味が苦手だったのでいわゆるショートケーキ類には目もくれない子どもだったのだが珈琲のシロップが染み込んだスポンジとふわふわのクリーム上にはカカオパウダーがたっぷりこのティラミスというものの味のとりこになった。そうそうお願いするわけにはい
2018年10月21日 22:23
母が仕事をしていたので小学校2年生頃からは日曜日の朝や昼のごはんを姉と一緒に作るようになっていった。お母さん喜ぶかなあと思いながら当時の料理本の超定番の赤いチェックの分厚い本をめくってはこれは作れそう。とチビで身長がキッチンにあわないので台にのって料理を作った。美味しいと食べてくれて嬉しかった。ある時ヴィシソワーズというじゃがいものスープをつくる。うちにはミキサーがなくて一
2018年10月20日 20:37
そして父。父は料理番組がすきでいつも側に座って一緒にみていた。4歳くらいだったかな。高い帽子をかぶったシェフがみたことない食材をつかいどんな味なのか全く想像できない料理を作る。その頃の私がなりたかったものはその番組でいつも試食をする龍虎という人だった。龍虎いいなあ。といつも思っていた。あの頃のフレンチはかなりリッチやったやろうし龍虎さんも大変やったやろうと今はおもう。父は料理も
2018年10月19日 23:04
料理の原点のひとつは祖母である。母方の祖母と叔母のさっちゃんは鳥取県倉吉市というところでいせやという豆腐屋を営んでいた。私は奈良で育ったので年に1度しか行けなかったが祖母の家の記憶はしっかり残っている。家を入ってすぐ左手に豆腐工房。手前には豆腐を冷やす水を張った水槽のような冷蔵庫。となりに水切りや豆腐をとりだす板を並べた棚、奥には油揚げを揚げる2槽になった大きな揚げ場があった。豆を
2018年10月18日 23:08
わたしが料理人になるまでの道。昔の話。3歳にも満たなかっただろう。近所の公民館でお料理教室が開催されており母が通っていて私もついていくことがあった。実習中はあぶないからと待合のところいて実習が終わったら入れてもらって一緒に食べさせてもらった。みんなで作ったものをみんなで食べる。大人たちが嬉しそうで食べたものの味は記憶にないんだけどその空気感はいまでもぼんやりおぼえているよ