菜食料理人 安田尚美

京都にて菜食料理屋 オーガニックハウスサルーテ サルーテ菜食料理教室を主宰しております…

菜食料理人 安田尚美

京都にて菜食料理屋 オーガニックハウスサルーテ サルーテ菜食料理教室を主宰しております。 イタリア料理人生活を経て菜食料理人に転向し合わせて21年 料理ばっかりしているひとです。 http://salutekyoto.com

最近の記事

菜食料理店サルーテ有料会員制飲食店になりました。②

前回からの続き。 現実にもってくるには どのシステムが使えて私は何をしないといけないのか。 限定数を設けたかったのと※これに関しては後述。 こちらから個別に連絡しやすいようにとか 会員の方に買い物してもらえるようにするとか 営業再開したら予約も会員ページからしていただけるようにする。 とか使いたい機能を列挙しそれができる方法を検討し セレクトタイプという問い合わせフォームや顧客管理ができる システムを使うことにする。 https://select-type.com/ 4

    • 菜食料理店サルーテ有料会員制飲食店になりました。①

      この度コロナ危機を機に 店主をしている菜食料理店を有料会員制飲食店に変更しました。 その背景と意図を書いてみようと思います。 京都駅から徒歩数分の路地奥、奇跡的にみつかった町屋で菜食料理店を やっています。 7年半前に会社の一部門としてスタートし 私は初めから料理人としてこの店を切り盛りしていて 昨年のれんわけを受けて独立、今は個人事業として 経営しています。 7年半前2013年2月から数年間は週休1日で店を開け その後これではいくら働いてもやっていけないなと 店舗営業を

      • 料理人への道(7)

        そこからはバイトの日々。とにかくお金を貯めて学校に行きたい。 それ一心だった。 今となったら直接店に入る方法もあったなと思うが サラリーマン家庭ニュータウン育ち。 コネもつてもない19歳が思いつく方法は 調理師学校にいく。それだけだった。 この頃にはティラミスとパスタの想い出から イタリア料理をやると決めていたので 1年バイトで貯めたお金で辻調理師学校の西洋料理専門カレッジという ところに入った。 カリキュラムは料理ばっかり。 食べたことない料理を作れるよろこび。 テレビでみ

        • 料理人への道(6)

          高校生になったわたし。 裁縫や工作、物を作るのが好きだった。 そして相変わらず料理はやっていて いかと大根の炊いたの、かぼちゃの煮物、豚汁、きんぴらごぼう グラタン、キャベツとアンチョビのパスタ、タピオカココナッツミルク が得意料理。 そろそろ将来のことを考えていく時期で たくさん作っても あとに残らない料理の仕事は儚くていいなあとおもった。 調理師学校に行きたかったのだけど まあまあな進学校に通っていたこともあって なんとなく流され京都の大学に入学。 大学生になってみたけ

        菜食料理店サルーテ有料会員制飲食店になりました。②

          料理人への道(5)

          小学校の高学年の頃だったと思う。 近所にお菓子作りが上手なお母さんがいて、 ティラミスという聞いたことのないケーキを いただいた。 植物性ホイップクリームの味が苦手だったので いわゆるショートケーキ類には目もくれない子どもだったのだが 珈琲のシロップが染み込んだスポンジとふわふわのクリーム 上にはカカオパウダーがたっぷり このティラミスというものの味のとりこになった。 そうそうお願いするわけにはいかないので 誕生日や記念の日に作ってもらった。 ティラミス作れるようになりたいな

          料理人への道(4)

          母が仕事をしていたので小学校2年生頃からは日曜日の朝や昼のごはんを 姉と一緒に 作るようになっていった。 お母さん喜ぶかなあと思いながら 当時の料理本の超定番の赤いチェックの分厚い本をめくっては これは作れそう。 とチビで身長がキッチンにあわないので 台にのって料理を作った。 美味しいと食べてくれて嬉しかった。 ある時ヴィシソワーズというじゃがいもの スープをつくる。 うちにはミキサーがなくて一生懸命潰したんやけど ツブツブがいっぱいで たぶん今思っても味は美味しかったんや

          料理人への道(3)

          そして父。父は料理番組がすきで いつも側に座って一緒にみていた。 4歳くらいだったかな。 高い帽子をかぶったシェフがみたことない食材をつかい どんな味なのか全く想像できない料理を作る。 その頃の私がなりたかったものは その番組でいつも試食をする龍虎という人だった。 龍虎いいなあ。といつも思っていた。あの頃のフレンチは かなりリッチやったやろうし龍虎さんも大変やったやろうと今はおもう。 父は料理もたまにつくってくれた。 ザ.男の料理というかんじで大きいブリを1匹かってきたり

          料理人への道(2)

          料理の原点のひとつは祖母である。 母方の祖母と叔母のさっちゃんは鳥取県倉吉市というところでいせやという 豆腐屋を営んでいた。 私は奈良で育ったので年に1度しか行けなかったが 祖母の家の記憶はしっかり残っている。 家を入ってすぐ左手に豆腐工房。 手前には豆腐を冷やす水を張った水槽のような冷蔵庫。となりに水切りや豆腐をとりだす板を並べた棚、奥には油揚げを揚げる2槽になった大きな揚げ場があった。 豆を計るおと、香り、人が働いて食べ物ができていく様子。 なんかすごく好き。わくわくす

          料理人への道(1)

          わたしが料理人になるまでの道。 昔の話。 3歳にも満たなかっただろう。 近所の公民館でお料理教室が開催されており 母が通っていて 私もついていくことがあった。 実習中はあぶないからと待合のところいて 実習が終わったら入れてもらって一緒に 食べさせてもらった。 みんなで作ったものをみんなで食べる。 大人たちが嬉しそうで 食べたものの味は記憶にないんだけど その空気感はいまでもぼんやりおぼえているようだ。 それが記憶の中の料理への1歩目。 オーガニックハウス サルーテ 京都