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自主映画を、撮る。その11

本編の前にまずは、今週の二郎系のコーナー!!(2022年追記)

お馴染み「阪神国道 これが好きだから」にて今季初対決の和えポンニンニクアリ全マシ、敢えて一味なしで頂きました。下馬評通り今シーズンはポン酢の旨味際立つ爽快感と食べ応えを両立した珠玉の一杯。ご贔屓筋の方おられましたら是非、有料トッピング「ガリマヨ」との相性についても一報お待ちしております。新たな化学反応の予感、以下本題です。

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以下、本題。(2021年末執筆)

自主映画制作におけるトラブルシューティング。

2日間に及ぶ撮影その全工程が先程終了したばかりです。メンバーによっては9年振りの共演だった今回、やはり要所要所で問題発生。しかも大型案件が初日序盤に押し寄せるというまさかの展開に、一同肝を冷やしまくった訳で。今回はその一部始終を余すことなく。本稿の目的は自主映画を志す同志達とそして次世代のキッズへ向けたトラブルシューティング集。

最序盤にしてカメラ転倒、そして破損。

それはロケ地を学内から屋内へと変えるため、母校近くの住宅街に機材車を停めた直後に起こりました。この後すぐ画を撮れるようにと、むき出し状態で機材の受け渡しをした刹那。コンクリートに叩きつけられたのはそう我らがメインカメラだったのでした。誰の目にも明らかなレンズの破損。慌てて室内へと運び込み状況確認に入った。繰り返します、初日の最序盤にです。

正確にはレンズではなくレンズカバーの破損、粉々に砕け散りました。幸いにもボディには明らかな傷は見受けられないものの、問題は破損がレンズの本体にまで達しているかどうか。盟友カメラマンの入念なチェックの結果、「傷一つ付いていない」とわかったのは本当に奇跡と表現する以外になく。気を付けて下さい、決して横着してはいけない。

「映り込み」にご用心。

SNSの普及等により、完成作品はこの先不特定多数の方々に向け届けられることでしょう。当然ながら、今ある「メディアリテラシー」が日々塗り替えられていくことは明白。本作は母校・関西学院の名物である中央芝生で見事クランクインを迎えることに。休日といえキャンパスの門は常に開け放たれていますし、ワクチン接種会場として活用されている校舎もあった。

肌寒い季節ですがちょっとしたピクニックに、お散歩がてら、あるいは往年のOB・OGが宣言解除一過満を持しての再訪。なんて方もお見受けしましたので。これが街ロケとなれば、もはやリスク計算不可能な領域に入ります。「あくまで仲間内での公開に留める」「キャスト/スタッフの個人情報は、なるべく伏せておく」等々事前策は一度、考えてみるべきだと感じた。

「正常なデータ」であるかどうか逐一確認する。

当たり前な話が続きますが次はいわゆる「こまめな映像チェック」ですね。ポイントは「なるはや」「複数人で」「様々な切り口から」。つまり撮ったその日というよりシーン毎、セクション毎に都度。できれば大きなモニター大きな音量で。ダブルチェック、トリプルチェックを重ねると例えばガラスや窓に移り込んだ撮影班の存在やハケ損ねた備品、登場人物の服装の乱れ。

そういった細かな粗に目を向けられるようになる。「データのやりとり」も大きな落とし穴、書き損じやマスターテープの異常に気付けばその日の内に撮り直し可能。方々に散らばって編集作業を始めた段階ではもう遅いかも。限られた時間、限られた予算やリソースの中でいかに思い描いた通りに完成まで漕ぎ着けるか。言うは易く行うは難し、とは言ったものですがしかし。

(可能な限り)確認ツールにはオプション性を持たせる。

例えばケーブル1本、記録メディア1つ取ってみても様々な形式が混在している昨今。あらゆる不手際あらゆるイレギュラーに対応できるよう、予め役割分担しておくとなお抜かりない。出掛け、必要ないだろうと自室に置いてきたちょっとしたアイテムを漏れなくリュックかばんに詰め込むという、たったひと手間だけで救われる現場の存在がある。

「サブカメラ」としてのiPhone活用。

今回正直、陰の立役者はApple社と言っても過言ではない。かたや13Proの4K映像はメインカメラを脅かしかねない衝撃のクオリティを見せてくれましたし、主宰が思い付きで回した80s風アプリ搭載のSE2も中打ち上げでの上映会では絶妙に好評でした。「何の追加操作も必要とせぬまま最適化される」。特に前者は、データ容量がとんでもないことになりますけれど。

敢えて嫌な言い方をすれば「iPhone特有のクセがある映像」感は否めない、しかるに次なる目標は「動画のレタッチ能力を上げる」こと。つまり編集で補えばこれ解決という訳です。主宰は今回得た高モチベを小脇に抱えたまま現在、編集作業と並行してジンバルの選定作業に入っています。もうSE2で撮影する気満々。必要に応じマイクも新調してみようかと考えていて。

撮影機材と再生機器の「親和性」にも注目。

自身のほろ苦い経験談。つまり当初4K動画ファイルを預かったにも関わらずそれが再生不能な環境下で編集に入った。書き込みエラーあるいはマスターテープの不具合すら疑われた危機的状況、結果的にただでさえ限られた日程感へ釘を刺した形に。単なる確認ミス。あくまで各人の環境に依存する問題でしたがしかし、この辺りも細かに確認を重ねるべきなのかも。

ここでまさかの衝撃CO。

本稿は当初「8mmで撮ります!!」と豪語して始まった。しかし紆余曲折ありまして、当日はLUMIX DC-GH5で臨むことに。無論アナログカメラに劣らぬ高品質でしたが企画会議以降、水面下で様々な試行錯誤の歴史があり。8mmカメラは新作撮影ではなくむしろ「既存データのデジタル化」専用ツールとして活躍。結果、在学中の懐かしい映像群との再会を果たした。

2006年制作のクラス映画を、マスターテープから吸い上げる。

オリジナルから実に16年振り、このカタルシスよ。主宰が、映画部の活動に加わるずっと前の作品が8mmフィルムという形あるものとして残されていてかつ、ついさっきの出来事のように映し出された。懐かしの面々、今はなき風景。荒削りながら「その時々しか収められない」映像の数々、月並みではありますがしかし瞬間芸術とはまさにこのことで。

どこまで行っても映画理論や技法にとことん疎い主宰はついつい、現代技術で蘇った映像美にばかり目が行ってしまう。世間的には自惚れだとか黒歴史と揶揄されるのでしょうがしかし、当の本人は、画角外で起こったあらゆるオフレコ話を耳にしていて。それらが記録としてでなく記憶として刻まれる代物であると気付くのに、さほど時間は要しませんでした。

「第三者目線」から作品を紡ぐというジレンマ。

本作を通し改めて感じた創作活動の根源的魅力、まずそれはひとえに「水面下のせめぎ合い」完成品を観ただけでは知り得ぬ世界観、裏テーマの存在。ただその中で撮影秘話へ直にアクセスできるのは、ごくごく限られた撮影班とその仲間内だけ。「作品に最低限必要なファクター以外徹底排除される」意識の下、粛々と制作が進められていく。例えば外見はこんなイメージ。

無論カメラが回っているからこそ「カメラ外」への意識が強まるのもまた、作り手の性。言うなれば客観的視点の貫徹、自主映画制作における最大の敵はひょっとすると内輪ノリなのかもわかりません。必ずしも、スタッフ陣の関係性が作品に好影響を与えるとは限らない。しかし本作に関してはむしろ「露骨に出す」ことで生まれる鮮度や質感みたいなものに気付かされた。

(次回へ続く)





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