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Tree In Progress

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主に屋外で描く植物のドローイングを軸にした、「線を引く」ことから制作を再考する試み。 ドローイングを元にした銅版画も制作。 ‘23 5/6〜23柳沢画廊(埼玉県)にて個展。 同年… もっと読む
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#作品

樹齢400年の大杉の、湿気をとる/ショート動画

樹齢400年の大杉の、湿気をとる/ショート動画

 雨で濡れた樹皮に和紙を当てる。

 このかっこいい撮影/編集は、昨日のnoteで触れた、地元在住の作家仲間がしてくれました。自分1人で制作している作家は、それを写す別の人がいないと、記録は”結果としての作品”というその物体しか残りません。
 どこからともなくポンと目の前に現れた作品、にも勿論魅力を感じるものは沢山あります。一方で、その周辺も含まれたアメーバ状のものもやはり作品なのだ、と感じていま

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コレクターさんからの写真/ユーカリ、椿と忘れな草のドローイング

コレクターさんからの写真/ユーカリ、椿と忘れな草のドローイング

 5月に開催した地元の個展にて、作品をコレクションしてくれた方々から、飾っているお写真を頂きました。全てSNS掲載の許可を頂いています。

 作品を制作している作家は、他の方の元へと自作が一度旅立ったら、もうその姿を見ることは通常出来ません。それはその方のプライベートな空間で楽しむものになるのが一般的だからです。そしてほとんどの場合、作家よりもコレクションした方の方が、その作品と長くその後の時を共

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大阪の展覧会終了と、福岡の夜。

大阪の展覧会終了と、福岡の夜。

 阪神梅田の「変奏曲を編む」終了しました。会場にお越し頂いた方々、作品をお買い上げ頂いた方々、誠にありがとうございます。
 来月の個展に合わせ、作品を阪神梅田内の古玩堂さんで常設してもらえる事になりました。

 無事に撤収完了。搬出作業は会場にいる作家がいない作家の分もやりますが、それでも1時間を切ります。展覧会に慣れた作家たち。みんなテキパキ。

 新幹線に飛び乗り広島を通り過ぎ、福岡へ。ありが

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個展、千秋楽。

個展、千秋楽。

 個展最終日は寒い雨でしたが、それでも来てくれるお客さんもいました。
 最後の月火は作家が多かったとのこと。月曜日に会えなかった方々も。やはり行っておけば・・・と思いましたが、ちょっと疲労が溜まっていたのでのんびりしました。「のんびりする」というのをきちんと決めてとる勇気もいる。

 そして本日2週間ちょっとの会期を無事に完走しました。
 あり難いことに福岡への巡回も決まっています。
 柳沢さんと

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様々な年代のコレクターさん。

様々な年代のコレクターさん。

 今日は、浦和の個展会場へ行く前に、メッセージ拝受。昨日会場で見た作品を、二点並べて飾りたいとのことで、額装を相談させて欲しいという嬉しいご依頼。後日配置や額の大きさを相談予定。

 会場へ到着すると、昨日に引き続き、ご来場のお客様が多めで賑わっていました。

 個展「Tree in Progress」は無事最後の土日を終えました。
 週明け火曜日までで完走です。

「荒れ地のヒマワリ」銅版画制作動画/刷り(雁皮刷り)

「荒れ地のヒマワリ」銅版画制作動画/刷り(雁皮刷り)

 前回の動画で引っ掻いて作った版を刷る。
 動画の機械漉きのもの以外に、古い染みのあるロクタ紙(チベットの手漉き紙)に刷った特別版もあります。

作品のお問い合わせは柳沢画廊へ。

Exhibition in progress2/展覧会場が出来ていく過程

Exhibition in progress2/展覧会場が出来ていく過程

 例えば絵を飾る額や版画を刷る和紙を、作家は自分では作りません。
 作る人もいるけれど、その人も素材はお店に買いに行く。
 ゼロの地点というのは幻想ではなかろうか。
 どこからが自分の制作物かの明確な線引きは原理的に出来ない、そう私は考えています。
 そこには出会いや選択があり、様々な人や物事が糸のように、作品に織り込まれていきます。それを束ねるのが作者という人の役割。
 と考えると、やはり展示も

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ドローイングのレイアウト

ドローイングのレイアウト

 5月に個展の予定の柳沢画廊で相談しながら、作品をどう飾るかの方向性を確認。
 事前にある程度大きめの作品を画廊へ持っていってもらい、それを柳沢さんに額装して頂きました。小さなドローイングも70点以上あるので、個展の際には大きめの、ガラスなしの箱額に、何点かずつ入れレイアウトをしようという事になりました。
 その配置の相談の日を決め集合。撮影をお願いしている方にも来てもらいました。

 自分は描く

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屋外で線を引くこと

屋外で線を引くこと

 空き缶を育てながらこう考えた。
 どこからが空き缶で、どこからが周りの環境なのか。
 外に置いた時間経過によりその錆び方にも日々差が出ます。
 常にその輪郭は変形し続ける。境界と思っていたものは固定された不変のものでは全くない。いつか孔が空き、空き缶は空き缶でなくなるでしょう。
 世界に織り込まれていくようなそれらの流れのようなものにこそ、生命が宿っているように感じます。大地の縮小版のようです。

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