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この300日間は奇跡

今日で、毎日noteを書き続けて300日らしい。

一言で言うと、「早い」。
毎日が一瞬で過ぎてゆく。ついこの間、200日を迎えたような気がしていたのだけど・・・。

夏の終わりくらいの私は、「あぁ、スランプだなぁ」と思っていた。書けない。書こうと思うのだけど、うまいように指が動かない。思い浮かばない。書きながらニヤニヤできない。楽しくない。

困ったなぁ、と思いながら、もうつまらなくてもビュー数が伸びなくてもなんだっていいからとりあえず書こう、と思って書き続けた。

それから、吹っ切れたのが良かったのか、私の中でじわじわと楽しさを取り戻して、ムラはあるものの今に至っている。


書けないなぁと思っていたときや、これ続けて意味あるのかな?と思ったりしたとき、「毎日書くのはもうやめようかな」と幾度となく思った。今も時々、フラットに、そう思うときもある。

実際、文章は一つ一つ、1記事1記事で切り離されて世に出回るわけで、その1記事がとびっきり濃くて面白い方が「やりがい」みたいなものは感じやすいかもしれない。打算的に考えても、それがバズったりして、その人のページに飛んだ時に「スキ」とかコメント数がたっくさん付いているものばかりが並んでいた方が、「商品棚」としては見栄えがいいのかもしれない、とも思う。

ただ、淡々と粛々と300日書いてみて思うのは、「毎日書くと良いことも結構あるな」ということ。


「毎日」というのは、ものすごく、トレーニングをしている感覚がある。
毎日書いていると、意識しなくたって、今何文字くらい書いているかな、とかだいたいの感覚でわかるようになるし、紙か何かに書かなくても、脳内で自然と「構成」みたいなものを考えていたりする。

粗くてもいいから公開しないと、と思うと、書くスピードも読み直すスピードも上がる。他者が締め切りをくれなくても自分の中にあるのだから、程よくプレッシャー(負荷)を感じられる。これのおかげか、本を読むのも早くなった。

その日のコンディションや予定に合わせて、何をいつ書くか、という計画も立てるようになった。この日は予定がないから比較的手間のかかる旅エッセイを書けそうだな、とか。この日は時間がないから、考えていることを500〜1,000字くらいでぼんやりまとめるような簡単なエッセイにしよう、とか。

「毎日」という唯一かつシンプルな負荷のおかげで、付随して色々なところの筋肉が鍛えられている感覚がある。


とはいえ、ご存知の通り、毎日書いていても、いつもいつも良い記事が書けるわけはない。

あー、この記事しょうもない書き方しちゃったなーとか、もっとこう書けばよかった、なんて毎日思うけれど、そうやって振り返ることすらも勉強になっている気もする。「しょうもないなー」と自分で恥ずかしくなるような文章を書かないと、そして公開しないと、その「しょうもなさ」すら記録にも記憶にも残らないし、そして省みることもしなくなる。

まるで、膝小僧にアザを作りながら蹴りの練習をしているような気分。
「しょうもないな」「下手だなぁ」と思いながらも、サンドバッグを蹴る。下手なのだから、アザができる。あーアザ出来ちゃった、と思いながらも、練習を続ける。いつの間にか前にできたアザは消えていて、今度は新しいアザができている。そして足には、うっすらと筋肉がついてきていることを実感する。


一方で、「量より質」を追求したい気持ちも、ある。

一つの記事を、もっともっとこだわって書きたい、もっと時間と手間をかけて書きたい、と思うときもある。それで、一つ一つの記事が、ちゃんと打率高く、どこかの誰かの心に刺さって記憶に残る記事になってくれれば、とも思う。

ただ、そう思う時に2つ考えることがあって。
一つは、仮に私のnoteを誰かに訪れていただけた時に、すっごく綺麗に麗しく並んだ商品棚だけがあっても面白くないな、とも思っちゃうということ。

きちんと目次があったり、きちんと連載形式になっていたり、きちんと校正されて体裁が整っているものばかりが並んでいるのも、なんかさみしいな、とも。まるで本みたいじゃん、とも。noteって、本がwebになっただけの場所じゃないから、本みたいに綺麗に並んでなくても良いのかもしれないな、と。

二つ目は、毎日更新している中で、つまり時間やかけられる手間に制約がある中でも、その中でできる限りのこだわり方さえすれば、「こだわる」という練習は十分できるんじゃないのかな、ということ。瞬間的に、今持っている自分の最大限の力を発揮することも時には必要なわけで、そんな訓練があっても良いのかもしれないな、と。


・・・ということで、何が言いたいかというと、毎日書こうが2日に1回書こうが1ヶ月に1回書こうが半年に1回書こうが、それぞれに良い面も大変な面もあるし、正解もないし、目的や楽しみ方が違うだけの話だと思うから、どんな頻度になったとしても楽しんで書いていきたいなということ。

私は本当に、毎日、たくさんの勉強をさせてもらっている気分です。この場にも、読んで感想を言ってくださる方にも、心から感謝の気持ちでいっぱい。


そして何より、イッチバン奇跡的だな、と思うのは、この300日間、私が毎日「noteを書ける」という状態にあったということです。

これは物理的に、時間があってネット環境があって書きたいことがあった、ということもそうだし、「書いている場合じゃない」と思うような事件や事故、天災、健康状態、悲しい出来事などは、私だけじゃなく身内にだって、いつ何があるかわからない。そういうことをくぐり抜けて、物理的にも精神的にも「書く」ということに向き合えた期間が300日も続いた、ということがものすごくありがたく、奇跡のようなことだと思う。

そんな大切な日々の、なんでもない毎日を記せただけでも、300日、毎日書いた意味があったと心から思う。

この恵まれた環境に、そして読んでくださる皆さんに、何よりもの感謝を伝えたい気持ちです。ありがとうございます。


・・・・と、明日からも通常運転で普通に更新するので(笑)、どうぞ引き続き、お立ち寄りいただけたら嬉しいです!

Sae


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「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。