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感受性・好奇心がなぜ失われるのか?①

私はこの表題について長い間、ずっと考えてきました。還暦を過ぎた今でも私にはあることが当たり前だから、ない人の気持ちが理解できませんでした。しかし、ようやく自分なりの答えを見つけることができました。世間的にはすでに知られていることかもしれませんが、私が調べて書くのではなく、心で感じて言葉にすることができましたので、数回に分けて報告します。

絵画・・・大人は左脳で、子供は右脳で見る


何が描いてあるか意味不明の絵画を見た時、どんな見方をするでしょうか?

大人「何が描いてあるんだろう?」
子供「なんじゃこれ~!」

同じ絵を見ても、大人と子供では出てくる言葉はまったく異なります。大人は「何が描いてあるのか?」と、自分が今まで見てきたものと頭の中で比較して、合致するものを探そうとします。例えば、へんてこりんな動物らしき絵が描いてあったとしたら、それが馬なのか羊なのか、なんだろうと頭の中で探る作業をします。

子供がそのへんてこりんな絵を見た時は「なんだ、このヘンテコリ~ン!」って、見たままの形や色を頭の中に採り入れようとします。見てきた物の数がまだ少ないので、合致するものも、似たようなものも見当たりません。

大人は合致しないなりにも、何に近いか考えて答えを出そうと考えます。一方、子供は、今見た絵を新しいものとして、そのまんまの形と色を取り込もうとします。

大人・・・左脳で考えて答えを出そうとする。
子供・・・右脳で素直に取り込もうとする。



音楽・・・大人は左脳で、子供は右脳で聴く


あなたは音楽はお好きですか? また、音楽はどんな聴き方をしますか?

私は中学生の時にカーペンターズがきっかけで洋楽を聴き始めました。その後はビートルズを聴きまくり、VAN HALENのギターに衝撃を受け、ハードロックにどっぷりハマりました。

「洋楽の何が良いの? 何歌ってるか、分からへんやん!」


同級生に言われたこの言葉の意味が私には理解できませんでした。「何歌っているかなんて、そんなに重要?」というのが私の素直な気持ちでした。

「音の振動」に、私の細胞が反応した。


私は英語の歌詞でも日本語の歌詞でも「歌詞」に重点を置いたことがありません(CDレビューの仕事をしていた時は別ですけど)。言葉のイントネーションが音符に乗って流れて来るだけであって、楽器の一種という聴き方をします。だから歌詞なんて分からなくても良かったし、分かろうともしませんでした。誰に教わったわけでもなく、そういう聴き方が自分にとって自然体でした。ラジオから流れてきた「音の振動」に、細胞が反応しただけです。

この違いもまた、左脳と右脳の取り入れ方の違いのように私は思います。

流れてきた音楽から、歌詞を理解しようとすると左脳で受け取ろうとします。一方私のように、意味なんて関係なく漠然とした「音の振動」として聴いているから、右脳で受け取っているのでしょう。

好奇心が薄れていくのは、子供の頃からの生き方で、すでに決まっていた


「絵の見方」「音楽の聴き方」それぞれ子供の頃からすでに、どちらの脳をたくさん使って生きていたか、その違いがハッキリしています。ご自身がどちらだったか思い返してください。左脳型の人は、年齢と共に、感受性が薄れて好奇心が無くなっていく可能性があると私は考えます。高齢になれば顕著に失われていくことを実感することでしょう。

そもそも、右脳を働かすことをしてこなかった代償です。


つづく・・・次回へもう少し書き続けます。


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。