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今日という日は、昨日死んでいった人がどうしても生きたかった日。


皆さんこんにちは、リョウマです!

昨日ツイッターを見ていると、心にグサッと刺さるツイートを見つけたので、
ここでシェアしたいのと、そのツイートについて、僕が思ったことを書きます。



知っている方も多いと思いますが、幻冬舎の社長、見城徹さんのツイートです。

僕はこのツイートの、

昨日死んでいった人がどうしても生きたかった今日。
僕の人生の中で一番「死」に近い今日。

という部分に、心が震えました。


普段生活していると、当たり前のように朝を迎え、当たり前のように夜が来て、
そして寝て、また朝を迎えます。
でも、これって当たり前ではないですよね。

そんなことは分かっていると思いがちですが、本当に心の底から、
今日という日は当たり前ではない。明日が来ることが当たり前ではない。
と思うことが出来ているか、と聞かれると、なかなかYesと答えるのは難しいはずです。 
僕も100%の気持ちで、Yesとは答えきれません。 

明日が来ることは、当たり前ではないから、だったら、
明日死ぬかもしれないから、今日を必死に生きるという気持ちを持つことが大事だ。となるのかも知れませんが、僕はこの気持ちを持つことが
なかなか難しいと思っていて、数日その気持ちを保つことができたとしても、ずっと気持ちをキープし続けるのは、少し大変な気がします。


でも見城さんのツイートを見た瞬間に、この気持ちを自分の心に落とし込み、
今日という日は当たり前ではなく、かけがえのない時間だ。
と思えるようになったのです。

それはなぜかと言うと、

今日という日は当たり前ではなく、明日はもしかしたらやって来ないかも知れない。だから明日死んでもいいように、今日という日を必死に生きる。ではなく、

今日という日は、昨日死んで行った人達が本当に生きたかった日だ。
だからそんな大切な今日という日を無駄にすることなんて出来ない。
昨日死んで行った人達に、もし話しかけることが出来るならば、
誇りと自信を持って、
「あなた達が生きたかった今日という日を、僕は最高の一日にしました。」
と言えるような、一日を送りたい。

そう思うことが出来るようになったからです。

人間は一人では生きてこれなかったし、必ず誰かに育てられて今まで生きてこれています。
今日という日が平和であり、僕たちが自由に仕事をしたり、友達と遊んだり、
恋愛したり出来ているのは、もうすでに死んで行った方々のおかげです。 

自分のことだけを考えて、必死に生きると思うことは難しくても、
みんなのおかげで今日を生きることが出来ていると思えば、今日という日を大切に出来ます。 

僕は今まで、沢山の人に支えられてきたし、今でもそうです。
そしてこれからもそうです。
だから自分が今日出来る最高のことをやって、誰かを支えていきたいし、
誰かを助けたいし、力になりたいと思います。


人間は、誰かのために何かをして、その人から感謝された時に、
一番の幸福感を感じるのではないか、と僕は思っています。 
自分の為に生きるということはとても大切なことですが、
それが、自分のことばかりを考えることになるのではなくて、
自分の人生の為に、今日というかけがえのない日を使って、誰かの力になること。
それが、結果的に自分の為になるのだと思います。

だから今、生活が充実していないな。とか、面白くないな。と少しでも思っている方がいるのであれば、誰かの為に、今日というかけがえのない一日を使ってみてください!
必ず、素晴らしい日々の連続が続く人生になるはずです。

僕もそうなるように、また今日も感謝の気持ちを持って、一日を過ごして生きたいと思います。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

Ryoma Kobayashi


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