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つれづれ日記(4)

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日々のつれづれをつぶやいたもの(2023/8〜)
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2023年8月の記事一覧

最近、鳥の声がよく聞こえるようになった。歌うように鳴いている。春先にも別の鳴き声が聞こえていた。

なぜか真夏の間は何も聞こえなかった気がする。暑くて鳥も鳴かないのかな?と思ったけれど、私がベランダに出なかっただけかもしれない。

真夏はセミの声しか聞こえなかった気がする。

保育園に通っていた頃、お昼寝の時間が嫌いで行きたくないと駄々をこねて祖父に叱られた。

生まれてから何の気兼もなしに過ごせた時はあるだろうか。

赤ん坊のときはどうだったのだろう。

年を重ねるとまた誰かのお世話になってゆく。

ひとりで生きているわけではないからな。





今日はのんびり過ごした。

週休2日で勤めているけれど週休3日がいいなぁ、と思う。

ここにきて興味があることが多過ぎて時間のやりくりが難しい。

ほんの数十年前は猛烈に働くことが美徳だったけれど「それって何時代?」というくらい過去になった。

やりたいことがあるのは幸せだ。

今日は、淡路島へ行った。

神社に行ったり、浜辺でのんびり波を見たり、山の上まで行ったりした。

自然の中でのんびり過ごしつつ、非日常を味わえてとても満足した。

自宅に着く頃、暗くなった空を見ると雷の巣があった。

激しく発光する様はすさまじく、しばらく見惚れてしまった。

お盆前に訪れた京都でチャージしたパワーが尽きてきたようだ…。

しばらくの間かつてなく元気だった気がするが、昨日くらいから怠さが復活し、頭が痛い。

もしかすると、天候が不安定なことによる気象病なのかもしれない。

何にせよ、体調がピーキー過ぎてしんどい。どっしりしたい。

『人から認められたい』という気もちは、どこからやってくるのだろう。

個人差はあるけれど、全くない人はいないんじゃないか。

「誰かと比べて優れているから認められる」ということもあるかもしれないけれど、そればかりでもないのにな。

比較ではなく「ただ、なんかいい」というのもある。

出勤前にベランダで洗濯物を干した。

日陰だったこともあり、少し爽やかな空気を感じて『あぁ、少しずつ秋が来ているな』と思った。

そしてそれに気づいた自分に少し酔っていた。

しばらくしてから外に出ると日差しがとてつもなく強かった。

濃い影を見ながら、夏の底力を思い知らされた。

今朝、寝過ごした。

本気で日曜だと思っていた。
月曜だった。

まだまだ寝ようかな、と思って何度も目覚ましを止めていた。
気づいて良かった。

毎日、いろんな夢を見る。
あまり愉快な夢ではない。

睡眠とか、夢については気になるけれど、余計睡眠不足になりそうなので、保留とする。

見えないけれど存在するものもある。

そして見えているものの向こう側にも世界があることに、長い間気づかなかった。

いろいろなものに向こう側の世界がある。それは陰と陽とも言えるだろう。

メタファーというものが少しずつ分かってきた。分かってくると、見え方が変化してくらくらする。

最近、お弁当を作るのがしんどくて、とりあえず塩むすびを3つ握って持って行っている。

パンや麺類も好きだけれど、少しずつ小麦と米のバランスを整えてみようと思う。

グルテンフリーに興味があるけれど、減らしてみるとどうだろうというくらいだ。

自由研究気分でやってみている。

ふわりふわりと私のまわりを漂っているもの。

それはのどかなものではない。

ただ私が形を与えられず中途半端に漂わせているもの。

それらは私が朝、歩いている時に突然像を結ぶことがある。

そしてハッとするのだけれど、そのうちまた解けてゆく。

だんだんその回数が増えてきた。

ぼんやり生きた方が、いちいち反応しなくていいので社会生活を送る際はそうしてきた。

それから3年ほど経つと、私はぼんやりした顔になっていた。写真の中の私は、本当にぼんやりしている。

1日24時間のうち8時間近く、私は私のスイッチを切っていた。

切るのをやめようかな。




いわゆる天才と呼ばれる人の話を見聞きするのが好きだ。

最近は「周囲の人も大変だな」と思うことがある。振り回されたり色々なことを思い知らされることだろう。

本人も人類の先頭を全速力で走っているのだから孤独だろう。
けれど、ただただ目指す方向に向かって進むのだろうな。





打ち上げ花火を見た。

近くで見ていた他所の子どもが「お星さまみたい!」と言っていて、かわいかった。

ものすごい音がして、きれいに光る。
それを見て和やかな気もちになる。

技術や知恵はそういった方向性で使っていければいいと思った。

涼しさも感じられ、いい夜だった。