見出し画像

社内運動会をやる会社はヤバイ?

ロッシーです。

パナソニックが社内運動会を開催したとのニュース。

在宅勤務などで社員同士の交流が減少したため、コミュニケーション不足を解消する目的で開催したようですね。

その目的自体は賛成ですが、その達成手段が「社内運動会」というのは果たして適切なのでしょうか?

まあ、日本的なやり方といえばそうなのですが、パナソニックってそういうドメスティックな会社でしたっけ?もっと多国籍な企業だと思っていたのですが・・・。

例えば米国でこういうことを提案したらどうなるでしょうか?

パナソニック本社:
「最近、社員同士のコミュニケーションが希薄になって困っている。社内運動会を開催することで、この問題を解決できると思うがどうか?」

米国現地社員:
「Why?コミュニケーションが足りないなら、普通にもっと話し合おうよ!なんで社内運動会をするの?」

と、厚切りジェイソン風に言われると思います(笑)。

まあ、普通に考えればそれが正論ですよね。

①在宅勤務で対面のコミュニケーションが減ってしまった
②じゃあ、対面のコミュニケーションを増やそう
③はい、解決!

というサルでもわかるロジックです。

でも、あいにく日本社会というのは米国人が想定するよりも100倍分かりにくいのです。

米国人が想定するコミュニケーションというのは、「対等に意見のやりとりをする」ことなのですが、日本ではそうではありません。

日本の会社のコミュニケーションにおいては、そもそも「対等に意見のやりとりをする」形態は存在しません

なぜなら、日本の会社では上下関係を基本としてコミュニケーションのあり方が決まるため、対等なコミュニケーションは社内の同期同士くらいしか存在しないのです。それはサラリーマンをやっている人なら良く分かるでしょう。

そういう状況下であれば、最優先で手をつけないといけないことは、

「対等ではないコミュニケーションを対等にすること」

です。いうなれば、コミュニケーションの質を変えることです。

しかし、儒教的思想が根深い日本社会においては、それはほぼ不可能に近いでしょう。つまり解決方法がありません(なにか適切な方法があるのかもしれませんが、私は寡聞にして知りません)。

さて、コミュニケーションの質を変更できないのだとすれば、いくらコミュニケーションの量を増やしても意味がないことは明白です。

それが社内運動会だろうが飲み会だろうが、コミュニケーション量を増やしても問題は何も解決しないのです。

いくら量を増やしても、それが質に転化するわけではありません。
むしろ、上下関係でしか成立しないコミュニケーションがより強化されるだけです。

そういうことを、社内の上層部が分からないのは納得できます。
彼らはそういうコミュニケーションで育ち、出世してきたからです。

しかし、社内の若手がそれに気が付かず「社内運動会を開こう!」と提案したのであれば、下記のいずれかによるものでしょう。

①本当にそれがコミュニケーションの改善になると思い込んでいる
②そういうことを提案すると上層部が喜ぶから忖度した

きつい言い方になるかもしれませんが、いずれにしても、そういう若手ばかりの会社なのだとすれば、その会社の将来には大きな疑問符を付けざるを得ません。

私の杞憂が外れることを祈ります。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?