引越ししたら、ねこがいた。
ここ数年の間に、割と多く引越しというものを経験した。
実家から初めて離れたのは19歳。
高校を卒業したばかりの私には、一人で暮らしていくお金の持ち合わせがなくて、寮生活を送っていた。
屋上のある寮だった。
最近では安全上の問題とかで、学校に屋上がない、またはあっても閉鎖されている場合が多く、例によって私の学校にも閉ざされた屋上しかなかったため、それは初めての屋上のある暮らしとなった。
とても新鮮で、そして心地よかった。
風が気持ちよかったし、夜なんかは特に最高で、まるで無料開放の天然プラネタリウムみたいだった。
社会人になり、半年間実家で過ごし、なんとか頭金を払えるくらいのお金を貯めた後、今度は12畳の部屋で一人暮らしを始めた。
実家に置いてあった私物をどれだけ持っていけばいいかわからずに、12畳の部屋がそれなりに寂しくなくなるくらいには物を運んだ。
だけど、実家の部屋から一人暮らしの部屋に運んだきり一度も使わないものもあった。
必要だと思って手に入れてきた物が、いつの日か必要じゃなくなっていたのを知った。
12畳の部屋は、私には広すぎた。
もっと安くて、小さくて、必要最低限の暮らしができる部屋でいい。12畳の部屋は2年の満期で契約終了とし、もう一度、引越しをした。
次に選んだのは、8畳のワンルーム。
半分とまではいかないけれど、それでも、これまでとりあえずと側に置いていた沢山のものを手放さなければ、部屋いっぱいになってしまうほどの狭さではあった。
ひとつひとつに買った理由もあるし、まだ使えるものもあった。手放すには少しの寂しさも感じた。だから、捨てるんじゃなくて、次の誰かの手に渡るように、売るという選択をした。
本当に必要なものだけを残そうと考えたら、ほとんどが、実は要らなかった。
テレビを売った。
ソファを売った。
扇風機を売った。
足温器を売った。
加湿器を売った。
洋服を売った。
他にも、細々とした多くのものを売った。
人生に本当に必要なものは、そう多くはなかった。
8畳のアパートでの暮らしは、割と快適だった。
欲しいものが手に届くように周りにあるし、これ以上物が置けないことを理由に衝動買いもしなかった。
にゃー。
また君か。
8畳の部屋の戸を、カリカリしてくるやつがいた。
仕事柄とても不規則な勤務形態であり、昼間に帰ってきて眠ることもあれば、深夜に出勤することもあった。
そんな私の勤務形態を知ってか知らずか、私が家に帰ってくるとやってきて、部屋に入れろと戸をカリカリしてくる。
私は、のらねこの世界のルールを知らない。
君が私からごはんを貰って食べることに慣れてしまったら、狩猟能力が衰えるんじゃないか?
私は半年後には上京することが決まっていたので、君と家族になることはできなかった。
もし私が中途半端な気持ちでごはんをあげてしまったら、半年後、ノラの世界で君は生きていけなくなってしまうんじゃないか。
心苦しかったけれど、そんな思いで、君との関係は挨拶程度に控えていた。
だけど、君は積極的だった。
夜勤に行こうと家を出ると、行ってらっしゃいと送り出してくれる君がいた。
そして、夜勤から帰ってくると、おかえりと待っていてくれる君がいた。
君は、ノラの世界で、人間は怖いとか、知らない人についてっちゃいけないとか、そんなことを教わらなかったのかい?
ある日、炎天下の中、アスファルトにぐったり横たわる君がいた。
思わず私は君を抱き抱えて、部屋に入れ、部屋の温度を涼しくし、刺身の醤油皿に水をくんで君の前に置いた。
お皿からは、ほぼこぼしていたけれど、水を飲んで君は少し元気になった。
部屋に入れてしまった以上、責任を持たなければならない。
翌日君と病院に行った。
ノラにありがちな病気を一通り調べてもらった。
君の図太い精神が反映していたかのように、君は健康そのものだった。
その夜、お母さんから連絡があった。
「おじいちゃんが、もう山場かもしれない」
優しいおじいちゃんだった。
畑と山を持っていて、年柄年中仕事をする、真面目なおじいちゃんだった。
土いじりをしすぎて爪が黒いおじいちゃんだった。
デイサービスでも、おっとりとした性格と、笑うと目が細くなる可愛い笑顔と、食べ物を粗末にしない性格で、職員さんたちから人気があるおじいちゃんだった。
大自然とともに、ゆっくりとした時間を生きるおじいちゃんだった。
私は君を部屋に残しておじいちゃんのもとへ行こうか、君を連れて行こうか一瞬悩んだが、震える手の中に君の体温が温かくて、命を抱いているという実感があって、君と、車でおじいちゃんのもとへ向かった。
初めての車に君は少し怯えていたのか、シートベルトをしている私にぴったりとくっついて隣の市まで離れなかった。
病院に着いたときには、もうおじいちゃんは息を引き取っていた。
ここ数年、自分の人生のひとつひとつを噛み締め、大切にするかのように、おじいちゃんに会いに行くと決まって手をぎゅっと強く握り「しっかりやれよ。」と言っていたな。
おじいちゃんの孫で、幸せだった。
おじいちゃんの遺伝子が組み込まれた身体だから、私は、私を大切にするよ。
仕事柄、何度人の死を間近に経験していても、いつまでたっても、誰の死も慣れることができない。
命は大切だ。
なんでかはわからない。
考えれば考えただけ難しい哲学だ。
だけど、それでも大切なものだと思っている。
おじいちゃんの葬儀は、雲ひとつない青空だった。
天国へ行くために和尚さんからいただいた名前には、「耕雲」という漢字が入っていた。お説教の中で、和尚さんはこんなことを言っていた。
「これまでずっと、田畑を耕し、汗水流して生きてこられた。あちらの世界でも、真面目な性分のあなたのことだから、きっとまた世のためにと、雲を耕すのでしょう。空を見上げたとき、全く同じ形の雲がひとつだってないように、過ぎゆく日に同じ日などありません。あなたが雲を耕すたびに、私たちはもう二度と訪れない今日という一日を生きているということを、あなたに思い出させてもらうのです。」
お葬式が終わり、私は君の里親になってくれる人を探した。君を喜んで迎え入れてくれる人を探した。
君はとても綺麗な毛並みをしていたし、大きな瞳に小さな顔で人間でいうところの美人だったし、なにより甘えるのが上手で健康で勇敢な性格だから、里親さんはすぐに見つかった。
最後に君を里親さんとの待ち合わせの駅まで車で送って行く時、君は小さく震えていた。
ねこは新しい環境があまり好きじゃないと、ネットに書いてあった。
君は新しい場所に行くことを知っているの?
大丈夫、幸せになるんだよ。
里親さんからたまに届く君の写真は、この時よりもずっと太っていて、美味しいものをたくさん食べているんだろうなと想像がついた。
君は、動物を飼育した経験のない私に、数日間の温もりをくれた。おじいちゃんの死は悲しいという言葉では言い表せないくらい辛い出来事だったけれど、それをともに乗り越えるかのように、君がいてくれた。
今は予定通り上京し、8畳の部屋がさらに狭くなり、6.5畳のワンルームなった。
この部屋でもまた、新しい出会いや経験があって、また違った何かを得られるのだろうか。
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