地球は宇宙の『汚染エネルギー全自動洗濯機』
自分は洗濯機の中の汚れた洗濯物のようだ。
たぶん地球は洗濯機なのだろう。
「汚れた洗濯物」だからいつまでもグルグルグルグル回されているんだ。
洗濯機の中で。
『違うように見える同じ繰り返し』や『同じように見える全く違う繰り返し』の中で。
似たように汚れた千差万別な汚れ者とグルグル回って絡みあって。
摩擦で疲れても、まだ汚れがあるから洗濯機の外には出してもらえないのだろう。
自分の汚れに。
どこが、どう汚い人間なのか?
どうしたら気がつけるのか?
幼少期に何らかのショックを受ける事で、人間は。
これ以上自分が傷つかないように即座に感性を殻で覆いかぶせる。
感性を殻でガードする状態は傷つかない為の本能。
悪い事ではない。
だって、怖いんだから。
ところが地球で続けざまに何らかのショックが常に降りかかってくると。
覆いを解除することで。
『もともとの自分』に一旦戻る事で『リセットできる』事自体をすっかり必要としなくなる。
覆ったまま生きていくこと。
それがスタンダードになる。
自分で『感じる事』に完璧なベールをかけて。
【自分が傷つかない状態】を創りあげる。
その頃には、感性自体にフタがされているので。
傷はつかなくなるけれど、ありのままの自分を解放する喜びも同時にシャットダウンされる。
傷つかない為に感性を閉じることで
傷つくことはないけれど
自己を解放する事で喜びに満たされる事もなくなる。
何を・どう・しても。
常に不満足。
他人の痛みにも鈍感になる。
痛みに鈍感になることで、
知らずに人を傷つけながら
グルグルグルグル廻りつづける。
洗剤の近くに放り込まれたラッキーな汚れ者は、自分と同じように汚れていたとしても攪拌の早い段階で汚れが落ちそう。
地球という洗濯槽はデカすぎる。
投入された洗剤から遠く離れた場所で回る自分のような汚れ者は、ちっとも汚れが落ちない。可哀想…。
どこが汚れているのか?の確認すらする暇もなくグルグルグルグル回りつづけて摩擦だけを受けつづける。
『無条件に愛される経験を求める』と同時に
『無条件に愛する』という条件が発動するので
(無条件に愛するってどうゆう状態?)かを体得できるまでは、グルグルグルグル回る。
地球の中で傷つかない様にガードを固く硬く堅く閉ざしすぎていた自分は。
自分で、ありのままの心を掘り起こすのに苦労した。
殻が破れる時の物理は『外側からの衝撃』か『内側からの衝撃か』のどちらか。
もともと、外からの衝撃に備えすぎて殻を分厚くした場合、容易に内側から殻を破る理由もない。
【感じない事に、自分で気がついて、その状態を望まず、感じる為には傷つく場合もあると知ったうえで、それでもいいから感性を取り戻す為に、自分で創った全ての檻である殻を自分で壊さない限りはありのままの自分は体現しない。】
苦労して相手からガードする為に構築した殻は分厚い。
巧妙に自分で自分の心に触れないようにカモフラージュ。
気がつかないフリで自分を騙しながら生きていく事が長期にいたっても、社会的には生きていける。
そのことを誰も深く追求なんてしなくなる。
「考えるだけ無駄」と考える事を放棄した汚れ者と隣り合わせでグルグルグルグル回る状態がつづく。
もういいな…。
洗濯機の回転から解放されて。
太陽の光あびたい…。
流れる水の音がした。
自分が(どうやらぐるぐるぐるぐる同じところを回っているようだ…。)
と勘づいて客観視できるようになってきた。
どこぞの誰かの立ち位置から『汚れ者の汚れ』を見つめる想像をしてみた。
なんらかの罪を犯した『汚れ者(自分)』の汚れを。
キレイに落とすことで汚れる前の状態に戻すにはどうするのがベストだろうか?
汚れを。
汚れた自分自身が完全に理解して。
おのずと自分で自分の汚れを落としだすにはどんなシチュエーションが最適だろうか?
どのようについた汚れでも、万能に完全に元に戻す事が可能であり、元に戻った事があきらかに証明できる真に平等な仕組みはどんなだろうか?
汚れて染まったエネルギーの浄化システムに最適な仕組み。
どこぞの誰かはどのような策をとるだろう?
最初に自分のエネルギーの汚れに気がついたとき。
分厚い殻で覆うことで完全に分離状態に慣れ切っていた自分は。
『汚れ』が自分の分身であることにはまったく気がつかずに批難し、嫌っていた。
どんなに許せないと批難して嫌ったところで物質的に消えることは全くないのに。
批難し嫌うことで視界に入ってこないようにその『汚れ』をおとそうとした。
分離した意識は殻の内側のスクリーンにいろんな種類の汚れである自分の分身を投影しつづけた。
落ちない『汚れ』との同居がつづき、どこにいっても。
人が入れ替わっても。
『違うように見える同じ繰り返し』や『同じように見える全く違う繰り返し』がつづいた。
分厚い殻の中で。
いつまでたっても、なにをしても消えない嫌悪感。
分厚い殻でおおわれて。
自分で自分にあびせた呪いで真っ暗になった殻の中で。
やっと真っ暗になって。
文句のつけようもなくなるほどに、パンパンに真っ暗になったところで。
やっと。
(自分の方が何かを理解していないのではないだろうか?)
気づきでヒビ割れた殻の模様はいなずまのよう…。
暗闇の中に差し込んだひかり。
明るくなった殻の内側で自分をみつめる。
産まれる前の記憶がない自分…。
自分の血液の中に脈々と受け継いでいるDNAに刻まれているカルマ…。
『汚れ』が簡単に消えないことでやっと『汚れ』の発信源に興味がわいて。
きちんと『汚れ』と向き合うことで、『汚れ』の実態を知ろうとした。
すると。
『汚れ』が自分の足元からのびていることにやっと気がついた。
(無条件に愛するってどうゆう状態?)
それがまったく理解できなかった。
社会は生まれたときから条件つきだったから。
無条件に愛されたことがない。
愛されたことがないのに、それが愛かどうかなんて理解ができるわけがないときめつけていた。
もちろん愛されていない自分も大嫌いだった。
ところが。
エネルギーの汚れが自分の足元からのびていることに気がついたときに。
まさか、その汚れが自分の分身だとは全く理解していなかった。
鏡に映っている自分を他人だと思い込み気がつくその瞬間まで意気揚々と批難しているようなもの。
やっとそのことに気がついた。
「愛なんて知らない。」
「愛がほしい。」
真っ暗闇がずっと、あたためつづけてくれているのに。
我がままに勘違いした卵のようだ。
暖かい暗闇に気がついて…。
ずっと、そこに愛があったことに気がついて。
やっと夜が明けていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?