見出し画像

こんな今の自分でもワクワクすること、それは…☺️。だけど、そこからの急降下 part2


本日のつむのお天気は。

無気力と、生きてるだけでつらい、イライラは
引き続きなので特に変化なしです。
寝る前のお薬はいつも通りに飲んでいるのに、
昨晩は、中途覚醒、早朝覚醒…。
いつも以上に眠くてだるい、そしてそんなときに余計な頼み事などをされると不機嫌になる、そんな余裕のないキツキツな本日のつむです。

それなのに、昨日の夜から片眼が痛く、
悪化する前に行こう、と本日眼科へ行ったつむ。(えらい)
わかってはいたけど、麦粒腫、通称「ものもらい」でした。
特に誰に会うわけでもないから、目が腫れようがどうでもよいのですが、
なんとなく、やっぱり早めに対処、こじらせたら余計面倒、と眼科へ行き。
ただそれだけで、本日も疲労困憊死にかけ寸前なのでした。
引きこもってるだけで何故にものもらい?といいたいところですが、
免疫力の低下はカラダのあらゆるとことにエラーを起こします。
みなさまもどうかお気をつけください。

本日は、前回の続き、part2として、
わくわくからの急降下について記載したいと思います。
今回は主に、「急降下」について、です。
昨日のpart1は、もしよろしければこちらからご覧ください。
中途半端になってしまい申し訳ございませんでした。

わくわくからの急降下。自分なんか生きる意味なし

わくわくの「申告」は大反対、大説教。

昨日の記事を読んでくださった方はなんとなく
想像がついている方もいらっしゃると思います。
『恩師のお嬢さんのハタチのお祝いに、
これを贈りたい。』
と、親に申告しました。

ばか。ふざけるな、自分の立場を考えろ

ものの見事に大反対、大説教。
反対されるだけならまだしも、
自分がここまで惨めな思いをすることになるとは想定外でした。

反対の理由は

たしかに。確かにそれは少し高額なものではありました。
ハタチのお祝いに、自分の関係性から贈るものとしては、少々高額。
それは認めます。
自分も同じものを持っていますが、数年前購入したときと比較して数万円価格改定されているようでした。
私は、確かに高額だと思い、他のものを色々調べて比較したのです。
しかし。どうしても、「そのもの」に愛着や思い入れがあり、
どれと比較しても、これで良いかな、と妥協できるのもが見つかりませんでした。
これは、自分の勝手な思い入れなので、「くだらない」と言われればそれまでだし、相手がそれをそこまで望んでいるとも限らない。
だから、自分勝手な主観、ということはわかっていました。
けれど、自分が働いていた頃の貯金を切り崩す分には問題ないと思っていました。

しかし。
「働いてもいないくせに」「この先いつ収入が入るかもわからないのに」
「他人にそんな大金を使うこと考えるなら、他にやるべきことがあるだろう」「自分の立場を考えろ」
「相手(先生)だって、仕事もしてないあなたからこんなもの贈られたら困るでしょ」
と、さんざん。ぼろぼろ。けちょんけちょんってやつです。

上記のように自分は高額なものを贈りたかったわけではなく、
贈りたかったものが、高額になっっていた。ということだったのです。
(貴金属類は本当に価格が上がっていて、確かにびっくり仰天でした。)

自分の心はけちょんけちょんに踏みつけられ。「自分は生きる意味ない」となった

確かに、両親が言っていること自体は、間違っていないかもしれない、間違っていないと思います。(絶対に正しいとも思いたくないですが…。)
だけど。そこまで私の心を、気持ちをけちょんけちょんに踏みにじらなくても…。と、
とても、とても、とても。悲しくなりました。

自分はいま、遊ぶために仕事をしていないわけではありません。
なんでも病気のせいにして生きるのは嫌だけど、
精神疾患が故にドクターストップ、「休職中」です。
そして仕事に行ってないから、お給料がもらえないのは、致し方ないことです。自分ではどうすることもできません。
(強いていうなら、公務災害の認否を早く決めてほしいですが。)
だけど、働いていたときの貯金は自分が稼いだおかねのつもりだったけど。

通院内服は継続しつつも、思うように回復しない自分。
先の見通しがつかない、先行き不透明すぎる。
自分でも情けないし、不甲斐ないし、どうにかしたいと思っています。
そんな自分でも自覚しつつ、でもどうすることもできない現実。
けど、自分の貯金だからいいかな、と思ったけど、だめでした。

仕事をしていない、稼ぎがない、安定した給料が入ってこない、
社会的には、もう十分惨めな材料は揃っていて、変えられない事実、
受け入れざるを得ないので、そろそろ慣れてきました。
だけど。お世話になった大切な人にささやかな贈り物を。でもやっぱり自分が納得するものを。
そんなことさえも、自分の現状、立場では、許されないのか、
(ものを変えればいくらでも方法はあるけれど。)
と、どこまでも「惨め」のどん底に落ちてゆき、
考え方が極端な自分は、
じゃあ「そんな何もできない自分は生きている意味がない、誰とも金輪際関わらない
と、なってしまいました。
でも、かなり、本気で思いました。思っています。
自分に稼ぎがない、というのはこういうことなのか、と。
いっそのこと、本当にこの世からいなくなったことにしてほしい。
そこまで本気で思い詰めることになった、つむです。

紛れもない事実。がゆえに情けない、「惨め」なじぶん

先ほども書いた通り、
やり方や、ものを変えればお祝いの方法はいくらでもあるのは確かな事実です。それで今の自分には十分、限界なんだ、と考え方を変える必要はあるのだと思いました。
生きていく上では、やはり分相応というものがあり、自分の身の丈にあった生活をする、というのは非常に重要なことだ、とも思いました。
がゆえに、やっぱり、
「休職していて安定した稼ぎがないが故に、それはおかしい」
という、自分の無力さ、不甲斐なさ、に絶望し、
だけど、いますぐに解決できる問題ではないから、どうしようもない。

さらにいうと、今回については自分の中で特別思い入れがある機会、といいますか、
とてもとてもお世話になった先生、自分を育ててくれた先生とそのお嬢さんへ、一生に一度のハタチのお祝い。これは是非させてもらいたい、妥協したくない、という強い思い、そして感謝の思いがあったから、こだわりにこだわって、金額よりも譲れないものがある、と自分の中では考えていました。

そんな機会を、
自分が働いていない、稼ぎがないがゆえに、思うように叶えられない。
惨め
これにつき、当面の生きる気力と希望を失った、つむなのでありました。

おわり。まとめ

2回に分かれることとなり、申し訳ございませんでした。
お読みくださった方、ありがとうございました。🫧🌱

自分のものには大体無頓着、自分が持っていても勿体無いから。
だけど、大切な誰かへの贈り物、それを選ぶときのわくわくは、
他に代え難い、たのしい、わくわくする時だな、といつも思うのです。
さらに、今回は、しばらく引きこもりのこの自分がお祝いしたい、と思える
それだけの感謝の気持ちがあるからこそ、納得がいくようにしたかったのです。

が、自分の不甲斐なさゆえに、それも満足にすることができず。
せっかくわくわくしていたところが、
自分の頑固さも相まって、「惨め」「自分がどうしようもないから」。
そして
もう生きる意味ない」「誰とも関わらない」「地球上から存在を消して
と、ひねくれまくって、しょげることとなってしまいました。
なかなか人生むずかしいな、としょんぼりなつむでした。(´・_・`)
生きていけるかな…。

お誕生日に関する、皆さんに是非伝えたいことがあるので、
近々また投稿しようと思います。🌻
皆さんいつもありがとうございます。
ではまた🧸🫧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?