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敷かれたレールから飛び出す勇気

僕は5歳から現在に至るまでサッカーをしているが、それと同じくらい勉強もしっかりさせられてきた。

勉強ができる兄を持ったことも一つの理由で、小学生の時は勉強が終わるまでサッカーの練習に行かせてもらえずに、たくさん泣いていたというくらいしっかり勉強をさせられていた。

その甲斐もあって、のちに偏差値の高い高校に入学することができたし、国公立大学に入学することもできた。

そして現在就職活動中であるが、そこそこ聞き馴染みのある大企業にも努力次第で入社できる状況にある。


おそらくこの先、日本に帰国して、日本の大学を卒業して、それなりの企業に入社して、ある程度のお金をもらいながら新卒1、2、3年と働いて、転職するなら転職して、時が来たら結婚して、子供を授かって、家庭を築いて、、、となんとなく将来は容易に想像できる。

一度大企業に入社できれば、安定した収入を得ることができて社会的信頼も得て、これまでしっかり勉強して国公立大学を卒業したことを「よかった」と振り返るだろう。

これをいわゆるレールの敷かれた人生、と呼ぶのだろうか。
(定義は人それぞれだと思うが、少なくとも僕はそう考えている)

東大を卒業して官僚になるとか、早慶を卒業してゴールドマンサックスに入社するとか、それほどのエリートコースではないが、国公立大学を卒業して30前後で年収1000万をもらっていたらそれなりに人生は成功していると言えるのではないだろうか。



僕は先日、高校の同期が大学を中退して新たな道を目指すことを聞いた。

理由の一つに大学での勉強内容が面白くないということだそう。(彼は理系なので文系以上に勉強内容の充実は大きな問題だろう)

彼も僕と同様、小さい頃からサッカーと共に勉強にも熱心に継続的に取り組んできて、有名な国公立大学への進学も果たした。

このまま大学を卒業して、大企業に入社できれば将来はある程度安泰だったかもしれない。

退学理由は彼なりにいろいろあるかもしれないが、この決断を下すには相当の覚悟や思いを要することは想像に容易い。

自分が同じ状況になって、大学を辞めるという決断ができるかと言われると分からない。

上昇志向が高く、変化的な毎日を好む僕の性格でもこの決断は難しいかもしれない。

人は学歴では判断できない」、「学歴がすべてではない」、といろいろ言われるが、ないよりあったほうが良いことは自明だ。

東大卒の人が学歴は関係ないよ、というのと高卒の人が同じことを言うのでは説得力が違いすぎてもはや違う言葉に聞こえるまである。



これから彼は会社に依存するのではなく、自分をブランド化して、ファンを増やして、個人で顧客を増やしていくというような生き方をしていくことになるだろう。(別の方法を考えていたらごめん)

この生き方は僕にとって、とても現代的な生き方に感じる。

変化の激しい現代社会で大企業に入ったら定年まで安泰という考え方はもうなくなりつつもある。

そして個人で情報を自由に発信でき、お金を稼ぐ手段も多様化しているため、個人の力が今まで以上に必要になってくることは多くの人が感じているはず。

会社員という選択ではなく、個人の力で生きる道に僕と同い年の彼がこのタイミングでシフトしたことは心から尊敬できるし、心から応援している。


まとめると、僕は彼が好きだし、これからも彼の友人でありたい。



これを読んでくれている方の年代層や属性が把握できないが、これまでそれなりに優秀とされるルートに乗って人生を生きてきた人は、いかなる理由があってもその道から飛び出してゼロから新しいことに挑戦することへの恐怖には共感できるだろう。

彼を応援すると同時に、僕自身も個人としての力をつけていくために、このnoteを頑張っていこうと思うのでぜひフォローしていただけると嬉しいです。(笑)


では、また。

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