記事一覧
駆逐してやるぜ皆の者!!!
もうなんか違うやん
今しかできんことがあってそれを絵とか文章で表現したくて。スマホとかに毒されたくなくて。
数学解いとる時にあの娘のこと考えたり。
夏休みに帰ってきたあの子がたまたま学校に遊びにきてて。
ほんでちょうどぼくが予備校から出た時ばったり会って。
髪なんか染めちゃってて。
前の少しグリーンがかった茶髪好きだったのにとか思いながら。
不自然なほど自然に言おうとして結局童貞な
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける7日目
5月11日〜5月12日
『教室にいた。予備校の教室ではなく3ヶ月前まで座っていた3年1組にいて席に座り勉強していた。教室には数人しかいなかった。僕は自分の本当の席には座っていなかった。桂馬の動ける範囲で右斜め前のほうに自分の本当の席が見えた。僕は勉強がめんどくさくて意味もなくトイレに行ったり席を立ったりしていた。席に座ってふと前を見ると好きでもないが少しだけ仲の良い女の子が僕の席に座っていた。そ
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける6日目
5月10日~5月11日
『自転車で学校の近くの山を登っていた。整備された道ではなく、登山用の細い道をスムーズに登っていた。10分くらいで山頂に辿り着いた。山頂には住宅地が広がりすぐのところでそこの住民たちが集まって楽しそうにお酒を飲んだりしていた。そこを過ぎるとすぐに港があった。漁船がいくつか停泊していた。僕は自転車に乗ったまま水中を覗きこんだ。何もいない。少しだけ場所を変え、自転車を堤防のぎり
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける5日目
5月8日〜5月9日
見た夢忘れた。
おじいちゃんが死んだ。
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける4日目
5月7日〜5月8日
『寝台列車のような個室のある列車に乗っていた。部屋には2段ベット2つと勉強机が1つ。狭い部屋にと僕とそこまで仲のいいわけではない友達と同じクラスのかわいい女の子がいた。もうすぐ僕たちは目的地に着くようでその女の子は列車を降りる準備を終え、勉強机の上にしゃがんでスマホをつついていた。それは狭い空間の中で他の人の邪魔にならないようにするための配慮ある行動に思えた。しゃがんだその子
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける3日目
5月6日〜5月7日
どんな夢見たか忘れた。
夢を見たことは覚えてるけどどんな夢だったかがどうしても思い出せない。
夢を思い出すのは難しい。印象的な夢ならともかく、普段見るような夢は身の入っていなかった勉強のようにすぐ忘れてしまう。
他にもすぐ忘れてしまうものはある。例えば昨日スマホで何を見ていたかも意外と思い出せない。
調べものはともかくYouTubeやTikTokなど思考による脳への
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける2日目
5月5日〜5月6日
2つ
『とても大きなショッピングセンターにいた。サイズの合わないぶかぶかのサンダルを履いていた。すぐ脱げてしまうのでなんとかしようと思っていたら脱げたサンダルがエスカレーターの隙間に挟まってしまった。さっきまで速いスピードで動いていたエスカレーターは止まってしまった。周りに人はたくさんいるがほとんどの人が僕がエスカレーターを止めてしまったことを気にしていない。僕はサンダルを
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける1日目
5月4日〜5月5日
好きな若手女芸人が出ているテレビ番組をスマホで観ていた。目当ての女芸人の他に同じような女芸人が何人かいた。みんな整形顔の美人だった。そして
キャンドルが灯いていてアロマが炊かれた暗い落ち着いた部屋でその目当ての芸人がsexをしていた。僕は彼女のエロいシーンを観たくて動画の下にある再生位置を示してくれてるあれを動かしてエロいシーンを探していた。挿入されているシーンとフェラしてい
1週間「アンダルシアの犬」を寝る前に観て夢日記をつける
ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリによる映画「アンダルシアの犬」を寝る前に観てその日の夜に見た夢をノートに記録することにした。特に意味はないが自分の潜在的な何かしらを垣間見ることができるのではという期待は少しある。
「アンダルシアの犬」詳しくはWikipediaで調べて貰えばいいがこの映画を初めて見た時自分の創造性の扉が少しだけ見えた気がした。
無論このような感情は多くの人が感じる一般人間
太宰治「新ハムレット」
好きな所
言葉の無い愛情なんて、昔から一つも実例が無かった。本当に愛しているのだから黙っているというのは、たいへん頑固なひとりよがりだ。好きと口に出して言う事は、恥ずかしい。それは誰だって恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさに眼をつぶって、怒濤に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛情の実体があるのだ。黙って居られるのは、結局、愛情が薄いからだ。エゴイズムだ。どこかに打算があるのだ。あとあとの