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今日のうんち

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食べたら、でるもの。なにかを食べては、今日も出す。 2018年4月16日よりまいにち更新される、白川烈が書くエッセイです。 クサいときもあるかもしれませんが、それはご愛嬌で。… もっと読む
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2022年7月の記事一覧

ことばはときどき、うそをつく。

*ことばというものは、ときどき「うそ」をつくものだ。しかもやっかいなのは、うそをつこうと思っていなくてもうそをついてしまったり、うそだと知らないうそだったり、うそだとわかっていても見て見ぬ振りをしてしまいたくなるところである。ことばというのは、基本的にうそをつけるのだ。だって、口では何でも言えるし、何を言ったっていいのだから。

対して、うそをつかないのは「身体」だ。いくら口で「おいらは自転車に乗

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しっかり「真似」をすること。

*きのうは、さいきん家の近くに出来た寄席に、落語を観に行った。あくまでニワカだけど(落語好きのニワカって、何百年も前からあるからみんなニワカだな!)、さいきんはよく落語を聴きに行くようになった。西宮にできた「えびす亭」という寄席だ。寄席というよりも、友人の家で落語を聴いているような空間で、これもなかなかよかった。いつも劇場で落語を聴いているのと比べて、落語家さんの演じようも変わってくるだろうしね。

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わからないは、想像の宝庫だ!

*「そんなことも知らないの?」ということばを人から言われて、そんなことも知りませんよ、と思った。知らないことで胸を張るつもりはないが、知らないことを恥じるつもりもない。知らない、わからないことは、ほんっとうに多いし、なくならないのだと、ちょっと負け惜しみ気味に言い聞かせてみる。

「わからない」ことは、ほんとうに多いよー。だって、答えがあるものばかりじゃないんだもの。答えがあるものにしたって、わか

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そうだ、自己紹介だ!

電車での移動中、時間を持て余していたので、仲の良い友人たちのことを考えていた。年下の友人、年上の友人、しばらく会っていない友人、週に一度は顔を合わせる友人。家族を「友人」だと思うことは、ぼくには少しむずかしいけれど、恋人は友人だと思えたりする。そんな友人たちのことをぼーっと考えながら、仲が良いってなんだろう、と電車に揺られながら考えていた。

べつに、ここからあっちは仲良し、こっちは仲良くない、な

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なんでもできない、なんでもやさん。

*少し前に出会った若者が「なんでもできます!」と意気込みながら自己紹介をしてきた。若いって良いなぁ、と他人事のように思いながら、「なんでもできます」という言葉に違和感をおぼえて「じゃあ、これってできる?」と聞いてみたところ、「やったことはありませんが、たぶん大丈夫です」と返ってきた。

いぢわるをしたいと思って、聞いたわけじゃない。ただ本当に、できるのなら頼みたいことだったのだ。諭すわけでもなく、

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役に立たないものばかり。

*また、しょうもないものを買ってしまった。「レインボースティック」という、棒状のおもちゃである。棒の先に、虹色のヒラヒラがついていて、指先で棒をひねって回転させるとあらふしぎ、シャボン玉ができるのだ。ヒラヒラが遠心力でふわりと円状になって、しかも重力で形が変わるもんだから、シャボン玉に見える、というわけだ。というか、ほとんどシャボン玉である。触れても消えないシャボン玉だ。

ぼくの部屋には、何の役

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詩の豊かさ。

*きのうは、大阪堀江にあるアートハウスさんで、画家の石川武志さんとのトークイベントでした。ゆるゆるとおしゃべりのような感覚でしたが、おもしろかったー。展示のことや絵についてのことはもちろん、今回出版された、石川さんのお兄さんの詩集について、触れながら話しました。

ぼくが話してみたかったことがほとんどでしたが、まずは「詩は読みますか?」というところからスタートして、「詩を読むとき、どんなふうに読み

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「こころ」と「ことば」。

*「こころ」について、誰しも一度は考えたことがあるだろう。「こころ」とはいったいなんなのか、何のことで、どんな動きをして、どこにあるのか。「こころ」がないものはいるのか。こころがあるのに「こころない」対応をしてしまうときもあるし、身体とおんなじように、疲れることもある。「こころ」というものの不確かさと抽象さは、生きるうえでついて回るテーマのひとつだ。

いつだったか忘れたけれど、ちょっとした思いつ

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その本、サイズ合ってますか?

*きのう、アパレル関係の仕事をしている方と話していて、よくある「店員の接客」についての話しになった。本当にあるあるだけど、こちらが服を見ているときに店員に話しかけられる、というのが苦手な人は多いと思う。ぼくも、ちょっぴり苦手な方だ。聞きたいことがあったら、呼んで聞くからと思っちゃうけれど、向こうも服を売らなきゃいけない立場なんだから、仕方のないところでもある。

ふと、思ったのだ。接客し、販売する

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フードをかぶって歩いてみる。

*少し前から、街を歩いていてもフードをかぶっている人をよく見かけるようになった。「ジャンクフード」とかのフードじゃないよ、パーカーなんかについている、あの「フード」だよ。きっとおしゃれのひとつとして、フードをかぶっているんだろうけど、個人的にはなんだかヘンテコだなぁと思ったりもしていた。なんだか、夜にサングラスをかけている人みたいだ。こっちも、たまにいるよね。

どうしてフードをかぶるのだろう?と

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ちょっと踊ろう、ちょっと歌おう。

*日々予定が詰まっていたり、詰まっていなかったりしても、じつは「ちょっとした時間」というのが、すきますきまに存在するものだ。打ち合わせと打ち合わせのあいだ、スープを煮込んでいるあいだ、電車を待っているあいだ、友達がトイレに行っているあいだ、ねむたくなるのを待つまでのあいだ、家から駅につくまでのあいだ。

そういう「すきま」や「余白」といった時間を、気付けば「時間を潰す」行為で埋めてしまっていること

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生きていると、いろいろあります。

*生きていると、いろいろあります。ほんとうに、いろいろある。その「いろいろ」の内訳は、「よろこび」とか「うれしさ」とか「楽しい」とか、希望のようなものはもちろん、「哀しみ」とか「苦しみ」とか「妬みそねみ」みたいなものもあるでしょう。ポジティブなものばかりという人はいないでしょうし、私信だけれど、きっとネガティブなものだけ人もいないんじゃないか、と信じています。

希望も絶望も、それなりにあります。

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ひとつの場所にとどまる恐怖。

*暮らしの中でも、遊びや仕事の中でも、人間関係の中でもそうなのだけど、ぼくは基本的に、どこか1つのコミュニティに身を置く、ことを避けてきた。意識的にも避けてきたし、きっと本能的にも避けてきたんだろうと思う。何か1つの決まった場所で、自分が固定されることが、どうしても苦手なのだ。ラクだし、嬉しいことでもあるんだけど、ぼくの場合はそれ以上に苦手や「気持ち悪さ」が勝ってしまう。そのため、意識的にも無意識

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「余計なひとこと」を言わずに。

*たぶん、たいていの人が「余計なひとこと」を言ってしまった経験があると思う。「ああ、あれ、余計なひとことだったなぁ」と自分で思うこともあるだろうし、「そのひとことが余計なんだよ」と言われることもあるだろう。多かれ少なかれ、ほとんどの人は「余計なひとこと」を言ってしまったことがあるはずだ。

では、どういう言葉が「余計なひとこと」なのだろう。「余計」なのだから、

その「余計なひとこと」は、たいてい

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