生きていると、いろいろあります。

*生きていると、いろいろあります。ほんとうに、いろいろある。その「いろいろ」の内訳は、「よろこび」とか「うれしさ」とか「楽しい」とか、希望のようなものはもちろん、「哀しみ」とか「苦しみ」とか「妬みそねみ」みたいなものもあるでしょう。ポジティブなものばかりという人はいないでしょうし、私信だけれど、きっとネガティブなものだけ人もいないんじゃないか、と信じています。


希望も絶望も、それなりにあります。飛び上がるほど嬉しいことも、くじけそうになる挫折もあります。好きな人と過ごす甘い時間や、甘くはなくても確かに心が満足する時間、悲しみに暮れることもあるでしょう。そして、それと同じくらい、なんでもいい、取って代われるような時間もたくさんあります。


生きていれば、身近な誰かがいなくなることもあります。家族や友人、恋人、飼っていた犬や猫、一度しか会ったことがないような人だって。突然、心の準備もままならないままいなくなることだってあるし、ゆるやかに準備をしながら、準備をしていく苦しさを受け容れながらいなくなることだってある。そしてもちろん、出会うことだってあります。好きな人や気の合う人や、嫌いだと感じる人や苦手だと思う人も、たぶん、これからさらに出会います。


「出会いがあるから別れがある」と言う人もいます。「別れがあったということは、出会って時間を共に過ごしたってことだ」と言う人もいます。「悲しいことがあるから、嬉しさを感じれる」と言う人もいれば、「嬉しいことや楽しいことがあるから、悲しさを感じるんだ」と言う人もいます。どちらも本当だし、表と裏の関係でしかありません。でも、どちらを「表」にするかは、自分が決めれることでもあります。


本当に、生きていればいろいろあるのです。こんなに口すっぱく言われなくたって、すでにあなたも知っていることでしょう。いろいろあるけれど、生きている限りそれでも日々は続くんです。だとすれば、それこそが生きているってことなんじゃないか、と少し哲学めいたことまで考えそうになります。


いろいろなことがあっても、日々は続いていく。人生は後戻りできなくて、前にしか進めない。そのことは時に残酷で、時に優しいことでもある。時間が経つことで、和らいでいくものだってあるのだから。


いろんなことがあるなかで、どこに目を向けて過ごすのか。どこに向けたっていいんだし、正解なんてないんだから、見たい方を見ようと思う。悲しみにたっぷり浸るもよし、光の方へ進むもよし。どっちが正しいもない、自分が見たい方を、きちんとその都度、自分で決めて向いていよう。人生はいろいろあるし、そのいろいろを引き受けるのが、生きているということなんだから。

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