なんでもできない、なんでもやさん。

*少し前に出会った若者が「なんでもできます!」と意気込みながら自己紹介をしてきた。若いって良いなぁ、と他人事のように思いながら、「なんでもできます」という言葉に違和感をおぼえて「じゃあ、これってできる?」と聞いてみたところ、「やったことはありませんが、たぶん大丈夫です」と返ってきた。

いぢわるをしたいと思って、聞いたわけじゃない。ただ本当に、できるのなら頼みたいことだったのだ。諭すわけでもなく、叱るわけでもなく、「それはなんでもできますじゃなくて、なんでもやります、だね」と返した。少々意地悪く聞こえるかもしれないが、そっちのほうがいいと思ったからだ。「なんでもやります!」より「なんでもできます!」のほうが聞こえはいいけれど、本当になんでもできる「なんでもやさん」に、ぼくはまだ出会ったことがない。

「なんでもやさん」というのは、基本的に「なんでもできる」わけではない。当たり前だけど、なんでもできる人なんていないからだ。たいていのことはできるので、なんでもやります、というのが、「なんでもやさん」の意味するところだろう。それに、本当になんでもやってくれるわけでもない。そりゃそうだ、やりたくないことだってあるだろうし、できないことだってあるのだから。けっして悪い意味じゃなく、頼む方も頼まれる方もそのへんを理解しながら、「なんでもやさん」に頼んだり頼まれたりしている。

なんでもやりますけど、どれぐらいのクオリティでできるかはわかりません、というのがホントのところだろう。「なんでもやさん」は、自分が納得いくクオリティで仕上げてくれる
から、その「クオリティ」とやらが、そのままその「なんでもやさん」の質となる。それに、頼みたいことがわかっているのなら、「なんでもやさん」ではなく、その道の職人に頼みたいのが、本音だしね。

何かの映画で「できませんを言っちゃあいけないホテルマン」なんてのがあったけれど、そんなのはうそっぱちだ。いくらホテルマンだって神様でもないし万能でもないのだから、なんでもできるわけがない。あれは、そういう心持ちで、考えることをやめないように、という教えだ。

なんでもできるなんでもやさんなんて、いない。そんな当たり前のことを書いてみたんですけれど、「なんでもやさんだから、なんでもできるんだろ!?」って空気感が、なんだかあるような気がしていてねえ。本当に何でもできる人ほど、自分のできないことを知っているようにも思うのでした。


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