詩の豊かさ。

*きのうは、大阪堀江にあるアートハウスさんで、画家の石川武志さんとのトークイベントでした。ゆるゆるとおしゃべりのような感覚でしたが、おもしろかったー。展示のことや絵についてのことはもちろん、今回出版された、石川さんのお兄さんの詩集について、触れながら話しました。

ぼくが話してみたかったことがほとんどでしたが、まずは「詩は読みますか?」というところからスタートして、「詩を読むとき、どんなふうに読みますか?」など話を拡げていった。参加してくれた方々がちょうど半分ずつ、詩が好きで読むという方と、読まないという方に別れた。「読まない」勢に、どうして読もうと思わないのか、読んだことはあるのか、と矢継ぎ早に質問していくと「苦手だから、むずかしい」という意見がほとんどだった。

「詩を読むのがむずかしい」。じゃあ、どんなところがむずかしいと思うのか?と聞いたところ、「どう読んでいいのかわからない」だったり「これが合っているのかわからない」だったりと、ひとまとめにすれば「作者が何が言いたいのか分からない」というものだった。なるほど、そういうことを考えてみんな詩を読んでいるのか、とじつに面白かったのだ。

これは正しい詩の読み方ではないだろうけれど、ぼくは「作者が何を言わんとしているか」を読み取ろうとして、詩を読むことはほとんどない。「こんな詩を書くなんて、この人はどんな人なんだろう、どんな生活をして、いつ思ったんだろう」と、その人自体に興味を持ったり想いを寄せることはあるけれど、その詩が何を言いたいのかを気にして読むことはほとんどない。

ぼくにとっての詩は、リズムと、ことばとの出会いだ。詩のリズムが心地よかったら、それは意味を超えて好きになる。詩の中のたった一文でも、たったひとつの言葉でも、どこか胸にくるものや「いいなぁ」と思えるものがあれば、その詩を好きになれる。ただ、ほんとうにそれだけで、詩が何を言おうとしているのか、どんな意味を含ませていて、何の輪郭を形取ろうとしているのかを気にしたことがなかった。というより、興味がないだけかもしれない。そのおかげかせいか、ぼくは詩が好きで、よく読んでいられるというのもヘンテコな話だ。

「詩を読む」ことは、ほんとうにいいぞーっと、できるだけ多くの人に伝えたいんだけれど。読まない、読んだことないって人に、とくにね。詩を読むことの豊かさを、押し付けることなく広めていきたいなぁ。詩は、なんの役にも立たない、お守りみたいなもんだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?