役に立たないものばかり。

*また、しょうもないものを買ってしまった。「レインボースティック」という、棒状のおもちゃである。棒の先に、虹色のヒラヒラがついていて、指先で棒をひねって回転させるとあらふしぎ、シャボン玉ができるのだ。ヒラヒラが遠心力でふわりと円状になって、しかも重力で形が変わるもんだから、シャボン玉に見える、というわけだ。というか、ほとんどシャボン玉である。触れても消えないシャボン玉だ。

ぼくの部屋には、何の役にも立たないしょうもないものが、けっこうな量鎮座している。例えばほら、これだ。この「Useless BOX」と書かれた木箱は、名前の通り役に立たない。
高さ5センチ、縦15センチ、横8センチほどの小さな木箱である。天面にスイッチがついており、このスイッチを押すと、箱が開く。箱が開くと中から機械の腕がやってきて、スイッチを押し戻す。スイッチを押し戻すと、箱が閉まる。つまり、スイッチを押すと箱がひとりでに開き、ひとりでに閉まるという、名前の通り何の役にも立たない箱である。

どうしてぼくが、こういうしょうもないものを集めているのか、自分でもわからない。ただ、好きなのだ。手元に、役には立たないものがあると、なぜか安心してしまう。それはぼく自身、たいして何の役にも立たないという諦念が、どこかしらあるように思う。諦念というのは「だから何もしない」というわけではなく、「そんなもんだから、期待せずこつこつやろうよ」となるのに、ちょうどいいのだ。あきらめているからこそ、コツコツとやれることたちがある。

ぼくの部屋には、役には立たないものばかり。むろん、ぼくも含めて、だ。そんな部屋でコツコツとこの文章を書いているのだけど、きっと、この文章も役には立たない。役には立たないからといって存在を否定されるべきじゃないし、役に「は」立たないだけなのだ。なにかしら、用途や使い道というのが、あるのかもしれない。もちろん、おいらも含めて。


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